第36話 愚者には死を、賢者には紅茶を。黄金の殲滅天使は問う
太陽が西の山の稜線に沈み始め、谷に刻まれた影は急速に濃さを増していた。
夕闇が紛れ込む森の獣道。そこを疾風のように駆け抜けていく集団がある。
ヘルマンシュタインの正規軍と異なる漆黒の鎧を身にまとった一団。
先頭を行くのは白い虎の頭部を持つ、北方系の偉丈夫――ハーラル・ラグナルソン。
彼が率いる傭兵団『鉄の牙』は、主に北のノルドヘイム出身者を中心として構成されている中堅の実力派傭兵団である。
ハーラルは背負った大剣の感触を確かめながら、ハンドサインだけで部下たちに停止を命じた。
(……チッ、正規軍を正面の砦で囮にして、裏から女子供を狙うか。ヘルマンシュタインの伯爵様も随分と趣味が悪いこった)
眼下に見えるエルベ修道院は、すでに夜の帳に包まれようとしている。
今回の依頼内容は「修道院の制圧」および「人質の確保」だ。
ハーラルにとってこの手の汚れ仕事は気乗りはしないが、そこはプロの傭兵として割り切っている。
契約書にサインしたからには、依頼通り粛々と任務を全うするだけ。それが傭兵の流儀。
ハーラルは声を潜め、部下たちに短く告げる。
「俺たちは誇り高き『鉄の牙』だ。飢えた野盗とは違う。無抵抗の修道女や避難民に手を出すな。女を犯すことも、金品をくすねることも俺が許さん」
部下たちが無言で頷くのを確認し、ハーラルは琥珀色の鋭い双眸を細めた。
「だが――もしも鍬や鎌を持って俺たちの前に立ちはだかるなら、そいつはもはや農民ではなく『戦士』だ。敬意をもって、苦しませずに首を刎ねろ」
それがハーラルの流儀だった。慈悲とは見逃すことではない。
戦う意志を持つ者に対し、対等の敵として全力で引導を渡すことこそが、戦場における最大の礼節だ。
「行くぞ。音を立てるな」
月が昇り、青白い光が獣道を照らしている。
夜の静寂に、漆黒の一群の呼気が白く煙ってたなびく。
五十の北方の獣は影のようにエルベ修道院へと迫る――
※
森を抜け、修道院のすぐ近くまで来た一群。
いつの間にかに背後の砦から断続的に聞こえる砲声は止んでいた。
決着が付いた――? 否、夜が訪れたためお互い仕切り直しの状況になったのだろうと、ハーラルは冷静に分析する。
明朝になれば、砦をめぐる争いは再び始まるに違いない。
一方で、エルベ修道院は異様に静まり返っていた。
修道院の後方には避難民を受け入れた天幕がいくつも張られているものの、生活の場が戦場になった避難民の混乱の喧騒がここまで聞こえていてしかるべきであるのに――
(待ち伏せか――? 否、アッシュフィールド伯に修道院の防衛に割ける余裕があるはずがない)
ハーラルの見立てでは砦の守備隊はアッシュフィールドが出せる戦力の限界。
正面に戦力を注ぎ込みきった現状で、修道院の防衛にまわせるほどの予備兵力を有しているとは思えない。
(だが、この静けさ――)
修道院の周囲には明らかな戦力は見られない。ならば制圧は一瞬で完了するだろう。
だが、それでも嫌な空気は肌がピリつくほどにはっきり感じ取れる。
理屈ではなく、歴戦の傭兵としての嗅覚がエルベ修道院に渦巻く“重さ”を感じ取っていた。
「……団長、あれを」
副長が指差す先を見て、ハーラルの虎面は眉間の皺を険しく歪ませる。
修道院の正門前。そこにはバリケードの代わりに純白のテーブルセットが一組、鎮座していた。
そして椅子には、一人の女性聖職者が優雅に腰掛け、月明かりの下で湯気を立てるティーカップを傾けていた。
白いヴェールと法衣、その装いはおそらく司教位の女。
金髪の下から垣間見える顔立ちは、ぞっとするほど整っている。
だが、その姿はあまりに異常すぎる。最前線の砦はつい先刻まで硝煙を上げていたというのに――戦闘の匂いなどまるで知らないといった様子の女司教がただ退屈そうに紅茶を啜っていた。
(……ハッタリか? それとも、罠か?)
