第26話 法と権威。それは暴力の従僕
まだまだ寒いグレイヴィルの街だが、わずかに春の兆しも見えてきた。道行く人たちも厚着をしてはいるものの、皆どこか生き生きとした顔をしており、それを見て私も心が温かくなっていく。
そんな私の領主ライフに冷や水をかけてくれたヘルマンシュタインからの書状に怒りの拳がわなないている。
ああ、ああ。本当に頭にくる。お父様が存命だったころは何も手を出せなかった癖に、お父様が亡くなって、私のような小娘が跡を継いだと知るや否や、さも自分の土地であるかのように書いて寄越してきているのが腹立たしい。
私は教会の裏口をドンドンと力強く叩く。少しばかり苛立ちが込められたのか、私にしては乱暴な音を奏でた。
すると、先日カレーを一緒に食べたシスター・マーガレットが、扉からひょいと顔を出した。
「あら、どうしました領主様。少し怖いお顔をされていますが」
「え、ええ、まぁ……その……バルディーニ司教と至急面会をと」
やはり真っ当な聖職者のシスターは私の焦りを見透かしたらしい。でもそれ以上の言及はしないようで、いつものように温和な笑みを浮かべて「少々お待ちを。ご案内いたしますので」と言って私を迎え入れてくれた。
執務室に通されると、今日のリュシアは書類の山と格闘はせずに、優雅に紅茶を片手にお菓子をつまんでいた。
「せっかく今日は仕事が早く片付いたと思ったのに……リリアーネ、あなたが来たということはまた面倒なことを持ち込みに来たんでしょ。で、今日はどのようなご用件かしら、領主様?」
私を領主様と呼ぶときのリュシアは、大抵嫌味が込められている。
これまでの付き合いで気心の知れた中ではあるが、確かに彼女に会う時はプライベートではなく、“共犯者”として厄介事を持っていったのが多かったので仕方ない。
「そうね……まずはこの書状を見てもらいましょうか」
私とステラは来客者用のソファに腰かけて、ヘルマンシュタイン伯爵からの書状を静かにテーブルの上に置いた。
感情的に叩きつけたりはしない。あくまで冷静に。
リュシアは書状を手に取り、黙々と読み進める。
その表情は呆れたようにも愉快なものを見つけたようにも見えた。
そして最後まで読み終えたリュシアは、「ふぅん」と興味深そうに目を細めるのだった。
「へぇ……ついにこのような書状貰えるとは領主としてようやく有名税を払う立場になったって感じかしらね」
「別にそんな有名税なんて払いたくないし、私はただ平穏無事な領地運営がしたいだけなんだけど?」
リュシア流の皮肉はいつものことだけど、今はあまり聞きたい言葉じゃなかった。
私はリュシアの反応を窺いつつ、言葉を続ける。
「状況は極めて不愉快だけど、つけ入る隙はあると思っているわ。強気な態度の裏付けは、地元司教を抱え込んで棚上げ状態だった係争地の返還請求に大義名分を持たせられたことだけ。いわば教会の権威を錦の御旗にしているなら、その旗を折ってしまえばいい」
「で、私の力で何とかしてもらいたい――ってところね? 確かに向こうが教会の権威を嵩にかかってくるのであれば、その対抗に私を当てるのは理にかなっている――」
もちろんただ助けられてばかりじゃなくて、きちんと借りを返すつもりでいる。
私たちはギブアンドテイクの関係だからね。
「……でも、今回は乗れないわ」
「えっ……!?」
まさか断られるとは思わなかった私は、一瞬固まってしまった。
しかし、リュシアが私を助けないと言っている理由はよくわからない。
だって向こうは教会の権威を使っているのよ。そのカウンターとしてリュシアほど最適なカードはいないはずだ。
「リリアーネ。あなたが思っている以上に教会の『根』は深くて腐っているの」
リュシアは紅茶を一口啜り、その瞳に私以上に政治家のような冷徹な光を宿して語り始めた。
「あの司教も確かに黒い噂はある。寄付金の横領とか突けばいろんなものが出るのは間違いない。でも、私がそれを表沙汰にした瞬間、必ず『新任の若造が根も葉もない言いがかりを付けている』と教皇庁に訴え出るでしょうね。伯爵もそれに乗っかって、政治問題化させるでしょうね」
「……証拠を掴んでも?」
「そんなもの“捏造だ”と言い張れば泥仕合よ。そうなれば、教皇庁と――係争地が絡むなら王家も重い腰を上げて、“調停”に出てくるはず。そうなれば裁定が出るまで早くても数年はかかるでしょうね。そうなればその間、エルベ修道院の福音劇なんて不謹慎だから、と中止にされてしまうのがオチね」
「なっ……」
そんなことになれば、せっかく軌道に乗れそうなアイドル興行がパーになってしまう。
今後の領都ライブも白紙だし、下手をすればグレイヴィル全体の観光産業計画も大幅な見直しが必要となってしまう……!
