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第43話 空っぽの墓碑への祈りと熱狂のアイドルライブ

 王都までは領都グレイヴィルから西に向かって約十日ほどの行程だ。

 基本的に移動は日中に行い夜の訪れまでに次の宿場町を目指すのが通常の旅程である。

 私が貴族でなく、冒険者とかそういう身分なら野宿の機会もあっただろうけど、さすがに伯爵ともあろう人間が街道の片隅で寝るわけにはいかない。


 とはいえ堂々と身分を明かしての旅行ではないので、宿場町につくたびにちょっといいところのお嬢様と従者のメイドという体で宿の受付をしていた。

 そして出立から三日目――今日の宿泊場所であるエルベ修道院にたどり着いたのは、ちょうど夕日が山の稜線にかかる頃だった。


 つい数週間前までは領有権を巡って戦場になっていたエルベ谷だったが、今はそんなことも感じさせないぐらい元の穏やかな夕暮れの風景があった。

 街道を進み、修道院の手前まで差しかかった時、ステラが御者台から声をかけてきた。


「リリアーネ、あれ」


 ステラが顎で示した先を見やると修道院の前の広場に人が集まっていた。

 だがそれは避難民の群れではない。

 木材を運び、布を張り、楽しげに声を掛け合いながら何かを組み上げている村人たちの姿だった。


 広場の中央には木造のステージの骨組みが立ち上がりつつあり、反対側ではグレイハウンド商会の半纏を着た若い衆が慣れた手つきで屋台の柱を組んでいる。


(これは――福音劇の準備かしら)


 馬車が修道院の門前に停まると、中から見覚えのある人影が駆け寄ってきた。


「おお、アッシュフィールド伯爵様! ようこそおいでくださいました!」


 修道院には事前に早馬で伝令を送ってあるので、私の来着を待っていてくれたのだろう。

 丸眼鏡をかけた司祭――フランツ司祭が出迎えてくれた。


「しばらくぶりですフランツ司祭。王都へ向かう道中なの。一晩、お世話になるわね」


「はい、客室をご用意いたしておりますので、どうぞごゆるりとお寛ぎください。先の戦の折には伯爵様のおかげで皆無事に戦火を逃れた恩をございますれば――」


「ふふっ、礼なら私よりもリュシアに言ってあげて。ここを攻めてきた傭兵団を無血投降させてしまったんだから」


 そして彼女のおかげで当の傭兵団は私が丸ごと雇い入れる結果となった。

 本当にリュシアさまさまである。

 フランツ司祭と言葉を交わしていると、広場の方から弾丸のように小柄な影が飛び出してきた。


「伯爵様ーー!!」


 猫耳をぴんと立てた修道女――シスター・アストリッドが、満面の笑顔で駆け寄ってくる。

 相変わらずの元気さと明るさで、思わず私まで破顔する。


「おひさしぶりです伯爵様! 今日来てくれるって知ってたらもっとちゃんとお出迎えの準備したのに!」


「急な立ち寄りだから気にしないで。――ところで、広場のあれは明日の公演の準備?」


「そうなの! 明日が福音劇の日なんです!」


 アストリッドの猫耳がぴくぴくと忙しなく動く。彼女は両手を握りしめ期待に満ちた目で私を見上げてきた。  


「伯爵様、明日の公演見ていってくれますよね!?」


「ええ、公演と知ったからには明日一日はここに滞在して明後日発つことにするわ」


「やったー!!」


 飛び跳ねて喜ぶアストリッドを見て、傍らのフランツ司祭が苦笑する。


「おかげさまで赤字続きだった修道院も、ここに来てようやく懐が温かくなりました。近隣の村人だけでなく、遠方の町からも見物にやってきていただけるほどになって……この上もなく有り難いことです」