どんな時でも冷静さを失わないのが傭兵の世界で生き抜く鉄則だが、女司教から発せられるただならぬ雰囲気に、ハーラルの背中に冷たいものが伝い落ちる。
だが、ここで足を止めるわけにはいかない。
相手が異様だから踵を返して帰還するなど、傭兵として許されるはずもない。
(ええい、ままよ)
ハーラルは覚悟を決めて配下と共に正門前に歩みを進める。
ザッザッと地を踏みしめる無数の靴音を響かせ、彼らは女司教の視界に姿を見せる――
「夜分にすまない、司教様」
ハーラルの野太い声が、夜の闇に響き渡った。
「我ら『鉄の牙』傭兵団。ヘルマンシュタイン伯爵の命により、この修道院を管理下に置くために参った。大人しく門を開け、中の者を広場に集めてもらいたい。無抵抗ならば、誰の血も流さないと誓おう」
ハーラルが見せる最大限の譲歩と同時に警告。
これが受け入れられなければ、やむを得ないが実力行使で門を破り、抵抗する人間を排除して制圧するしかない。
しかし、純白の法衣を纏った女司教――リュシア・バルディーニはカチャリとカップをソーサーに戻すと、心底面倒くさそうに虎面の偉丈夫を見上げた。
「あら、こんばんは。いい夜ですわね……こんな夜は月明かりの下、優雅にお茶会としゃれ込みながらゆるりと待ち人を待つのも風情というもの。あなた方が私の『待ち人』でしょうか?」
「悪いが司教様、戯れ言を聞いている暇はない。これが最後通牒だ。大人しく門を開いて中の者を裏庭に集めてもらおう」
ハーラルは大剣に手をかけ、いつでも抜き放てるように構えている。
だが、リュシアは気にする風もなく、優雅に足を組み替えただけだった。
「はぁ……無粋な傭兵ですこと。ノルドヘイムのドラ猫は茶を嗜む風流も知らぬとみえますわ」
挑発ですらなく、ただただ“無関心”。
五十の傭兵に囲まれているというのに、リュシアの表情には怯えも怒りも、ましてや恐れすら浮かんではいない。
「門を開けるつもりはないと?」
「開ける必要がないと言うべきですわ」
それは明確な“拒絶”の言葉。
交渉決裂――ならば、もはやこれ以上言葉を重ねる必要はない。
丸腰の女を斬るのは趣味ではないが、これも任務だ。
「……残念だ」
ハーラルは短く呟き、背中の大剣に手をかけた。
丸腰であるにもかかわらずその瞳に宿るのは死を覚悟した悲壮感ではなく、絶対的な強者のごとき冷徹さ。
その立ち振る舞いに免じて、打ち倒す『敵』として敬意を払おう――
「その度胸に免じて、苦しまぬよう一撃で送ってやる。お前が死ねば、ここの人間も門を開けるしかあるまい」
ハーラルが殺気を放ち、部下たちに合図を送ったその瞬間だった。
「度胸? ……違うわ」
リュシアが冷ややかな笑みを浮かべた。
先ほどまでのたおやかな淑女のそれではない。まるで氷雪のような、酷薄な表情。
「――これはただの『慈悲』よ。“我らが母なる女神よ。御身の御名において、我に裁きの力を与え給え――”」
彼女は立ち上がり両手を軽く広げる。
瞬間――世界が黄金に染まった。
魔法陣ではない。詠唱による魔力の放射でもない。
彼女の白い肌から、蛍火のような、あるいは砂金のような無数の“光の粒子”が立ち昇ったのだ。
<<――バイオメトリクス、確認>>
「な、なんだ!? 誰だ!?」
部下たちが狼狽して周囲を見回す。だが、声の主はどこにもいない。
その冷徹で無機質な女の音声は、リュシアの身体から溢れ出る光そのものから響いてくるようだった。
<<ユーザーID:Ex-013 "Lucia"。コード・マスティマ、接続――権限承認。対人戦闘および殲滅行動を許可>>
ハーラルの背筋を、冷たい汗が伝う。
言葉の意味は半分も分からない。だが、その声のトーンが告げている内容は本能で理解できた。
これは――「処刑執行の合図」だ。
<<聖銃――“慈悲”および“愛”――構築開始>>
ザァァァァ……ッ!
