第29話 女神の祭壇は戦場へのホットライン
作戦会議から数時間、すでに日は暮れつつある時間。
アッシュフィールド邸は物々しい雰囲気に変わりつつあった。
エルベ砦に布陣するために物資の搬入準備や人員編成などが着々とヴェルナーの指揮により進んでいっている。
「ヴェルナー、出立の時間はいつになりそう?」
「明日の朝には屋敷を発てる算段でおりますが――」
ヴェルナーの答えに、私は執務室の窓から準備中の人員たちを見た。
明日の朝、領都グレイヴィルを出発したとして、強行軍でエルベ谷に向かい、砦で防備体勢に入るとなると明後日の朝になるだろう。
――やはり、遅い。
もし、私がヘルマンシュタイン伯爵からの手紙を受け取った時点で、すでに相手が軍を動かしていたとしたら?
向こうも編成に時間を割かれている可能性もある。
が、それでも私たちがエルベ谷に到着する時にはすでに砦は陥落し、修道院を含むエルベ谷の村が制圧され、アストリッドやフランツの修道院の人たちや、村人たちが人質にされている可能性も十分あるのだ。
(……情報が欲しい。今の、現地の状況が)
喉から手が出るほど、リアルタイムの情報が欲しい。
前世ならスマホ一本で「今どうなってる?」とLINEを送れば済む話だ。でもここは異世界。通信手段なんて――
「……通信、手段?」
ふと、脳裏の片隅に引っかかるものがあった。
原作エデガルの一場面、主人公ルーカスが教会の陰謀に巻き込まれていく展開だ。
そこでは教会上層部の枢機卿たちが伝令がいる様子もないのに、遠くとやりとりしているような場面があった。
魔力を使った念話? いや違う。この世界にそんな便利な魔法はないはずだ。
なら何故? ただのゲーム的な演出?
――記憶が、フラッシュバックする。
まだ私が幼かった頃、お父様に連れられた新年のミサ。
礼拝堂の正面の主祭壇である女神像の横手に目立たない副祭壇の白い石板。
そこから、遠い教皇庁にいるはずの教皇の声が、まるで目の前にいるかのように朗々と響き渡っていた光景。
『これより、全土の教区へ向け祝福の言葉を贈る――』
そう、教皇は新年の祝福を、あの石板を通して全土の教会に向けて同時に発信していたのだ。
当時の私は――前世の記憶を思い出す前の私は、女神のありがたい秘蹟だとばかり思っていたけど、今ならわかる。
アレは魔力を用いた何らかの通信装置の一種だ。
「見つけた……!」
「お嬢様、一体何をでございましょうか?」
「ヴェルナー、ちょっとリュシアのところ行ってくる! 後は任せたわ!」
「は? 今からですか??」
「そう! ステラ行くわよ!」
「えっ、どうしたのいきなり……」
「いいから早く!」
「はあ……またリリアーネが変な思い付きで何かする気になってる」
ヴェルナーの困惑したような声と、ステラの戸惑うような声を背に受け、私は大急ぎで屋敷を飛び出し、教会に向かうのだった。
※
リュシアの教会にたどり着いた私たちは転がるように馬車を降りる。
もう日も落ち、信徒のための一般開放時間は過ぎていたために教会は静寂に包まれていた。
そんな礼拝堂でリュシアは一人、女神像の前で膝を折って祈りを捧げていた。
白い法衣に身を包むその姿は普段の皮肉屋のリュシアではなく、神々しささえ纏った、まさしく聖女――
ってそんなことを考えてる場合ではない。私は彼女のもとに早足で駆け寄った。
「リュシア!」
「……どうしたのよ息を切らせて。突然懺悔でもしたくなった?」
「まさか。それにしてもリュシアが女神様にお祈りとは、明日は教会に槍でも降ってくるのかしら」
「……別に、ただの精神統一よ。そこに私が信じる神はいないわ」
顎で女神像をしゃくって見せるリュシア。相変わらずの異端の聖女ぶりである。
彼女の複雑骨折している信仰心は私には計り知ることはできないが、今はそんな信仰とはなんぞやの神学論争をしに来たわけじゃない。本題に移さなければ。
「リュシア! アレ! あそこの、部屋の隅っこの祭壇にある白い石板!」
私が指さすのは、リュシアが祈りを捧げていた女神像の向かって左手に設置された小ぶりで目立たない祭壇。そこには、白く滑らかな石板が静かに祀られていた。
