第40話 敗者には適切な搾取を。悪役令嬢の戦後処理
戦争というのは、剣を収めた後の方がずっと面倒くさい。
血の匂いが消えた後には、必ず“金と権利”という生臭い泥仕合が待っているからだ。
けれど、今の私の目の前で繰り広げられているのは、泥仕合と呼ぶのも烏滸がましい滑稽な責任の押し付け合いだった。
「ええい! そもそもお前がワシを焚きつけなければこんな事にはならなかったのだぞ! どうしてくれる!」
停戦の翌日、エルベ砦の一室に急遽設けられた会談の席。
テーブルの向かい側で、ローマン・ヘルマンシュタイン伯爵は親の仇でも見るような目で隣の男を睨みつけていた。
睨まれているのは、ヘルマンシュタイン領の教区を束ねる司教――コッポラ司教だ。
コッポラ司教も、顔面を蒼白にしながらも負けじと言い返す。
「滅相もない! 私はあくまで、あの地が長年の係争地であるという歴史的事実に基づき、大義名分を提示したまでにございます! 実際に兵を動かしたのは閣下ご自身では――」
「うるさい! それがワシを焚きつけたと言ってるんだ!」
伯爵は、自分が寝間着姿のまま敵陣に拉致されたという最大の失態を完全に棚に上げ、今回の軍事行動の責任をすべて司教のせいにしようとしていた。
醜い内ゲバだ。私が内心でため息をつきかけたその時、隣で退屈そうに書類を眺めていたリュシアは顔を上げると、冷ややかな笑みを浮かべて言った。
「コッポラ司教の仰る通りですわ」
「なっ……」
予期せぬ援護射撃に伯爵は目を剥き、コッポラ司教は驚きと安堵の表情を浮かべる。
リュシアはコッポラ司教へチラリと流し目を送り、「貸し一つよ」とでも言わんばかりの恩を売ってから冷ややかな視線を伯爵へと戻した。
「実際に兵を動かしたのは閣下ご自身でしょう? しかも、あろうことか素性の知れない傭兵団まで雇って、敬虔なる聖職者が住まうばかりか、戦火を逃れた避難民が身を寄せ合う修道院までも襲撃しようとした――」
「そ、それは……」
「そのような恐ろしい行為、教皇庁の耳に入ればどうなることやら……無益な口論はそろそろお止めになった方がよろしいのではなくて? 同じ聖職者として、これ以上あなたたちの見苦しい言い訳を聞くのは胸が痛みますわ」
リュシアが『教皇庁への報告』をちらつかせた瞬間、伯爵はカチコチに凍りついた。
地方領主にとって、教皇庁からの破門は社会的な死に等しい。
(リュシアらしいわね)
修道院への襲撃未遂を盾に原因は伯爵だぞと認めさせコッポラ司教にも貸しを作る。
私はリュシアの生臭い政治手腕に内心拍手を送る。
ほんと私以上に悪役令嬢の素質あるんじゃないかしら?
私は二枚の羊皮紙をテーブルの上に置いた。
「では、責任の所在もはっきりしたところで、今回の『不当な軍事行動』に対する和議の条件をまとめましょうか」
パチンと扇子を閉じてそう宣言すると、伯爵の肩がピクリと跳ねた。
「まず第一に、エルベ谷およびエルベ修道院は、永久にアッシュフィールド家の領地・管理下であることを認めること。これには教会側の承認も得ております」
リュシアがニコリと笑う。コッポラ司教は恩を売られた手前もはや異論など挟めず無言で何度も頷いた。
「第二に、今回の騒動の迷惑料および砦の修繕費として、ヘルマンシュタイン家から我が家へ賠償金をお支払いいただきます。金額は――」
その数字を聞いた瞬間、伯爵は目をひん剥いた。
「そ、それでは今年の税収が……!」
「払えないとおっしゃるのなら、それでも構いませんわよ? 寝間着姿で攫われ晒し者になったお話をあることないことふんだんに盛って、王都の諸侯や教皇庁にご報告申し上げますので。ええ、そうなればあなたの『名誉』なぞ地に堕ちましょう」
「うぐ……ッ……」
伯爵はうなだれ、唇を噛みしめる。
そうなれば今後何代にもわたってヘルマンシュタイン家は貴族社会での立ち場を完全に失うだろう。
「……わ、わかった……払おう……」
ギリッと歯を食いしばり、伯爵は震える手で羊皮紙にサインをした。
私が提示した賠償金の額は、決して払えない額ではない。
領地の財政に大きな風穴を開け、彼に「痛い出費だった」と骨身に染みて後悔させるには十分すぎる額。だが、領地が破産するほどではない。ここが重要なのだ。
莫大な賠償金をふっかければ彼は絶望し「どうせ破滅するなら、小娘を道連れにしてやる」と破れかぶれの再侵攻を引き起こしかねない。あるいは過酷な取り立てを恨んで、将来必ず厄介な火種になる。
だからこそ相手に「痛い出費だったが、命と面子が守られたから良しとしよう」と、無理やり自分を納得させるだけの余地を残してあげる。生かさず殺さずのラインを見極めるのが領主としての正しいリスク管理だ。
「賢明なご判断、痛み入りますわ。ではこれにて和議は成立ね」
私が羊皮紙を回収し、優雅に微笑みかけたその時だった。
「……リリアーネ」
ずっと私の後ろに控えていたステラが、微かな声で耳打ちをしてきた。
「『鉄の牙』の団長がお嬢様に直接話をしたいと要求してきている」
(……傭兵団の団長が、私に?)
