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第35話 一時の勝利は、どうしようもなく血の味がした(後編)

「ぅく……ッ」


 生まれて初めて五感で味わう生の戦争。人が死ぬのは覚悟していたはずだった。

 それなのに。

 それなのに――!

 吐き気がする。叫び出したい恐怖が喉まで出かかる。  

 でも、ダメだ。私は領主だ。私がここで折れてはいけない。


「……次が来るわ。急いで魔導兵を叩くわよ」


 私は震える拳を握りしめ、自分に言い聞かせるように声を絞り出した。  

 涙を流すのは、全てが終わってからだ。  

 今はただ、後方からコソコソとミサイルを乱射する魔導兵だけに意識を集中しろ。


 カラスの視界に集中する。

 魔力の反応がある場所へと視線を向ければ、フードを目深に被った魔導兵が再び詠唱を始めていた。


 させるものか――!


「――レオニス! 私の使い魔が敵の位置を捕捉したわ! 私と、使い魔の魔力の軌跡を追って! その先にいる黒ローブが魔導兵よ! 絶対に撃ち抜いてッ!」


「了解。煙の向こうだろうが敵陣奥深くだろうが、お嬢様が指さしてくれりゃあ、百発百中でブチ抜いてやるよ――!」


 強化弓兵たちは私がマークした魔導兵に向けて一斉に長大な弓を引き絞り、番えた。

 ギチギチと鋼鉄のワイヤーのような弦が軋む音と共に、魔力によって強化された彼らは凄まじい力と精密さで照準をつける。


「――吹き飛びな」


 レオニスの声と共に、空気が震えるほどの弦音が轟いた。

 放たれた杭にも等しい長大な矢。 

 魔力によって極限まで筋力を強化された強化弓兵たちが放つ特注の太矢は、目にも留まらぬ高速で敵陣を駆け抜け、標的へと迫る。  


(視えろ――!)