「聖声盤がどうしたの?」
「アレを使いたいの! リュシアなら使えるでしょ!?」
「使えるかって……そりゃあ、使い方は知ってるわよ。祈りの言葉を捧げて、魔力を通せば指定した場所の聖声盤と共鳴する。司教の基礎教養よ」
「なら! 今すぐエルベ修道院に繋いで!」
「はぁ? ……ステラ、どういうことなの」
「さあ? ほら、リリアーネのいつものやつだから」
「あなたも大変ね……主の突拍子もない思いつきに付き合うなんて。――リリアーネ、あれは教皇聖下のありがたーいお言葉を全教区に伝えるための祭具。誰かと気軽に話したいからって、好き勝手に使っていいもんじゃないのよ」
リュシアは呆れたように天井を見上げた。
確かに突拍子もない。突然押しかけてきて、教会の秘蹟ともいえる通信装置を勝手に使わせろだなんて、無茶苦茶である。
この世界での常識では聖声盤は、教皇の声を遠くの街々へ同時送信するための祭具であって、それ以上でもそれ以下でもない。
「お願いっ! 現地の様子もわからないまま軍を進めるのはリスクが高すぎるの! ――リュシア、この通り!」
私が手を合わせると、リュシアは深くため息をついた。
「……はぁ。分かったわよ、貸しにしておくわ。エルベ修道院に繋げばいいのね」
リュシアは聖声盤の前に立つと右手をかざして何やら祈りの言葉を口にする。
すると白いつるっとした質感の石板が仄かに輝き出した。
「どうリュシア? いけそう?」
「えーと、アッシュフィールド教区内なら私の権限で繋がるはず」
「向こうの人は出てくれるかな?」
「声を受け取るだけなら教会の人間は誰でもできるから、そっちは問題ないはずよ――」
ぼんやりと輝く石板にリュシアは指を触れていく。
触れた箇所が光って消え、まるでタブレット端末を操作するかのように、次々と光点を表示していく様はどこか神秘的でありながら、SFめいている。
私でも操作できるのだろうか――いや、聖職者以外には何らかのセキュリティがかけられているかも。リュシアがいないときに触るのはやめておいたほうがよさそうだ。
「――繋がったわ。向こうが呼びかけに応えてくれればいいのだけど」
ジジ、ジジジ……というノイズのような音が礼拝堂にかすかに響く。
時間にして数秒のコールのはずだが、何分にも感じられる。
もしかしてすでに修道院は制圧されてしまったのだろうか?と、不安を感じ始めたときだった。
『あっはい、こちらエルベ修道院ですけど――バルディーニ司教ですか? どうされたんですか、新年の教皇聖下のお言葉以外ではこの祭具が動くことはなかったものですけど……』
聖声盤が声を発していた。
この明るい溌溂とした声はアストリッドだ。拍子抜けするほど平和な声に、私は安堵でへたり込みそうになった。
まだ、来ていない。間に合った。いや、厳密にはまだ間に合ってはいないが、“手遅れ”ではない。
書状と同時に軍を動かしたわけではなく、あくまで“最後通牒”を送ってから動き出すつもりなのか。
「シスターアストリッドね? 領主様が緊急で用件があるそうよ。聞きなさい」
『ええっ!? 領主様がですか』
アストリッドの戸惑うような声を気にした様子もなく、リュシアは淡々と伝える。
私はリュシアに促され聖声盤の前に立って声を上げた。
「ねえアストリッド! リリアーネ・アッシュフィールドよ! エルベ修道院は無事なのね?」
『無事もなにも……いつもどおりですが、何かありましたでしょうか、領主様?』
「お願い! エルベ砦の守備隊長を呼んでほしいの! 近いうちに隣領のヘルマンシュタイン伯爵が砦に攻めてくる可能性が高いの!」
『えっ……隣の領主様が、ですか? まさかそんなことが――』
「冗談でわざわざ聖声盤を使ってまで連絡したりはしないわ。早くお願い。時間は一分一秒でも貴重なの……!」
アストリッドは戸惑いながらも『は、はいっ! わかった、呼んできますー!』と慌ただしく駆けだしていったようだ。バタバタと遠ざかる足音を残して一拍後、今度は別の男の声が聖声盤から響く、声の主はフランツ司祭だった。
『あ、あの……領主様、フランツです。先ほどのヘルマンシュタイン伯爵についての話は本当でしょうか?』
