第41話 夜空を舞う鎮魂歌。そして悪役令嬢は魑魅魍魎うごめく王都へと召喚される
和睦協議が成立し、傭兵団『鉄の牙』と新たに雇用契約を締結するという戦の後始末をつけた日の夜。
エルベ砦は昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、篝火がぱちぱちと爆ぜる音のみが微かに響いていた。
砦の中庭には急造で設けられた祭壇。その前に並べられたものを見て私は奥歯を噛み締めていた。
祭壇の片側には遺体袋に詰められたヘルマンシュタイン軍の死者たち。
彼らは敵だったけど、形として確かに“そこ”にいる。
そしてもう片側には十数個の空っぽの棺――アッシュフィールド軍の戦死者を弔うための棺は、どれも空っぽだった。
『――承知いたしました! この命に代えましても!』
ユーリ・クライチェク隊長の声が耳の奥に蘇る。
敵の攻城魔法の直撃。高密度の魔力爆発は彼らの肉体も、血の一滴すらも残さずに消し去ってしまった。
だから、この棺には何一つ入っていない。彼らが戦ったという証すら、灰となって谷の風に消えてしまったのだ。
歴史通り今後内乱が勃発すれば、この程度では済まないくらいの死者を出すのだろう。
だが、いずれ来ると分かっていても、やはり目の前で起こった死は心を締め付けた。
完全勝利などあり得ない、そう割り切っていたはずなのに。
「――我らが母なる女神アルカ・エンテレケイアよ。どうか、この迷える魂たちを御身の御許へとお導きください」
静寂の中、透き通るような声が響いた。
祭壇の前に立つのは、純白の法衣を纏ったリュシアだ。
月明かりに照らされた彼女の横顔は、誰もが見惚れるほど神々しく慈悲深い“聖女”だった。
「戦は終わりました。ここにいるのは皆、女神の子。女神の子たちはみな死す時は平等であり、分け隔てはなく、等しく御許へと迎えられます……どうか安息を」
女神を信じることができない聖女リュシア。
それでも彼女は祈りが、信仰が、人々の足元を照らす光明なのだと分かっているのだろう。
だからこそ、その言葉に嘘偽りはなく死者の安息を願う。
きっと彼女は一生この矛盾に苛まれ、葛藤し続けるのだろう。
リュシアの祈りが終わり、彼女が一歩退くと今度は小さな影が進み出た。
エルベ修道院から駆けつけたシスター・アストリッドだ。
私が知っている天真爛漫で弾ける笑顔はそこにない。見慣れた修道女の黒衣も今日ばかりは戦死者を見送る喪服のようだ。
そういえば――彼女の父親疑惑のあるハーラル・ラグナルソンは「血生臭い傭兵に厳粛な祈りは似つかわしくない」と先に傭兵団を率いて砦を後にしていた。彼と彼女の関係は結局謎のままだ。
アストリッドは両手を胸の前で組み、目を閉じて静かに息を吸い込む。
そして、夜の闇に澄み切った歌声が響き渡った。
伴奏はなく、アカペラでゆっくりと歌い上げられる死者たちの鎮魂の歌。
それは悲しくて、美しくて。どこまでも純粋な鎮魂歌。
アストリッドの歌声に呼応したかのように、篝火の火の粉がふわりふわりといくつも舞い上がる。
無数の火の粉はまるで蛍火のように谷を舞い、やがて空高く消えていく。
それは死者の魂が天に昇っていくようで――
敵も味方も関係ない。
ただ、散っていった命を悼み、その魂の旅路が迷いなく母たる女神のもとへ辿り着くようにと願い、歌う。
私の隣には、ステラが音もなく寄り添っている。
彼女は何も言わない。慰めの言葉も、励ましの言葉も口にしない。
ただ「影」として、私が押し潰されないようにそこにいてくれる。
思えばずっとステラには助けられてばかりだ。
なのに私は彼女に何も返してあげられていない。
何不自由なく貴族の娘として育った私程度が、彼女が背負った悲しみ分かち合えるなんて到底思えない。
だが、それでも――
「ステラ」
「……ん」
「ありがとう」
「何の?」
「いろいろ、全部」
ステラは一瞬きょとんとしたように目を見開くが、すぐにふふっと微かな息を漏らした。
「そうね――今は寄り添うことしかできないけど、いつかリリアーネの背負うものを私にも預けてくれたらいいなとは思う」
その一言に私は胸の奥が温かくなる。
「その言葉は“ステラ”として? それとも“ユースティア”として?」
「ん、――両方よ」
ステラの返事に、私は小さく笑みをこぼした。
――いつの間にか、アストリッドの鎮魂歌が終わっていて、私たちの耳には風の音が優しく流れ込んでくる。
「……帰りましょう。私たちの家に」
私たちは踵を返す。
戦争は終わった。
私たちは勝利し、エルベ渓谷を守った。
それは確かな一歩だ。けれど、この戦いで失われた命が戻ってくることは決してない。
私は呑み込むのだ。勝者としてその喪失を。
※
砦を出立し、数日間の行軍を経て領都グレイヴィルへと帰還した私たちを待っていたのは、領民たちの歓声と見慣れた我が家の温もりだった。
「――お怪我がなくて、本当に何よりでございました……」
屋敷のホールで私の帰還を出迎えたヴェルナー。
いつもの冷静で瀟洒な老執事もこの時ばかりは感極まった様子を見せてくれて、何となく胸がこそばゆくなったものだ。
ヴェルナーは続いてステラへも視線を向け、深々と頭を下げる。
「ステラ殿……お嬢様の護衛の任、誠にご苦労さまでした」
「ん、今回の戦い。私のおかげだから」