※
和睦が成った私はヘルマンシュタイン伯爵とコッポラ司教をさっさとお引き取り願った後、司令室にて傭兵団“鉄の牙”の団長に会うことにした。
そろそろ一息入れて甘いものでも食べたかったのだが仕方ない、まずは団長とやらと面会しよう。
待っていると扉が開かれ、拘束を解かれた大柄な男が室内に通された。
白い虎の顔を持った北方系の偉丈夫。一昨日エルベ修道院の制圧に向かい、リュシアによって無血開城ならぬ無血投降を果たした傭兵団『鉄の牙』の団長、ハーラル・ラグナルソンだ。
(ハーラル、ねえ……)
私はその名前を頭の中で反芻し、エルベ修道院にいる一人の猫耳シスターの顔を思い浮かべていた。
――アストリッド・ハーラルスドッティル。
ノルドヘイム系の命名規則に従えば、彼女の姓は「ハーラルの娘」を意味する。
目の前に立つ白虎の男と、天真爛漫な猫耳シスター。同じ北方系の人種の名前と種族特徴にただの偶然とは思えない繋がりを感じてしまう。
(まさか、親子? ……だとしたら、娘がいる修道院を襲撃しようとしてたってことになるけど――)
もしそうならずいぶんな因果で笑えない話だ。
しかし、今の私はそれを尋ねる立場にない。それにビジネスの場に初対面の人間のプライバシー詮索するような趣味もない。
私は湧き上がった好奇心を、紅茶と一緒に飲み下した。
「……アッシュフィールド伯爵。突然の面会要求に応じていただき感謝する」
低い声で一礼するハーラルに対し私は優雅にカップを傾けながら、あえて少しだけ冷たい視線を向けた。
「ええ。それで私にどのようなご用件かしら? まさか、命乞いに来たわけではないでしょうけど」
「まさか。俺たちは傭兵の流儀に従って投降し、そちらも俺たちを捕虜として丁重に扱った。戦は終わったのだからな」
「なら、何の話かしら?」
「――俺たち『鉄の牙』を、アッシュフィールドで雇わないかと思ってな」
その堂々とした提案に私は思わず目を瞬かせた。
背後に控えていたステラも、微かに呆れたような面白そうな息を吐くのが聞こえた。
「あら、ずいぶんとちゃっかりしているのね。未遂とはいえつい先ほどまで私の領地の修道院を襲撃しようとしていた軍勢の将が、自分の売り込みとは」
私がチクリと嫌味を刺しても、ハーラルの虎面は全く悪びれる様子がない。
「禍根を残さず戦は終わったんだ。傭兵として、力があり金払いの良さそうな次の雇い主候補に売り込みをかけるのは当然だろう」
あっけらかんと言い放つその態度は、図太いというより清々しいほどだった。
確かに彼の言う通りだ。戦場で私怨を持ち込まないのはプロの条件。だが信用できるかどうかは別の話だ。
「……ヘルマンシュタインとの契約はどうするの? 雇い主が負けた途端に寝返るような傭兵を私が信用するとでも?」
試すように尋ねると、ハーラルは琥珀色の目を真っ直ぐに私に向けた。
「戦が終わったのだから契約は終了だ。寝返ったわけではない。――だが、修道院制圧という依頼は果たせなかったからな。受け取っていた前金から経費を差し引いた分は、きっちりヘルマンシュタインに返すつもりだ」
その言葉に、私は内心で少しだけ驚いた。
そんな前金などどさくさに紛れて着服してしまえばいいものを、失敗した依頼の金は律儀に返すと言う。
(……なるほど。契約と金に対しては、この男は信用できそうね)
私は頭の中で素早く算盤を弾く。
私が創設した即応部隊“灰狼”は確かに強力な部隊に育ちつつある。
だが少数精鋭と言えば聞こえがいいが、これから来る飢饉と内乱の時代に備えて軍の規模を拡大するとなると、常備軍は人件費や維持費という固定費が重くのしかかってくる。
平時に常備軍は金食い虫なのだ。
だからこそ、徴兵軍よりは練度が高く、常備軍よりはコストを抑えられる傭兵は古くから重用されてきたわけである。
有事の際や特定の任務の時だけ金を払えばいい傭兵は、金喰い虫の常備軍を拡充するより遥かに安上がりだ。
……悪くない。いや、むしろ今の私に一番必要な手駒かもしれない。
「ところで――エルベ砦で戦うこともせずに投降したのはなぜかしら?」
「……契約には『聖銃騎士と戦え』なんて一行も書いてなかったのでな。知っていたら絶対に受けん。俺は団長として部下を勝ち目のない無謀な戦いに駆り出したりはしない」
ハーラルが渋い表情で呟いた。
契約不履行は今後の信用という面では痛いが、そもそも傭兵程度ではどうにもならない相手が出てくれば契約外として突っぱねるのもビジネスのうち。死んでしまえば次の商売もないのだ。むしろ正しい判断といえよう。
「ふふっ……」
私は扇子を口元に当て、思わず笑みをこぼした。
「いいわ。その図太さと、金に対する誠実さは評価してあげる」
「……では」
「ええ。アッシュフィールドはあなたたち『鉄の牙』を雇用しましょう。契約金と今後の報酬体系については、後でうちの執事とすり合わせてちょうだい」
「ありがたい。アッシュフィールドの若き狼の期待に、我ら『鉄の牙』の働きで応えよう」
ハーラルが深く頭を下げる。
こうして私は、ヘルマンシュタインから巻き上げた賠償金とエルベ谷の領有権に加え、五十人の強力な『牙』をも戦利品として手に入れたのだった。




