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第52話 退屈な伏魔殿より泥臭い現場。辺境伯のフィールドワーク

 カリカリとペン先が羊皮紙を擦る音だけが静かな執務室に響いていた。

 叙爵式から数日、宮廷晩餐会の日程は未だ決まらず、かといって「晩餐会がいつになるかわからないので帰ります」とも言えず、私は王都の別邸で宙ぶらりんの状態が続いていた。

 

 私はヴェルナーに宛てて手紙を書いていた。

 内容は近況報告。私は元気です。叙爵式はつつがなく終わりました。

 いつ開かれるかわからない宮廷晩餐会に招待されたせいで帰るに帰れません。

 そんな感じの、愚痴も多めに混ぜて。

 

 ――ジークハイト四世陛下に側室になれと言われたけど丁重に断りました。


 いや、これはいらないか。無駄にヴェルナーを心配させるだけだもの。

 手紙を書き終え、封蝋を施してステラに渡すと、彼女は静かに頷いて部屋を出て行った。


 窓の外では午前の陽光が貴族街の屋根を照らしていた。静かな街だ。静かすぎて落ち着かない。

 グレイヴィルでは朝から晩まで港の喧騒や商人の声が聞こえていたのに、ここでは鳥の声と風の音くらいしかしない。ザ・高級住宅街、って感じ。

 ステラがいない部屋の中で、私は一人で溜息をついた。


 ああ、退屈。退屈すぎる。

 貴族の社交は時間を潰すのにはうってつけかもしれないが、中身のない会話で何時間も過ごすのはやっぱり辛い。

 それに、下手に色々な貴族と会うとアッシュフィールド伯はどこどこの派閥に連なる、と勝手にレッテルを貼られあることないことまで言われるかもしれない。

 でも、誰とも会わないと地方の田舎貴族は満足に挨拶もできないのかと、これまたレッテルを貼られる。


「はー、やってらんね~」


 おほほ、思わず下品な声が漏れてしまいましたわ――などと一人ツッコミを入れながら、私は執務机の前に置かれたソファにどかりと腰を下ろした。

 しばらくぼけーっと窓の外を眺めていると、ステラが戻ってきた。


「おかえり。なんか面白いことあった?」


「ん、別に」


 ステラは私の向かい側のソファに座ってナイフの手入れを始める。

 私はステラの細い指が動く様をぼーっと眺めていた。


「ステラ、暇ね」


「うん」


「晩餐会の日程が決まらないことには動きようがないのよね。かといってここでぼうっとしてるのも性に合わないし」


「王都を見て回れば?」


「それも考えたけど、あまりうろうろしてると目立つのよ。叙爵式で顔が売れちゃったから、『あの耳付きの辺境伯が何をしてるんだ』って噂になる」


 ジークハイトの耳に入れば余計な詮索をされかねない。

 辺境の田舎伯爵が王都を嗅ぎまわっている――なんて形で悪意ある噂にされれば、それがいつしか「不穏な動き」とか「王家への叛逆の兆し」なんて風に吹聴されてはたまったものじゃない。