「そして、もし裁定で『領地を明け渡せ』なんて判決が出たら終わりよ。教皇庁・王家の連名で発せられたら、もうあなたに抗う術はない」
リュシアはソファから立ち上がり、私の前まで歩み寄る。
見下ろすその視線は、甘い見通しを持っていた私を諭す教師のように厳しかった。
「リリアーネ、あなた悪知恵が働くくせに妙に正直というか素直なところがあるわ」
「素直……?」
「なぜそうも『法』や『権威』を信頼できるのかってことよ。何の担保もなしに『法』や『権威』を味方に付ければ自分は守られる――そう考えていたんじゃないかしら?」
心臓につららを差し込まれたような感触が私を襲った。
「法や権威なんてものは強者が手打ちをするための道具に過ぎない。それらを裏付ける『暴力』がなければ紙切れ一枚の価値もない。自分の庭を荒らされそうになって、法や権威による解決が最優先になってしまう領主に、統治者の資格はないわ。……相手はそれを見透かしている。だから、こんな舐めた書状を送ってきたのよ。『この小娘は、暴力の使い方も知らない』ってね」
ぐうの音も出ないとはこのことを言うのだと、私は頭を殴られるような衝撃で理解していた。
悪役令嬢を気取っていても、その思考の根底は前世の21世紀の日本が根ざしていた。
そこでは確かに法や権威によってこの社会は維持される法治主義があたりまえだった。でも、この世界は違う。
法や権威なんてものの有効な支配力の源は、暴力を裏付けにしていない限り何も働きかけることはできない。
ノースウッド商会のガサ入れもまるで“別件逮捕”みたいだと内心思っていた私は、この世界でもまだ“法治国家の国民”であり続けていたからだ。
だがここは日本ではなく、『エーデルガルド戦記』の世界。
力なき正義が踏みにじられるのは日常茶飯事の、戦乱の序章の世界。
舐められたら終わり。奪われそうになったら、奪い返すだけの牙と爪を振るわなければ、負けるしかない“自力救済”の世界なのだ。
「……そうね。リュシア、あなたの言う通り私の見通しが甘かったわ」
私は深く息を吐き、思考を切り替える。
“法と権威”という甘い逃げ道ではこの難局は打開できない。
私はアッシュフィールド伯爵家の当主だ。私の権利を担保するのは誰かのお情けでも法律の条文でもない。私自身の力だ。
「ありがとう、リュシア。目が覚めたわ。つまり、この件は領主同士のケンカであるうちに終わらせなければならない。私とヘルマンシュタインの頭を飛び越えるようなところがしゃしゃり出る前に――そうでしょ?」
「ふふっ、リリアーネならそう言うと思った」
「頭を飛び越えられると困るのは私だけでなく、ヘルマンシュタインも同じはず。地元司教を抱き込んだのはただの大義名分作りで、早期に武力解決で図ろうとしている……と私は読むわ」
相手は私が返答を引き延ばすと踏んでいるのだろう。
無益な戦は避けようと時間を稼ぐつもりだと。でも、私はそんなことはしない。初手で“最短”の手段を選ぶ。
「リュシア、リリアーネが悪い顔してる」
「ほんとね。私に一本取られた悔しさで、悪知恵をフル回転させてるようね」
ステラとリュシアが聞こえるように囁いているが、気にせずに私はソファから立ち上がった。
「リュシア、司教としてのあなたに頼めることは何もない。でも、ひとりの友人としてのあなたにはこれからのことを相談してもいいかしら?」
「ふふっ、あなた今最高に悪い顔をしているわよ。せいぜい派手にやりなさい。死んだら祈りの言葉ぐらいはかけてあげる」
「縁起でもないことを言わないの」
ならば早速リュシアと共にアッシュフィールド邸へと戻り、ヴェルナーにも状況を報告しなくては。
こうして私たちは、ヘルマンシュタインに先制パンチを食らわせるための算段を立てる作戦会議へと移行するのだった。