虚空の声の宣言と共に、黄金の粒子が吹き荒れる。
それは渦を巻き、リュシアの両手へと集束する。
光は形を成して、虚空より顕現する――魔導回路が刻まれた無骨で重厚な黒と白の長銃へと。
リュシアは二挺一組の散弾銃――ピエタ&カリタを、まるでその重さを感じさせぬ動作で両手に構える。
その銃口は、まっすぐにハーラルたちに向けられていた。
<<戦術分析開始――対象、敵性多数。脅威レベル、低。殲滅完了まで――30秒未満>>
「聞こえたかしら? 忌々しい女神様は『あなたたちは30秒もかからず駆除できる羽虫』だと言ってるわよ」
ガシャン。
二挺の聖銃のセーフティーが外される乾いた音が、凍てついた空気を切り裂いた。
直後、リュシアの背後で粒子の残滓が爆発的に広がり、黄金の光翼と頭上に輝く光輪を形成する。
<<セーフティ解除。殲滅モードへ移行します>>
圧倒的なプレッシャー。金色の神気。
それはまさに女神が遣わせた異端を一人残さず鏖殺する殲滅天使。
神々しくも禍々しいその姿は、人の形をした怪物――
「聖銃……それに、その姿……聖銃騎士だと!? そんなバカな――」
ハーラルの呻くような声。
リュシアは冷徹な眼差しで、テーブルの前の地面に鍬で引かれていた一本の線を顎でしゃくった。
「あら? 田舎者のドラ猫でも私が何なのかは知ってるみたいね。なら、あの線を跨ぐ意味もわかるわよね? ええ、武装したまま一歩でも越えれば、『異端』と認定して神罰を下す」
彼女の背後で、迸る粒子を纏った金色の翼が揺らめく。
「……さあ、選びなさい。戦士として肉片となって赤い雨を降らすか、賢明な人間として生きるか」
ハーラルの脳内で、思考が高速で回転する。
戦士としての矜持? 契約の履行?
否。
否。
否だ。
相手は教会最高戦力、聖銃騎士。
単騎で千の兵を鏖殺せしめる殲滅兵器。
こちらはたった五十の傭兵。勝機は万に一つも存在しない。
戦えば、周りの草木にばら撒かれる細切れの肥料になり全滅する。
何より――ヘルマンシュタインと交わした契約書に「聖銃騎士との戦闘」など、どこにも書かれていない。
これは完全な想定外、契約外の戦闘行為。
ハーラルがとるべき行動はひとつしかない。
指揮官として選ぶべき道はひとつしかない。
「……全員、武器を捨てろッ!!」
ハーラルは叫び、真っ先に自らの愛剣を地面に放り投げた。
部下たちが動揺する中、彼は両手を高く挙げて降伏の意思を示す。
「団長ッ!?」
「抵抗するな!! 戦えば俺たち全員修道院の肥料になるぞ!」
その悲鳴にも似た命令に部下たちもバラバラと武器を捨て、その場に膝をつく。
圧倒的な暴力の具現を前に、ハーラルの戦意など消し飛んでいた。
「……賢明な判断ね。おかげで掃除の手間が省けたわ。この私に聖銃を撃たせなかったことを誇るといいわ」
リュシアがふっと息を吐くと、聖銃と光翼が再び黄金の粒子となって霧散し彼女の体内へと吸い込まれていく。
まるで最初から何もなかったかのように。そのあまりに超常的な光景にハーラルは深い溜息をついた。
「……負けだ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「カルロスさん、イリヤさん。お客様よ――拘束して丁重にもてなしてあげて。五十人分のお茶とお菓子をお願いね」
門が開き、麦の穂とグレイハウンド商会の男たちが、顔を見合わせながら出てくる。
彼らは恐る恐る、無抵抗の傭兵たちを縄で拘束していく。
「前線の戦闘が終わるまでしばらく逗留してもらうことになるけど、くれぐれも、変な気は起こさないように。まあ? 聖銃騎士を前に変な気を起こせる命知らずはいないでしょうけど」
「俺だってこの道で長くやってきてる。絶対に勝てない相手に無謀な戦いをする愚かな真似はしない」
「……そう。団長さん、名前は?」
リュシアは事務的に問う。
「『鉄の牙』団長、ハーラル・ラグナルソンだ」
「私はリュシア・バルディーニ。聖銃騎士十三位にして、アッシュフィールド教区の担当司教よ」
ハーラルという名にリュシアは聞き覚えがあるような気がした。
はて、どこだっただろうか……つい最近そんな名前をどこかで耳にした気がするのだが。
(まあいいわ……修道院は無血で守った。あとはリリアーネ、あなたの番よ)
夜の闇に包まれた谷の底、リュシアは砦がある方角を見つめた。
聖銃を展開して、初めて撃たずに戦闘を終えられたことにほっと胸を撫で下ろしながら――
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