第31話 貴族の博打、あるいは蛮族の責任論
リュシアと一旦別れ私は、一人で修道院から少し離れた砦まで足を運んでいた。
ステラはというと、私が視察を始める前から万が一の時に備えての撤退ルートを確認するため別行動である。
彼女曰く、部隊が潰走し始めたら即座に私を連れて逃げ出すとのことで、その際のルートは頭に叩き込みたいらしい。
『――仮に守備隊が壊滅しても、リリアーネが無事なら負けにはならない』
ステラはそう言っていた。確かにそうなんだけど……それはつまり守備隊も避難民も見捨てて、私と彼女が逃げ出すシナリオになる。そんなことは絶対に許されないのに……
でも彼女にとっては私の生存が最優先であり、そういう事態も想定しておくというのは彼女らしいとも思う。
……頼もしくは、あるのだけど。複雑な気分だ。
ともかく、ステラがルートを確認している間、私は砦の視察である。
とは言え物資の搬入はイリヤたちグレイハウンド商会の手によって滞りなく進んでいるし、訓練もほうも私がどうこう指示をする必要もない。私がここで出来ることと言ったら、守備隊のみんなに声をかけることくらいだ。
私は砦の守備兵に声をかけ、ねぎらいの言葉をかける。
「ありがとうございますっ! 領主様直々にお声がけいただけるなんて! この命にかえても、ご期待に沿って見せますっ!!」
なんかすごく背中がむず痒くなってしまう。
だって私はまだ何もしていないどころか、自分の家のために彼らを戦わせようとしている。
なのに、こんなふうに感謝されるのは、なんとも居心地が悪い。
――私なんかのために、ごめんさい。
そんな言葉が喉からせり上がろうとするのをぐっと飲み込んで、声をかけた兵士たちの手をぎゅっと握る。
私は領主だ。この領地の支配者として常に堂々としていなければいけない立場であることを私は思い出させる。
「……ありがとう。その言葉が何よりも心強いわ」
私は精一杯微笑みを浮かべながらそう答えた。
そんな風にして砦の中を見回りつつ、訓練の風景を視察するため城壁に登ると、そこには剣戟の金属音ではなく一定のリズムで繰り返される、無機質な号令と動作音だけだった。
「――込め!」
守備隊長のユーリ・クライチェクの声が響く。
一列に並んだ兵士たちが、手にした銃に弾を込める動作をする。
あくまで“動作”だ。弾も火薬も値が張るために訓練でおいそれと撃つわけにはいかないので、すべては空撃ちの訓練である。
「構え!」
兵士たちが一斉に銃を持ち上げ、壁面に開けられた銃眼から銃口を突き出す。
その動きは私が思っていたよりもずっと洗練されたものだった。実弾を撃たずとも、銃を撃つための一連動作をひたすら反復させ体に覚え込ませるのだ。
練習は実戦感覚で、実戦は練習感覚にという言葉を思い出す。
今ここで繰り返している動作が、彼らの命とアッシュフィールド領の未来を守ることにつながると、そう強く確信することができるほどの一糸乱れぬ練兵風景だった。
「放てッ!」
ガチン、と火挟みが落ちる音が重なる。
轟音も白煙もない。ただ乾いた金属音が、冷たい谷風に吸い込まれていくだけだ。
「次弾装填! 急げ! もたつくな、敵は待ってくれないぞ!」
ユーリの叱咤が飛ぶ。
私は腕を組み、その光景を訓練の邪魔にならないよう静かに観察していた。
長閑な田舎の守備隊と領都から急造で集めた徴募兵の混成。
銃なんて握ったことはなく、数日前までは剣か槍しか経験のないはずの守備隊に百発百中の腕前など望むべくもない。
だからこそ、彼らに望むのは号令に合わせて弾幕の層を重ねる“機械”として動き続けることだ。
「なんだ。お嬢一人だけか。白狼の嬢ちゃんはどうした? いつもならお前の背後に張り付いてるのに」
