第51話 決戦!? 叙爵式(後編)
「――立て」
立ち上がる。
背筋を伸ばし、顎を引き、ジークハイトの目をまっすぐ見据えた。
対等に向き合う一瞬――ステラがそう教えてくれた瞬間。
だが、ジークハイトの口元には薄い笑みが浮かんでいた。
儀式の厳粛さとは異質の、品定めするような視線が私を上から下まで舐め回す。
「ご苦労――アッシュフィールド伯よ」
ジークハイトは玉座に戻らず、そのまま私の前に立ったまま口を開いた。
声は謁見の間全体に響く音量。聞かせるつもりだ。参列者全員に。
「叙爵の儀とは本来、王と臣下の絆を確かめる神聖な場である。しかし余は少々、疑念を抱いておるのだ」
来た……!
絶対に何か嫌味を言ってくるのは覚悟していたが、やっぱり来たか。
しかし、これも想定内の流れだ。私は顔色を変えることなくジークハイトの声を聞いた。
「アッシュフィールド伯は先王の崩御に際し弔問の使者すら寄越さず、余の戴冠式にも顔を見せなかった。続くヘルマンシュタインとの争いでは王家に一切の報告なく干戈を交え、教会の仲介で勝手に和睦を結んだ」
一つ一つ、釘を刺すような語り口だった。
参列者がしんと静まる。
「これらは不可抗力だったと聞いておる。余もそう理解しておる。――だが、世間というものはそう簡単に理解してくれぬものだ。そうは思わぬか?」
問いの形をした恫喝だった。
私の答えを求めているのではない。私が頭を下げるのを待っている。
「仰せの通りでございます。いかなる事情があろうと、結果として王家への非礼となったことは事実。この場をお借りしてお詫び申し上げます」
深く、しかし卑屈にならない角度で頭を下げた。
ちょんまげを真横に結って、顔を背けながら頭を垂れてやりたいがそこは我慢。
謝罪はするが屈服はしない。
「うむ。余は寛大な王ゆえ、過去のことにいつまでも拘泥するつもりはない。そなたが今後、忠節を尽くすのであれば余は温かく迎え入れよう」
自分で寛大とか言うな。
そうしてジークハイトの目が、ふと細められた。
「しかし――」
一拍の間。
視線が、私の頭の上に向けられた。
「耳付きのわりには美しいな、アッシュフィールド伯」
謁見の間が、一瞬だけ凍った。
美しいという言葉の前に置かれた枕詞が、その言葉から一切の好意を剥ぎ取っていた。
「余にはすでに正室となる婚約者がおるが――そなたほどの器量であれば、側室にしてやらんでもないぞ」
参列者の間に小さなどよめきが走った。
下級貴族たちは互いに目を見合わせ、何人かは露骨に視線を逸らしている。
壁際のブラックウォール公爵の目も僅かに揺らいだ。
微動だにせず表情も変えないが、視線だけがジークハイトから私へと移った。
バルモア公爵も一瞬目が泳いだが、柔和な微笑みは変わらない。彼は何も言わなかった。
だがその視線は主の爆弾発言を注視するように鋭く私を見つめた。
両公爵とも王の発言に思うところがあったようだ。
――戯れ。
ジークハイト本人にとっては、おそらくその程度の認識なのだろう。
辺境の小娘に声をかけてやる寛大な王。そのくらいの気分でしかない。
だからこそ質が悪い。
心の中で一つ深呼吸をした。
怒りは、ある。当然ある。
だけど今ここで感情に任せれば、それこそジークハイトの思う壺だ。
辺境の野蛮な耳付きが王の好意を無礼に突っぱねた――そういう構図を作られてしまう。
――だから。
「――畏れ多きお言葉にございます、陛下」
私は再び頭を下げた。
深く。ただし、今度は声に柔らかな微笑みを含ませて。
「しかしながら――陛下のお言葉を拝しまして、なおのこと畏怖の念を抱かずにはおれません。この身は東方の獣の血を引く卑しき耳付きの身でございます。かような血を王統にお混ぜすることは――王家の尊き血筋を穢すに等しい、あまりにも不敬な所業。臣下としてそのような大罪を犯すことは、とてもとても、できかねます」
謁見の間が、しんと静まった。
表面上は完璧な謙遜の形をとっている。
卑しい自分には身に余るお言葉です。とてもそんな大それたことはできません。
臣下として恐れ多いことでございます。
だが――その言葉の構造を読み解ける人間には、別の意味が聞こえたはずだ。
お前が“耳付き”と蔑んだこの身を側室にするということは、お前自身が忌み嫌う獣の血を王家に混ぜるということだと。
ジークハイトは一瞬だけ目を瞬かせた。
だがすぐに鼻を鳴らし、つまらなそうに手を振った。
