第53話 黒ずむ畑に濁る井戸。のどかな村が全然のどかじゃなかった件
翌日の朝、簡単に朝食を済ませた私たちは動きやすい旅装束に身を包み、アッシュフィールド別邸を発った。
ステラが御者を務める馬車に乗り込み、王都の北門をくぐる。
クルトが書き留めてくれたメモによるとホルン村は王都から街道を北に向かい、分岐を示す道標を東へと進んだ先にあるらしい。
「馬車で半日……か。思ってたよりも遠くないのは助かるわ」
アッシュフィールド領から王都までの十日余りの旅に比べたら半日なんて大したことはない。
道もきちんと整備されており、王都にやって来る人の往来は多い。
やがて道行く人もまばらになり、景色も郊外の街並みから田園が広がる丘陵地帯へと移り変わって行く。
「王都と言えども中心部を離れたらアッシュフィールド領と大して変わりはないのね」
私は車窓から見える風景を眺めて言った。
その言葉には、王都という巨大な城郭都市に抱く緊張感から解放された地元に近い風景へのほっと一息ついたような心境があった。
「リリアーネ、瘴気について聞いていい?」
「どうしたの?」
「アッシュフィールド領では瘴気って珍しいの?」
「珍しくはないわ。ただ、うちの領地では発生したら即座に周辺を封鎖して、教会に浄化を依頼する体制があるの。お父様の代からの取り決めでね。だから大事になる前に対処できてたの」
瘴気そのものは自然災害のようなもので、どこでも起こり得る。
問題は対応の速さだ。初動が遅れれば遅れるほど汚染は広がり、処理の難度と費用が跳ね上がる。
「ヴァリャーグでも別に珍しいものではなかったでしょ?」
「……さあ? “赤い眼”の工作員がわざわざ知る情報ではなかったし、皇女ならなおさら知る必要のないことだから」
失言だった。ステラの半生は知っているはずだったのに、無遠慮な質問を投げてしまった。
瘴気被害と対応。そんなものが当時の帝国の皇女にとって身近な話題であるはずもなかったし、革命後のステラの置かれていた状況を考えたら、それこそ知るどころではなかっただろうに――
「ごめん……」
「リリアーネ、いちいち私の過去について謝らなくていいから。私の方も特に気にしてないし」
ステラはさらりと受け流すように言うと、馬に鞭を入れた。
手綱に引かれて、二頭立て馬車が速度を上げる。
「で、さっきの話。今回の件の場合――宮内府以外に教会は動かないの?」
「教会が自発的に動くのは、よほどの大規模災害が起こった場合と、教会と懇意にしている領主が自発的に要請して動く時くらいね」
「ジークハイトが教会に応援を頼むとか?」
「ないない。そんな殊勝なやつならとっくに解決してるわよ」
ジークハイトが教会に要請なんて絶対にしないだろうし、教会としても現国王と揉めるのは面倒だし自発的に動こうとはしないはず。
「だからクルトは藁をも掴む思いで私に声をかけたというわけよ」
ステラは狼耳を揺らして小さく頷いた。
そうして馬車が走り続けること数時間。クルトのメモに書かれていた道標が立っている分岐を東の脇道に入る
しばらく進んでいくと石畳で舗装された道が途切れ、未舗装の土を固めた道になっていき、ぽつぽつと集落の屋根が見えてくる。
ホルン村。
クルトの故郷であり、現在進行形で瘴気被害に見舞われているという村だった。
確かに空気が重い。見た目こそのどかな里山の村だが、空気はどことなく澱んでいた。心なしか、空の色も陰っている。
ねっとりと肌を舐めるような違和感が肌に纒わり付いていた。
私たちは馬車を降りクルトから聞いていた妹の家を訪ねた。
出迎えてくれたのは、クルトによく似た素朴な顔立ちの女性だった。名をマルタと言った。
彼女は私が兄の雇い主である貴族だと知ると恐縮しきりだったが、事情を聞きに来たのだと告げるとすがるような目で村の現状を案内してくれた。