 カラスの視界を通して、着弾の瞬間を見る。  

 刹那、三発目の攻城魔法を放とうとしていた魔導兵の上半身が宙を舞った。


 周囲の兵たちが、何が起きたのか理解できずに呆然とする。  

 仲間の胴体が一瞬にして真っ二つに両断されたのだから。  

 対物ライフルもかくやという運動エネルギーの塊は、肉体を紙細工のように引き裂き、背後の大木に深々と突き刺さっていた。


「いっちょ上がりっと。北側の連中も沈黙させたぜ」


 レオニス軽い報告。  

 カラスの視界でも二ヶ所の魔力反応が完全に途絶えているのを感じ取っている。

 次射の兆候は無し、ヘルマンシュタインの切り札は――潰した。


 そうだ。これで最大の脅威である攻城魔法(ミサイル)は排除した。

 私が恐れるのはミサイルによる城壁の破壊ではない。こちらが寡兵ゆえに、ミサイルの直撃を食らえば戦力を一瞬にして持っていかれてしまうことを何よりも危惧していた。


 残るは攻めあぐねている歩兵と騎兵の群れだけ。

 レオニスたち強化弓兵は、身なりの良い指揮官を見つけ次第狙い撃ちしている。

 目の前で指揮官が杭のごとき矢で粉砕される様を何度も目の当たりにして、彼らは明確に士気と足並みを乱しはじめていた。


 一進一退――いや、一方的な消耗を強いられる敵軍の勢いは、時間の経過と共に目に見えて衰えていった

 いわゆる、ジリ貧だ。  

 決定打を欠いたまま出血だけを強いられる状況に、ついに敵本陣から陣太鼓の音が響いた。

 それが、後退の合図だった。


「……引き上げていくわ。どうやら今日は、これで終わりみたいよ」


 夕闇が迫る谷底へ向けて、ヘルマンシュタイン軍が潮が引くように後退していく。  

 捨て台詞のように騎兵が何かを叫んでいたが、私はもはや聞き取る気力もなかった。


 空は赤く、まるで流された血を映したように染まっている。  

 初日の攻防は、私たちが守り切った。  

 けれど城壁の上には硝煙の匂いと、そして鉄錆のような血の匂いが充満していた。


「……終わった、のね」


 張り詰めていた糸が切れ、私はその場に膝をついた。  

 一先ず砦は守られた。  

 でも、その代償として支払われたものの重さがずしりと私の心にのしかかる。  

 司令室に戻ろうと立ち上がった時、通路の向こうから、一人の兵士が駆け寄ってくるのが見えた。  

 北側の守備についていた兵士だ。鎧は煤け、顔半分は血と泥で汚れていた。


「――報告します!」


 兵士は私の前まで来ると、崩れ落ちるように膝をついた。  

 その目には、抑えきれない涙が溜まっている。


「北壁守備隊……死者14名――」


 兵士は言葉を詰まらせ、それでも懸命に声を絞り出した。


「ユーリ・クライチェク隊長は戦死なされました……ッ!!」

「……っ!」

「遺体は……その、魔法の直撃を受けたため、回収できたのは装備の一部のみで――指揮は、次席の私が引き継いでおりました……」


 予想していた最悪の報告。  

 けれど、実際に言葉として突きつけられると、心臓を素手で握りつぶされたように息が出来なくなる。


 あの真面目な隊長は、もういない。

 昨日まで、当たり前にそこにいてくれた人たちが――いない。  


「……そう。よく報告してくれたわ」


 私は震える手を隠すように、強く拳を握りしめた。  

 泣いてはいけない。今はまだ。


「あなたはよくやってくれたわ。指揮を引き継いで、部隊を立て直して――よく耐え抜いてくれました――」


 兵士は涙を流しながら敬礼し、よろめきながら戻っていく。  

 私はその背中を見送りながら、夜の帳が降りつつある空を見上げた。


 これが戦争。これが、私が選んだ道――

 一時の勝利の味はどうしようもなく血の味がした。


「閣下!」


 感傷に浸る時間さえ、戦場は与えてくれないらしい。  

 息を切らせて駆け込んできたのは、後方の見張りを担当していた別の兵士だった。  

 その顔色は蒼白で、ただならぬ事態が起きていることを物語っていた。


「どうしたの! 敵は退いたはずじゃ――」


「ほ、本隊は後退しましたが……斥候より急報! 敵の別動隊と思われる一団が、獣道を抜けて後方の修道院へ向かっているとのことです!」


「なっ……!?」


 私は思わず息を呑んだ。別動隊だと? 

 この険しいエルベ谷で、本道以外を通れるルートなんて――


「まさか、猟師しか使わないような獣道を使ったというの!?」


「数は約五十! 軽装の歩兵中心とのことですが、このままでは一時間もしないうちに修道院へ到達します!」


 血の気が引いていくのがわかった。  

 修道院には、近隣から避難民がいる。非戦闘員の老人や子供ばかりだ。

 そこに武装した兵士が雪崩れ込めば、どうなるか。  

 略奪、虐殺、人質――最悪の光景が脳裏をよぎる。


「リリアーネ、守備隊から人員を割く?」


 ステラが問う。  

 私は――唇を噛み締め、首を横に振った。


「……ダメよ、無理だわ。私たちが兵を動かした瞬間、間違いなく反転して砦に雪崩れ込んでくる」


 ヘルマンシュタイン軍は切り札を失いジリ貧とはいえ余力を残している。  

 対してこちらは、ユーリたちを失い疲弊が募る三百足らず。  

 ここから修道院へ人員を回せば、砦の防衛線は崩壊する。  

 砦が落ちれば、結局は修道院も領地もすべて終わりだ。


 つまり――援軍は出せない。修道院は孤立無援だ。


「そんな……じゃあ、見捨てるんですか!? あそこには俺たちの家族も避難してるんです!!」


 伝令の兵士が悲痛な叫びを上げる。  

 その言葉は、私の心を刃物のように抉る。見捨てたくない。守りたい。そのために戦っているのに――


 けれど、私には打つ手がない。  

 万策尽きたか――そう絶望しかけた時。  

 私の脳裏に、一人の少女の不敵な笑みが浮かんだ。


『――修道院の敷地を土足で跨いで私を殺したいなら最低でも千人は連れてくるべきって、思い知らせてやるわ』


 そうだ。あそこには“彼女”がいる。  

 教会最強の異端審問官・聖銃騎士。神罰の代行者。

 私の、最高に性格が悪くて頼りになる共犯者が。


「……いいえ、見捨てないわ」


 私は顔を上げ、修道院のある方角を睨み据えた。


「信じましょう。あそこには、五十人程度の雑兵じゃ束になっても勝てない“聖女”が待機しているもの」


 援軍は送れない。  

 けれど、不安はない。  

 むしろ気の毒にさえ思う。虎の尾を踏みに行く敵兵たちの末路を思えば。


「リュシア……頼んだわよ。あなたの『神罰』で、彼らを歓迎してあげて」


 夜の闇が深まる中、戦場の空気はまだ張り詰めたまま。  

 エルベ谷の長い夜は、これからだ――

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