「それはアストリッドの力よ。私は場を整えただけなんだから」


 その言葉は謙遜ではなく本心だった。

 仕組みを作るのは領主の仕事。でもその仕組みに血を通わせるのは現場の人間だ。

 アストリッドの歌に嘘や打算は一片もない。だからこそ人を惹きつけているのだろう。


「あの、あの、伯爵様。明日は特別にいい席を――」


「ふふ。ありがたいけどお忍びで観たいの。目立つと色々面倒だから」


「えー……そうですかあ。でも分かりました!」


 そう言ってアストリッドは「明日の練習がありますから!」と言い残して、来た時と同じ勢いで広場へ駆け戻っていった。

 嵐のような娘だ。でも不思議と疲れない嵐。


「……元気な子」


 ステラが珍しく感想らしい感想を漏らした。


 ※


 日が暮れる前に、私は修道院の裏手に足を向けた。

 ステラは数歩後ろを無言でついてくる。

 修道院の敷地の外れには石垣に囲われた墓地がある。

 古びた墓標が立ち並ぶ一角に、建立されたばかりの墓碑が十数基。


「…………」


 どれも――中身はない。

 ユーリ・クライチェク隊長を含む、エルベ谷防衛戦で散った兵士たち。

 攻城魔法の直撃は彼らを遺体すら残さず消し去った。

 だから墓碑銘だけがそこにある。名前と、生年と、没年。

 それだけが、彼らが確かにこの世に生きていたことの証として静かに刻まれている。


 私は先頭の墓碑の前に立ち、静かに目を閉じ、両手を胸の前で組み、祈る。

 この世界の作法に則った死者への祈り。

 女神が本当にいるかどうかは分からないけれど、どうか彼らの魂が安らかであるようにと。

 しばらくそうしていると、背後に控えていたステラが口を開いた。


「……感傷に浸るなとは言わないわ」


 抑揚の少ない、けれどいつもより慎重に選ばれた声。

 いつもより大人びた口調のステラ。


「でもね、リリアーネ。あなたの命令で人が死ぬたびにこうしていたら、あなたの精神がもたなくなる」


 ――分かっている。

 これからもっと多くの人が死ぬ。飢饉が来れば、内乱が起これば、この程度では済まない規模の死が降りかかってくる。

 その全てに祈りを捧げていたら私の心は確実に擦り切れる。


「……ええ。分かってるわ」


 それでも今日だけは、と思った。

 この人たちは私の最初の戦で失われた命だから。

 この痛みだけは覚えておきたい。忘れてしまったら……きっと取り返しのつかないものを失くす気がするから。


「今日だけよ。――次からはもっと上手くやる」


 それは覚悟ではなく祈りに近い言葉だった。

 実現できる保証はどこにもない。

 でもそう口にしなければ、この墓碑銘だけの墓の前から一歩も動けそうになかったのだ。


 ステラは何も返さなかった。

 ただ静かに、半歩だけ私の隣に寄り添った。

 それだけで十分だった。

 夕日が赤く染め上げる墓碑が影に塗り潰されるまで、私は静かに祈りを捧げていた。


 ※


 翌朝。

 エルベ修道院の広場は、前日の穏やかな準備風景から一変して圧倒的な熱気に満ちていた。

 近隣の村々から人が続々と集まり、広場は老若男女の人波でごった返している。

 子供たちがはしゃぎ回り、若者たちが屋台に群がり、老人たちは日向に敷かれた敷物の上で茶を啜りながら世間話に花を咲かせている。


 空気のすべてがお祭りの匂いだった。焼きたてのパン、煮込み料理の湯気、ビールの麦芽の香り。

 私はフードを目深に被り、ステラと共に一般客に紛れて観客席の隅に腰を下ろしていた。


「すごい人出ね」


「ん。これだけの集客が毎回なら、大したもの」


 ステラも珍しそうに周囲を見回し、私の横でぷらぷらと尻尾を揺らしている。

 当初は修道院の財政再建という小さな目標から始めた施策が、いつの間にかエルベ谷の一大行事に成長している。


 やがてフランツ司祭が舞台に上がり開会を告げた。

 歓声と拍手が広場を包む。


「――それでは皆様、エルベ修道院より祝福をお届けいたします。シスター・アストリッドの福音劇、どうぞ最後までお楽しみください!」


 フランツ司祭が袖に下がり、一瞬の静寂。

 そして――小柄な影が、弾けるようにステージへ飛び出してきた。


「みなさーん! こんにちはーー!!」


 猫耳の修道女アストリッド。普段の修道服をアレンジした装い。さすがに露出度は上げられないので可愛く煌びやかをコンセプトにしたステージ衣装だ。

 そして昨日の夕方に見せてくれたあの笑顔を、何百倍にも増幅させたような光が全身から溢れている。

 その姿を目にした瞬間、観客がわっと沸き上がった。


「今日も来てくれてありがとう! 女神様の祝福をいーっぱいお届けするよ!」


 両手を広げると、伴奏の音楽が鳴り響いた。

 修道院の聖歌隊が奏でる素朴だが心地良い旋律。そこにアストリッドの歌声が重なった瞬間。


(――ああ、これよ。これが欲しかった)