「お爺様はよくこんな魔境で交友録なんて作れたもんだわ」


 恐るべしお爺様のコミュ強ぶり。

 それでいてしっかり交友録を書き残すというまめな一面。


 やることもないしお爺様の交友録でも読み返そうかな――

 そう思いテーブルの上の手帳に手を伸ばそうとしたその時、執務室のドアがコンコンとノックされた。


「……伯爵様、少しお時間をいただけますでしょうか」


 別邸の守衛の声だった。

 名前はクルト。私たちが王都入りした時に門前で出迎えてくれた日に焼けた顔の男。

 三十代半ば、仕事ぶりは真面目で穏やかな印象の人物だ。


「どうぞ、入って」


 扉が開くとクルトが困り顔で立っていた。

 普段は職業的な落ち着きを崩さない男が、明らかに何かを言いあぐねている。


「……クルト? どうかしたの?」


「はい。その、伯爵様にこのようなことをお話しするのは甚だ心苦しいのですが……」


「聞かないことには何とも言えないわよ。何か困ったことがあったのでしょう?」


 私に促され、クルトは「私事で大変恐縮ですが」と断ってから切り出した。


「実は、私の故郷……王都から馬車で半日ほどの距離にあるホルン村という場所なのですが、妹から最近村の様子がおかしいと手紙がございまして」


「おかしい、とは?」


「村の井戸水の味がおかしくなったのが、ひと月ほど前からのことだそうです。飲むと腹を壊す者が出始めまして」


「井戸水――?」


「それだけなら何かの原因で水源が濁ったのかもしれない。ですがその後、家畜の様子や――」


 クルトが言うには牛が乳を出さなくなった。鶏が夜通し鳴き続けた。羊が双頭一つ目の奇形を産んだ。花壇の花が一晩で全部黒く萎れた。不気味な話が次々と語られた。

 水質悪化、家畜や植物の異常。

 これは――


「……瘴気ね」


 口にした途端、クルトの顔が強張った。

 瘴気――大地を循環する女神の神気が気枯れ、澱み、腐敗したもの。

 これに触れた草木は枯れ、動物は病み、魔物が発生する原因となり、やがて人間にも深刻な影響を及ぼす――と、教会は説いている。


 まあリュシアが大嫌いな女神アルカ・エンテレケイア由来ということなので、それが純粋な自然現象ではないのは明白だ。

 私が知る原作設定でも深くは語られていないのだけど、この星で魔力と呼ばれるエネルギーの源となるナノマシンが何らかの影響で暴走し、悪性のものへと変質した状態が瘴気だとされている。

 なぜ、全知全能?の女神がそんなものを吐き出しているかというのは、ゲームでも語られていないし、設定資料集にも書いていなかった。


「やはり、瘴気なのでしょうか――」


「断言はできないわ。でも症状は典型的な瘴気汚染に一致する。本当ならまずは領主――ホルン村なら所轄は王都だから宮内府に届けて対処を求めるべき案件だけど……」


 言いかけて、クルトの表情を見て察した。

 きっとすでに届け出たのだろう。

 だが、未だに何の音沙汰もない――そんな表情だった。


「……届け出はしたのね」


「はい……村の代表者が訴えたのですが、担当の役人からは『調査の順番待ちだ、いずれ派遣する』と言われただけで……もう何週間も待っているのに、一向に派遣されないどころか連絡もないと」


 瘴気被害が疑われる状況で数週間も放置。

 信じがたいが、ジークハイト治世下の王都の行政ならあり得ない話ではないのかもしれない。


「伯爵様にご相談を持ち掛けるのは筋違いだと重々承知しております。ここは王都、アッシュフィールド領ではございません。伯爵様が陛下を差し置いて勝手なことをすれば、それがどんな善意からであっても咎められることになるかもしれない――」


「クルト」


 私は手を挙げて彼の言葉を遮った。

 確かに私が王を通さず独断専行は政治的に限りなく私に不利に働くだろう。


「あなたはうちの人間よ。アッシュフィールド家の人間が困っているなら、当主が動くのは当たり前のことだわ」


 クルトの目が見開かれた。


「し、しかし……それでは伯爵様のお立場が……」


「動くとは言ってないわ。ただ状況を把握しに行くだけよ。家中の者の親類が困っている、当主として話を聞きに行く。それだけのことで文句を言われる筋合いはないでしょう」


 ギリギリ私が動ける大義名分はある。

 アッシュフィールド伯爵として、家に仕える者の困りごとに耳を傾ける。

 極めて私的で、極めて当然の行為。

 面子が何より大事な貴族社会で、家中の者の大事に動かないのは当主の沽券に関わる。

 これを表立っての非難はできないはず。

 ……多分。


 ――ただし、もし現地で本当に瘴気が発生しているなら、「見に行っただけ」では済まない可能性がある。

 その時はその時だ。まずは目で見なければ何も判断できない。

 私はステラに目を向けた。


「いつ出る?」


「明日の朝。早い方がいいわ」


「ん。了解」


 それだけで十分だった。

 私はクルトに向き直る。


「クルト、ホルン村までの道筋を教えて。それと、妹さんのお名前と村での住まいも書き出しておいて。明日の朝、一番で出るから」


「――かしこまりました! ありがとうございます、伯爵様!」


 ぱあっと明るくなった顔のクルトは深々と頭を下げて部屋を出ていった。

 その背中が見えなくなってから、私は小さくため息を吐いた。


「……ステラ」


「何?」


「正直に言うと、これはちょっとありがたいのよ」


「ありがたい?」


「ええ。晩餐会までの間、この屋敷で手紙を書くだけの日々はどうにも性に合わなくて」


 ステラはほんの少しだけ呆れた目で私を見た。


「あのね、瘴気の疑いがある村に出向くのに『ありがたい』って言う領主はあんまりいないと思う」


「そうかしら。領地を離れてるとどうしてもそわそわするのよ。現場に行って、自分の目で見て、判断する。それが一番落ち着くの」


「……あなたらしいと言えば、あなたらしい」


 ステラの白い尻尾が小さく揺れた。

 それは呆れと諦めと、ほんの少しの安心が混じった揺れ方だった。

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