「……ひどいものね」
思わず声が漏れる。
村は想像以上に蝕まれていた。
畑の野菜は黒ずんで立ち枯れ、いくつかの野草や木は本来の形を失って毒々しくねじ曲がった色をしていた。
家畜小屋を入ろうとすると、村人の男が布切れに包まれた何かを抱えて出てきた。
「ダメだ……また奇形の仔だ。産まれてすぐに死んだ。マルタ、そちらの方は……」
「兄の雇い主である伯爵様よ。今回のお話を受けて、様子を見に来てくれたんですって」
「伯爵……? し、失礼いたしました。お恥ずかしいお姿を」
「構わないわ。……その包みは?」
「さっき羊が産んだばかりの仔で目が七つありました。これから埋めに」
そう言って男は包みを抱えて去っていった。
そして井戸の水は見た目こそ普通だったが、汲んで鼻を近づけるとツンと臭気がした。
「このまま飲むのは不味いわね……」
「煮沸して何とか飲めていますけど、やはりお腹を壊す人は出ています」
間違いなく瘴気汚染だ。それも初期症状を過ぎてかなり深刻な段階に進みつつある。
現状を把握した私たちは村のまとめ役である村長の家へと案内された。
年老いた村長は、お忍びとはいえ伯爵の私がわざわざ足を運んでくれたことに驚きつつも、安堵の涙を浮かべていた。
「おお、やはりクルトの頼みで伯爵様が動いてくださったのですね……! 実は伯爵様がお見えになる前から、王都の冒険者ギルドの方が二人、この村に調査に来てくださっておるのです。大柄な剣士の男と、魔導士風の若い娘御。あれは伯爵様がお手配なさったのでは?」
「……え?」
何それ知らん……
私はステラと顔を見合わせた。
ステラも首を横に振る。私が指示を出していない以上、アッシュフィールド家の人間が動いているはずはない。
(冒険者、か……)
王都やある程度の規模を持つ都市圏には、害獣駆除、魔物討伐、街道護衛などの危険な仕事を請け負う者たちのための組合組織がある。
元兵士や傭兵上がり、猟師やフリーの魔導士たちが所属し、一定の身元保証と信用を持つ半民半官の請負人集団を俗に“冒険者”と呼び、その組合組織を“冒険者ギルド”という。
ちなみに王都よりも人口が少なく経済規模も小さいアッシュフィールド領には存在しなかったため、これまで縁のない話だったが……最近グレイヴィルも景気も良いし、冒険者ギルドの一つくらいできてもおかしくはないかな。
「いいえ、私は何の手配もしていないわ」
「そうでしたか……てっきり伯爵様が王都から手を回してくださったのかと。では、あの方々は――」
「宮内府への訴えが、何らかの形でギルドに流れたのかもしれないわね」
半分は本当で半分は方便だ。
実際、役所が手を回した可能性はゼロではない。
役所が面倒なことを冒険者ギルドに丸投げしたとも考えられる。
「……どうやら、うちの他にもこの村の異常に気付いて動いてくれた奇特な人がいるみたいね」
「ん。どうするの?」
「接触してみましょう。彼らが本当にただの冒険者なら、手に入れた情報を共有して損はないわ」
そして解決したらその冒険者の手柄にしてしまえば、私がコソコソ動いていた痕跡も隠すことが出来るし。
ただ――役所に訴えても数週間放置されているようなこの村の異常に、たった二人でわざわざ首を突っ込んでくる冒険者がどうにも気になる。
「その冒険者の方たちは今どちらに?」
「伯爵様が到着なさる少し前に東の森へ入っていきなさった。瘴気の元を探ると仰って。まだ戻っておりませぬ」
「わかりました。私も東の森へ調査に向かいます」
「伯爵様自らですか……?」
「人手は多いに越したことはないでしょう」
幸か不幸か、まだ被害はこの村だけにとどまっている。
東の森に元凶があるというのなら、今すぐそこに向かった方がいいだろう。
私はステラと共に村はずれの森へと向かうことにした。