「ほう? ステラ殿は一体どんなご活躍をなされたので?」
「ヘルマンシュタインを拉致して、強引にリリアーネとの会談の場を作らせた」
ヴェルナーが目を丸くする。
その表情が「いや、そんなバカな……」と言っている。
残念だけど紛れもない真実だ。
「ま、それ以上にステラは危うい私を救ってくれたのよ。領主として勝利以上に大切なものを守ってくれたわ」
ヴェルナーはそのことを深くは尋ねず、「左様でございますか」と頷いたのみだった。
領主としての責任と戦の犠牲の重みから、ただ敵将がいなくなればいいと安易な手段に手を染めようとした私を彼女は諫め、救ってくれた。それが今回の戦では一番大きなことだったかもしれないと、今になって思うのだ。
「お嬢様……此度の見事な采配、そして兵たちの被害を最小限に抑えられたこと、先代様も誇りに思われましょう」
最小限に抑えられたとはいえ、失われた命がある。
でも、ここで私が暗い顔をしては家を守ってくれた彼に報いることができない。
私は努めて明るく、いつもの『不敵な悪役令嬢』の顔を作った。
「そうね。お父様に褒めてもらうためにも、はいこれ。お土産よ」
「お土産、でございますか?」
私は分厚い書類の束をデスクの上にドサリと置いた。
ヴェルナーが不思議そうにそれを手に取り、一枚ずつ目を通し始める。
「まず一つ目が、ヘルマンシュタイン伯爵からの賠償金支払いの誓約書と、エルベ谷の永久割譲に関する同意書」
「ほほう……これはまた見事な額面で。それにエルベ谷の領有権まで……お嬢様、いや、当主様の手腕には恐れ入るばかりです」
「そしてもう一つが、ヘルマンシュタインに雇われていた傭兵団をまるっと引き受けてきた契約書」
金で雇われた傭兵とはいえ敵だった者たちを、さらにその傭兵団を無傷で雇用にするという結果はさすがにヴェルナーの表情を驚愕へと変えた。
「お、お嬢様……どうやってこの者たちを……?」
「いやー、私は向こうが雇ってくれと言って来たから、それに応えただけよ。まあ私というよりリュシアのおかげかな。とにかく――金と契約には誠実な連中よ。常備軍をゼロから急造するよりはお買い得だわ。というわけで経費の計算と彼らの駐屯地の手配、よろしくね」
私はにっこりと満面の笑みを作って指示を出す。
ああ、ヴェルナーとこういう会話をすると我が家に帰ってきたと実感するなあ。
「……お疲れ様、リリアーネ」
そんな私たちのやり取りの傍らで、ステラが静かにティーカップを差し出してくれた。
「ありがと、ステラ」
一口飲むと、張り詰めていた神経がゆっくりと解れていくのを感じる。
戦いの犠牲者たちの記憶が消えることはないけれど、今はこうして信頼できる者たちと平和な時間を共有できている。
「はあ……これで少しは、ゆっくりできるわね」
私がソファに深く腰を沈め安堵の息を吐いた、その絶妙なタイミングだった。
コンコン、とドアをノックされ、我が家のメイドの一人が顔を出す。
彼女は神妙な面持ちでヴェルナーに耳打ちすると、ヴェルナーの眉がピクリと持ち上げられた。
「お嬢様、少々席を外させていただいてもよろしいでしょうか?」
「何かあったのかしら?」
「……何やら、王都からの遣いが参っておるらしく――」
そう言ってヴェルナーはメイドと共に足早に出ていった。
数分後、ヴェルナーは盆の上に厳重に封蝋を施された手紙を載せて戻ってきた。
この紋章は――エーデルガルド王家の獅子だ。
「……王家の紋章」
嫌な予感しかしない。
私は無言で書状を受け取り、ペーパーナイフで封を切った。
さらさらと流麗な文字で書かれた内容に目を通すにつれ、私の表情は次第に険しくなっていくのが自分でもわかる。
「リリアーネ。……何て書いてあったの?」
「……お父様が亡くなってから今まで、私はあくまで『当主代行』という扱いだったでしょう? これはその正式な辞令よ」
私は書状を執務机に放り投げ、重い溜息をついた。
「王都へ来い、とさ。正式にアッシュフィールド伯爵としての爵位を授与してやるから、王宮での『叙爵式』に出席しろって」
ヴェルナーが顔を顰める。
ただの叙爵式なら名誉なことだ。だが、なんともタイミングが不吉だ。
今まで半ば無視されていたのに、急に叙爵の話を持ってきた。
私がヘルマンシュタインとエルベ谷を巡ってキナ臭い動きをしていたのは王家も把握していたことだろう。
そして私は王家の頭を飛び越えて、すでにヘルマンシュタインとの間に和睦協議を結んでいる。
それに私がリュシア・バルディーニという中央から左遷された聖銃騎士の司教とつるんでいることも伝わっているに違いない。
辺境の小娘がコソコソと何かやっている、というのは王家として面白くないのは間違いない。
叙爵の名目で私を呼び出し、釘の一本でも刺すつもりかもしれない。
王都エーデルシュタット。
それは腹に一物抱えた魑魅魍魎が蠢く貴族たちの伏魔殿。
出来れば関わりたくなかったものだが、王命である以上逆らうことは許されない。
「一難去ってまた一難、か。いいわ――ご丁寧なお誘いに喜んで応えましょう」
王家からの召喚状。
新たなる波乱が静かに始まった予感を肌に感じつつ、私は挑発するように笑みを浮かべるのだった。
これにて第一部完結です! これまでこの物語にお付き合い頂き本当にありがとうございました! 次話より第二部となりますので一層の応援をよろしくお願いします!