 彼女が歌い上げるのは、女神の慈愛を讃える福音歌。

 でも説教じみた教義の話なんかじゃない。

 今日も元気でいられること。隣にいる人が笑ってくれること。美味しいご飯が食べられること。


 そんな手の届く範囲の小さな幸福を、まっすぐな声と言葉で祝福する。

 気づけば周囲の観客は皆笑っていた。

 日に焼けた顔の農夫も、黒い修道服の老修道女も、赤子を胸に抱いた若い母親も。

 誰もがこのひとときだけは日々の辛さを忘れてただ笑っている。


 パンとサーカス。

 苦しい現実を束の間忘れさせる熱狂。

 いずれ来る飢饉と混乱の時代に備えて、あの日私がアストリッドに見出した役割はまさにこれだった。

 民衆統治のための冷徹な計算。


 でも――今、目の前にあるものはそんな計算を超えた場所にあった。

 人々は「政策の結果として」笑っているんじゃない。

 この歌が好きで、この場所が好きで、ただ純粋に笑っている。

 私の思惑がどうであろうとアストリッドの歌に嘘は一片もない。あの光は本物だ。


 不覚にも、鼻の奥がツンとした。

 昨日、墓碑の前でステラに「精神がもたなくなる」と釘を刺されたばかりだというのに。

 今度は正反対の感情で目頭が熱くなるんだから、我ながら情緒が忙しい。


 最後の曲が終わり万雷の拍手が谷に木霊する。

 アストリッドはぺこりと深くお辞儀をして、そして満面の笑顔で叫んだ。


「みんな、だいすきーー!!」


 私は涙ぐんでいた……反則だ。こんなの反則よ。

 何故だかわからないけど私の中に溜まっていた日々の瘧のようなものが、歌によって洗い流されるような心地。

 これが歌が持つ魔力なのだ。


「リリアーネ、泣いてる?」


「まさか……目にゴミが入っただけよ」


 ステラはそんな私を見て、ふっと表情を和らげる。

 私はフードの陰でこっそり目元を拭うのだった。


 ※


 公演の余韻が残る屋台の並びを冷やかしながら歩いていた時のことだ。

 屋台の喧騒からやや外れた場所に停められた荷車が目に留まった。

 荷台にはチーズの木箱とビールの樽が積み上げられている。荷札にはグレイハウンド商会の刻印。修道院との取引の荷だろう。


 そしてその荷車に背を預けて立っている二つの影。

 一人は見慣れた狼頭の男、イリヤ・ヴォルージン。

 もう一人は白い虎頭の偉丈夫。鉄の牙傭兵団の団長。――ハーラル・ラグナルソンだった。


 二人は並んで荷車に寄りかかり、腕を組んだまま広場の方をぼんやりと眺めていた。

 客席にいるわけでもなく、屋台を冷やかしているわけでもない。

 ただ遠くから、もう終わったアストリッドの歌の余韻に耳を澄ましているかのように。


「あら奇遇ね。イリヤ」


 声をかけると、狼頭の男はやや大げさに肩をすくめてみせた。


「よお、お嬢。あんたこそ奇遇だなこんな所で。俺は見ての通り修道院名物チーズとビールの買い付けだ。いやなにこいつは俺の思った以上にグレイヴィルで好評でな。仕入れたそばから飛ぶように売れやがる。これもお嬢のおかげというやつだな」


「へえ……ボス自ら買い付けて荷運びするほどなんだ。しかも、ついこの間雇ったばかりの傭兵団の団長――ハーラル団長もご一緒とは、ずいぶんと物々しい買い出しね。チーズとビールに護衛が必要なほど治安が悪いのかしら」


 隣のハーラルは黙って軽く一礼するだけだった。


「ま、おっさん同士の野暮用だよ。な? ハーラルさんよう」

「あ、ああ……まあ、そうだな」


 と、ハーラルはぎこちなく頷く。

 彼の琥珀色の瞳は私の後ろの――後片付けの解体中のステージに注がれているようだった。

 どことなく我ここに非ずな様子のハーラルに、ステラははぁとため息を吐いたかと思った――


 その瞬間。

 ――ヒュン、とステラは太ももに忍ばせていたナイフを抜くと、ハーラルに向けて無造作に投げつけた。


「ちょっ――!?」  


 突然の出来事に私もイリヤも絶句する中、ハーラルは反射的にナイフを人差し指と中指で摘んで止めた。


「……なんのつもりだ?」


「ん、隙だらけに見えたから……ちょっとした遊び心?」


 ハーラルの問いにステラが平然とそう返した。

 一瞬で周囲の空気が冷える。


(何やってんのよステラぁぁぁぁぁぁ!!)


「傭兵団の団長という肩書は伊達じゃないのね。その力、リリアーネのために存分に発揮して頂戴」


「無論、言われるまでもなく」


 えっ、何この強者同士のバチバチとした空気!?

 なんで「お前やるじゃねえか」とかやってるの!? なにそれ怖い!


「おほほほ……ハーラル団長、噂にたがわぬお力ですわ。さすがは鉄の牙の団長様。その腕前を我が軍に取り入れることのできたのは、まさに僥倖という他ありませんわ」


 冷えっ冷えの空気を誤魔化すように私は早口に捲し立てた。  


「伯爵殿……飼い犬の躾はしっかりしてもらいたいのだが」


「そ、そうですわね! それでは失礼しますわ! 行きましょうステラ! あ、ごきげんよう!!」


 私は半ば引きずるようにステラの腕を取ると足早にその場から立ち去った。

 もー、なんなのようステラのやつぅーー!

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