「ふん。分をわきまえているのは結構なことだ。殊勝な心がけよ」
額面通りに受け取ったらしい。
どうやら彼の中ではもうこの話は終わったようだ。
だが私の切り返しの意味を嗅ぎ取った人間は確かにいた。
ブラックウォール公爵の目が、ほんの一瞬だけ――私の顔に留まった。
表情は鉄面皮のままだった。何を思ったのかは読めない。
しかし、あの一瞥には先ほどまでの“様子見”とは違う温度がほんの僅かに含まれていた。
バルモア公爵はかすかに口角が持ち上がっていた。
面白いものを見た、という顔。
どこまでこの出来事を気に留めるかわからないが、少なくともこの瞬間、彼の中で“アッシュフィールド”という名の優先度が一つ上がったはずだ。
「さて――もう一つ、伝えておくことがある」
ジークハイトが話題を変えた。その切り替えの速さに彼なりの処世術を感じる。
都合の悪い空気は、次の話題で上書きしてしまえばいいのだろう。
「近く、先代国王の喪が明けて初の宮廷晩餐会を兼ねた舞踏会を催す。王国に連なる諸侯として、アッシュフィールド伯にも出席してもらう」
招待ではなく命令の形だった。
だが、これは私にとっても悪い話ではない。
「光栄の至りにございます。謹んでお受けいたします」
「うむ。日程は追って通知する。――もう下がってよい」
最後まで尊大な態度を崩さない王に、私は礼に則った一礼をして退出した。
背中に突き刺さる視線を感じながら、赤い絨毯を来た時と同じ歩幅で戻る。
振り返らなかった。
謁見の間の扉が閉じた瞬間、ふう、と長い息を吐いた。
「……ふう」
肩の力が抜けるとどっと疲労が押し寄せてきた。
実際には三十分もかかっていないのだろう。でも精神的な消耗が凄まじい。
回廊を歩きながら額の汗を拭う。
と、背後から声がかかった。
「やあ、アッシュフィールド伯」
振り返ると、ふくよかな体をゆったりと揺らしながらバルモア公爵が歩いてきた。
謁見の間でずっと見せていた柔和な笑顔が、至近距離で私に向けられる。
「ご立派な式でしたな、若き伯爵。先代のご息女がこうも凛々しくお育ちとは、ベルンハルト殿もさぞお喜びでしょう」
耳に心地良い言葉。だが中身は空っぽの社交辞令の言葉。
先代の名を出すことで親しみを演出しつつ、私との縁を繋いでおこうという程度だろう。
「ありがとうございます、バルモア公爵閣下。お目にかかれて光栄です」
私も同じだけの空っぽの笑顔を返した。
社交の作法。中身のない言葉をいかに優雅に交わすかという技術。
「王都でのご滞在、何かとご不便もあるでしょう。お困りの折にはお声掛けくださいな」
「お心遣い痛み入ります」
バルモア公爵は満足そうに頷くと、「では」と軽く手を挙げて反対側の回廊へ消えていった。
社交辞令に一分もかかっていない。
あの男にとっては廊下ですれ違うのと同じ程度の出来事に違いない。
――でもこれでバルモア公爵とも「面識がある」ことにはなった。
カードとしては極めて薄い。でもゼロよりはマシだ。
控えの間に戻ると、ステラが壁に背を預けて待っていた。
私の顔を見た瞬間、白い耳がぴくりと立つ。
「お疲れ様。――どうだった?」
「つつがなく終わったわ。あなたのおかげで所作は完璧だった。ステラ先生には感謝しきれないわね」
ステラの耳がぴくっと揺れた。
照れているのだろうか。
「そう。それで……ジークハイトは?」
私は歩き出しながら、式後のやり取りをかいつまんで話した。
嫌味のこと。寛大な王アピールのこと。そして側室発言と、私の切り返しのこと。
「――で、側室にしてやらんでもない、ですって。笑っちゃうでしょう?」
軽い口調で笑い飛ばした――つもりだった。
だがステラの反応は予想と違った。
歩みが止まっていた。
振り返ると、ステラは数歩後ろで立ち止まったまま、私を見ている。
表情こそいつもの無表情だったが、尻尾が強張っている。
「……ステラ?」
「何でもない。行こう」
追いついてきたステラの横顔は、いつもの“ステラ”のそれに戻っていた。
でも――尻尾だけは、しばらくの間、ぎゅっと体に巻きついたままだった。
王宮を出ると午後の光が眩しかった。
叙爵の儀は終わり、私は正式にアッシュフィールド伯爵として承認された。
宮廷晩餐会、そして舞踏会。社交の戦場。
アッシュフィールド領にはしばらく戻れない日々が続くだろう。
「よおーし! 気合い入れていくわよリリアーネ!」
私は頬をぴしゃりと叩いて改めて気合を入れ直すのだった。