「そうよ! 今日向こうから『領地を返せ』という書状が送られてきてたわ。下手をすると数日で軍を動かしてそちらの砦にやってくるかもしれない」
私は書状の内容をかいつまんで話す。
フランツもエルベ谷が係争地だということは理解しているようで、私が簡潔に要点だけを伝えると息を呑む声が聞こえた。
『そ、それは穏やかな話ではないですね……! あ、あの……エルベ修道院としてはどうすれいいでしょう。もし本当にヘルマンシュタイン伯爵が攻めてきた場合などは……』
おろおろとしたフランツの声が、不安そうに響いてきた。
私が指示を出そうとするも、リュシアが制し、代わりに答えた。
「リュシア・バルディーニよ。フランツ司祭ね?」
『はっ、はい!』
「できる限り避難民を受け入れ、修道院に匿いなさい」
『し、しかし……武装した相手と鉢合わせになった場合、こちらは抵抗する術がありませんが――』
「ああ、それは大丈夫よ。今から私が出るから」
『し、司教様が……!?』
「そうよ、司教として領主同士の揉め事には手を出せない。でも、避難民を受け入れている修道院の敷地を武装したまま土足で踏み込んで来たならば、それは明らかな“教会への敵対行為”。この私――聖銃騎士十三位、リュシア・バルディーニが神罰を下すわ」
ごくりとフランツが喉を鳴らす音が 聞こえる。
教会の最高戦力の一人が、修道院の防衛につくと言っているのだ。教会の聖職者として、これ以上の心強い言葉はないはずだ。
そして私としても民間人の防衛をリュシアが引き受けてくれるのは大助かりである。
砦の後方で彼女が待ち構えているということになれば、ヘルマンシュタインは砦に釘付けにならざるを得ない。
しばらく後――アストリッドが砦に向かって数十分が経っていた頃だろうか。
バタバタと慌ただしい足音と共に、別の男の声が息を切らしながら響いてきた。
『ハァ……ハァ……! 領主閣下! エルベ砦守備隊長のユーリ・クライチェクです! ――シスターアストリッドから話を伺いました!』
守備隊長は声のトーンからして比較的若い男性の印象だった。
「アッシュフィールド領主リリアーネよ。シスターアストリッドから話を聞いてると思うけど、今は砦は無事なのね?」
『はい! こちらにはまだ敵対行動どころか、接近する部隊すら見当たりません!』
よし、その一報が聞きたかった。まだ向こうの手は届いていない。私が到着し守りを固めるまで持ちこたえる可能性が高まって一安心である。
「クライチェク隊長、貴官に命じます。直ちに砦の防衛体制を固めなさい。ただし、ヘルマンシュタインの軍勢が現れても打って出る必要はないわ。あくまで私たち本隊が着くまで砦で粘ること。それだけなら砦側だけでも数日は問題ないはず」
『――承知いたしました! この命に代えましても!』
とりあえずは現地での命令指揮は彼に委ねよう。
私は礼を述べたのちに聖声盤での連絡は一旦打ち切った。
「……はぁ。神聖な祭壇で軍事作戦の伝令なんて、女神が怒って雷の一つも落ちてきそうだわ……」
「あら、女神様はわざわざ雷を落としてくるような存在だっけ?」
「……そうね。それなら私はとっくの昔に地獄にいるはずだわ」
自嘲気味につぶやくリュシア。
彼女のおかげで“不意打ち”は完全に防ぐことができたと言ってもいいだろう。
相手がのこのこやってきた頃には、私たちが万全の態勢で待ち構えているはずだ。
「リュシア、エルベ谷の村人たちの安全は任せたわよ」
「ええ、この私がいる限り、避難民たちに指一本触れさせないわ」
「頼もしいわね。それじゃあエルベ谷で待ってて」
「ええ、気をつけて来なさいよね――」
リュシアは私の手を握り締めた。
普段の皮肉っぽい笑みではなく、どこか心配そうで、仄かに信頼感を滲ませた眼差しだった。
「ステラ、行きましょう。戦いに」
「――うん」
私たちは教会を後にして再び屋敷へと向かう。
待ってなさいヘルマンシュタイン、この情報の差が、勝敗を分ける決定打になることを教えてあげるわ!
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