背後からイリヤの声がした。振り返ればトレードマークの小洒落たスーツを着こなし、懐の煙草に火をつけようとしている。
「火薬のある砦では、火気厳禁よ? イリヤ」
「へいへい。戦の前にドカンじゃあ笑えないからな。で、ステラはどうしたよ」
「最悪に備えて私の撤退ルートの下見だそうよ」
「ああ、なるほど。万一があっても、お前さんだけは絶対生きて領都に帰すつもりって腹積もりの白狼か――だな。領主としてはそれが正解だ。まあ心配しなさんな。もし、負けたからってお嬢の首が獲られるなんてことはないさ。死ぬのは城門の上に立ってる兵隊で。その後で賠償金を踏んだくられて、領地の一部を奪われて、減った収入分は税を上げて、領民が何年かかけて払ってくれる。お嬢が失うのは信用と求心力くらいだ」
あっけらかんと言い切るイリヤだが、私にとっては十分すぎるほどの事態である。
そこまでの事態に陥って“程度”だなんてとても思えない。
「戦なんてものはな、本人以外を賭け金にした貴族同士の博打だぜ。勝てば領地が増え、金が手に入る。負ければ領地と金を失い、家名が傷つく。どちらにしろ領主なんて滅多に死なねえ。死ぬのは兵と民だけよ。まあ……お嬢の場合は若い娘のおかげで、捕らえられでもしたら、荒くれ者の男どもに多少の“粗相”はされちまうかもだが」
私は軽く舌打ちをした。
負けたことで私が捕らえられ、辱めを受けるのはまだいい。
敗軍の将として受けたくはないが、甘んじて受け入れるべき罰として納得はできる。
でも、イリヤの言った“兵と民だけが死ぬ”というのが、なんとも不快だった。
この世界の――いや、封建制社会にとって戦とは“ビジネス”に過ぎないのだ。
貴族たちは家の名誉と領地を賭けて兵隊を使い、博打を打つ。
勝った方は家名と領地の広さに箔が付き、負けたほうは領地を減らし、経済を圧迫される。
困窮するのは勝手に賭け金にされた領民であり、戦争はただ“金”と“名誉”のやりとりでしかない。
「……最悪ね、それ。勝っても負けても、痛い目を見るのは勝手に賭場に座らせられた人間ばかりじゃない」
「戦のたびに自分の首を賭ける貴族なんて誰もいねえよ。自分以外の首を賭けるから次の賭場に通えるんだよ」
「戦を仕掛けるなら――自分の首を賭けるぐらいの覚悟でなきゃいけないわ」
私の言葉を聞いたイリヤは、大きく煙を吐き出し、天を仰いだ。
少し呆れたような、あるいは困惑しているような、そんな仕草だった。
「……なんか微妙にかみ合わねえなと思ったが――負けたら自分の首も領民の首も賭場に置いてきたつもりで戦に臨みたい、ってことか? どこの蛮族なんだよ……ああ、なんか合点がいったぜ。お嬢がやたら自分の命を賭け金にしたがるのは、自分が他人の命を賭け金に使える立場への負い目か?」
きっとそれは――“私”そのものが“リリアーネ”に対する、負い目からなのだと思う。
正直、“私”と“リリアーネ”が連続した存在なのか、それとも“私”が“リリアーネ”の身体を乗っ取っているだけなのか。それさえももうよく分からない。私は、私が何者なのかさえ分からない。リリアーネだった“何か”だ。
「……かもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、負けたときの“責任”をとらないといけないわ。それが貴族としての義務だと思う」
「面倒くせえなお嬢……まあ、お嬢のその蛮族じみた考えのおかげで俺は儲けさせてもらってるわけだけどな」
イリヤは懐に手を伸ばし煙草を一本咥えようとするのを私はひったくる。
「火気厳禁だって言ってるでしょう!?」
「ちぇっ、冗談だよ」
いいや今のはニコチン中毒者が見せる無意識のしぐさだったぞ!
ったく、訓練中の兵士のしめしがつかなくなるじゃない……
「で、訓練の方はどうだい? 常駐の守備隊で銃の心得があるのはあの隊長殿ぐらいのもんだが――」
「急造の混成軍にしてはよくできているほうだと思うわ。銃の弱点は弾込めに要する時間。それをできる限り短縮し、撃てない時間を最低限にする動作を体に覚え込ませるという基本を押さえさせているわ」
「弾込め時間の隙は弓の心得がある奴らが補うって寸法だな――しかしよ、一つ気になるんだが……」
「何?」
「銃を一斉にドカンと撃てば、ものすげえ煙が出るだろ。この狭い谷底だ、一射目で視界は真っ白になるんじゃねえのか?」
イリヤは指摘は確かに的を射ていた。
火薬を使う火縄銃の最大の欠点は、発射時に生じる大量の白煙である。
風向きにもよるが、数百丁が一斉射撃を行えば、自分たちの目の前すら見えなくなるほどの白煙に覆われてしまうだろう。
「視界がままならない煙の中で、あの素人に毛が生えた守備隊どもが冷静に次弾装填なんざできるか? 敵が見えない恐怖で混乱するのがオチだろ」
「いい着眼点ね。でも煙で前が見えなくなるのは、向こうも同じよ――」
私が答えようとした時、背後から軽薄そうな、けれど芯の通った声が割り込んできた。
「――視界が見えないっていうのは敵さんも一緒だってことさ」
灰色のサーコートを羽織った軽薄な笑みを浮かべる金髪の青年――レオニスだった。
彼は身の丈ほどもある巨大な長弓を肩に担ぎながら、不敵な笑みをイリヤに向けた。
「レオニス。持ち場はどうしたの?」
「配置完了しましたよっと。……で、イリヤの旦那の心配ごもっとも。確かに煙幕の中で狙いをつけるのは、素人さんには難しい。でも銃隊に正確な射撃はそもそも求めてないんでね。“大体”“あの辺り”に向けて、号令通りに撃って弾幕張ってもらえれば十分」
レオニスはニヤリと笑い、愛用の剛弓を軽く叩いた。
普通の弓の倍はあろうかという厚みと大きさ。弦は鋼鉄のワイヤーのように太く、並大抵の腕では引けない弓だ。
「だからこそ、俺たち『灰狼』や弓の手練れの出番だ」
「はん、口だけは達者だな色男。煙の向こうの敵が見えるってのか?」
「見えますよ。……特に俺を含めた強化弓兵をただの弓兵と一緒にしてもらっちゃ困る」
レオニスは自分の目元をトントンと指差した。
「俺たちは魔力で五感と腕力を強化してこの強弓を使ってるんだ。煙に覆われてようとも敵がどこにいるのか分かるし、どこにいようとも正確無比な精密射でブチ抜けるってわけさ」
「ほう……自信あるじゃねえか」
「そりゃもう――煙幕上等。敵も視界を遮られて足が鈍くなれば、どいつもこいつも棒立ちの案山子に見えて狙いやすいってもんですよ」
前衛の銃隊が派手な轟音と煙で敵を撹乱し、視界を奪う。
その白煙の向こうから、弓隊が雑兵を牽制する。
仕上げはレオニスたち強化弓兵が精密射撃で指揮官や城壁に損害を与えんとする魔導兵を討ち取っていく。
「銃は派手な囮であって本命は色男のお前ら強化弓兵だってことか」
「その通り。白兵戦に持ち込まれる前に、向こうをできる限り削り尽くすのが俺の仕事ってやつですよ」
レオニスは自慢気に言った。うむ、この余裕と自信に満ちた表情。
面接に来た時はいけ好かないチャラ男だと思ったものだが、戦の場になるとこの軽薄さが逆に安心できたりもする。
「頼りにしているわ、レオニス。……よし、私は司令室に詰めるわ。何か動きがあったらすぐに知らせて」
「あ? お嬢、修道院に戻らなくていいのか? ここじゃあ流れ矢が飛んでくるかもしれねえぞ」
イリヤが意外そうに眉を上げたが、私は首を横に振った。
「いつ敵が来るか分からないのに、総大将が安全地帯でお茶を啜っているわけにはいかないわ。それに――この目で、戦いの行方を見届けなきゃいけないから」
「……物好きなこった。だがまあ、大将がどっしり構えててくれたほうが、兵隊どもの士気も上がるか」
「そういうこと。イリヤ、あなたは物資の確認が終わったら修道院へ戻りなさい。ここはもうすぐ戦場になるわ」
「へいへい。あ、その前に一服……」
「煙草、絶対ダメだからね! 火薬庫の近くで吸ったら承知しないわよ!」
「ちっ、分かってるよ。……人使いの荒い領主様だ」
イリヤは肩をすくめて苦笑し、レオニスも面白そうに鼻を鳴らす。
私は彼らに背を向けると、砦の司令室に歩を進める。
準備は整った。あとはヘルマンシュタインの軍勢を待つだけだ――




