第25話 「分をわきまえろ」と古狸は言った
「――勝ったな」
三の月下旬、私は私は執務机の上で手を組んで、一枚の報告書を見下ろしていた。そこには、先週行われたエルベ修道院近郊の村での記念すべき第一回『福音劇』の収支報告が記されていた。
来場者数、想定の1.5倍。
そして何より、イリヤのグレイハウンド商会が取り仕切った会場周辺の「屋台村」の売上と、修道院への“感謝の寄進”――いわゆる“事実上のチケット代”が、私の予想を上回る数字を叩き出していた。
「まさか、あの田舎の村にこれだけの人が集まるなんて……」
報告書によれば地元民だけでなく、噂を聞きつけた隣領の人々や旅人までが足を止めたという。
アストリッドの“KAWAII”は、娯楽に飢えたこの世界の人々の心を鷲掴みにしたのだ。
リュシアからは「アストリッド個人の絵姿や人形を売るのは偶像崇拝だから絶対ダメ」と釘を刺されているけれど、集まった観客が落とす飲食費や、アストリッドの歌や踊りへの“寄進”なら、それは許容される。
これはもう、完全勝利と言っていい。
修道院の財政難は一発で解消どころか、黒字転換。
私の懐にも、屋台村からの場所代と興行税という名の甘い汁がたっぷりと入ってくる。わはははは!
でも――
「はぁ……行きたかったなぁ、ライブ」
私はガックリと机に突っ伏した。本来なら私も最前列でアストリッドを応援するべき公演だった。
それがどうだ。私はこの数週間、ノースウッド商会の残務処理や、ヴァリャーグの工作による領内を脅かした野盗の襲撃や放火事件の後処理などで多忙を極め、アストリッドの初公演はおろか練習風景の一度も覗きに行くことは出来なかった。
「くっそー! ……でもまあ興行としては成功したわけだし、次の領都公演こそは絶対に参加してやるんだから」
私は涙を拭い、気を取り直して次の書類――第二回公演の企画書に手を伸ばそうとした、その時だった。
コンコン、と扉がノックされ返事をする間もなく、扉が開かれた。
入ってきたのはヴェルナーだった。
――だが、いつも冷静沈着な老執事の様子が今日はおかしい。眉間に深い皺を刻み、その足取りは明らかに焦りを帯びていた。
「……ヴェルナー? どうかしたの、そんなに慌てて」
「申し訳ございません、お嬢様。ですが、急ぎお目通しいただきたい書状が届きまして」
ヴェルナーから差し出された封書には、赤い蝋による封印がされていた。
そして封蝋に押された紋章を見て、私は眉間に皺を寄せた。二匹の蛇が絡み合う意匠――西の隣領、ヘルマンシュタイン伯爵家の紋章だ。
「ヘルマンシュタイン伯爵から? ……あそこはうちとあんまり仲はよろしくないはずだけど」
「はい、新年に互いの使者に挨拶の書状をやりとりすることはあれど、友好的とは言い難い関係です。それが、急使を使ってこのような書状を……」
嫌な予感が背筋を走る。私はペーパーナイフで封を切り、中身を開いた。
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アッシュフィールド伯爵家
現当主リリアーネ殿
かねてより係争のまま放置されてきたエルベ谷周辺一帯の帰属について、当地司教殿の調査および証言に基づき同地は本来、我がヘルマンシュタイン領に属すべき土地であることが改めて明らかとなった。
貴殿の先代アッシュフィールド伯爵殿が病を得られて以後、当該地域の統治は著しく不安定となり、税の取り立て・治安維持・教会への十分な奉仕がなされていない旨、当地司教より度々苦情が寄せられている。これは、当該地の民と教会双方にとって憂うべき事態である。
もとより貴家は、歴史的経緯に基づき一時的な便宜上、同地を預かり管理していただけにすぎぬ。にもかかわらず、先の混乱に乗じてアッシュフィールド領として既成事実化を図っている現状は、看過し難い不当占拠と言わざるを得ない。
ついては、本書到達より七日以内にエルベ谷周辺の村落およびエルベ砦における貴家の兵力・役人・徴税権を全面的に引き上げ、民と修道院の保護を含めた一切の支配権を我がヘルマンシュタイン家に明け渡されたい。
若年にして家督を継いだ貴殿に、先例や慣行に通じぬ点があったことは、領主として先に立つ者として考慮せぬでもない。しかしながらこの上なお不当な占拠を続けるとあらば、教会の権威と法に背く背信行為と見なされよう。
もし本件に異議があるならば、貴殿は然るべき証拠を整え、教皇庁および王家の御前にて弁明されたい。その場合、我が方も司教殿の証言と記録を携え、正当なる裁定を仰ぐ所存である。
しかし貴殿が軽挙妄動に走り、我が領軍の行動を妨げるがごときことあらば、こちらとしても自領と民を守るため、やむなく相応の措置(軍事行動)を執る用意があることをあらかじめ申し添えておく。
末筆ながら貴殿が若き領主として分をわきまえ、無益な争いを避ける賢慮をもって、この度の要求を受け入れられんことを期待する。
ヘルマンシュタイン伯爵 ローマン・ヘルマンシュタイン。
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「舐めてんのかコラ」
あらやだ。
私としたことが、あまりに腹が立つ手紙に、ついつい思っていることをそのまま口に出しちゃったわ。
でも許してもらいたい。これ、誰が見ても舐め腐ってるし??
私が十六の小娘だからと上から目線のむかつくアドバイスをくれたかと思えば、結局は俺様のものだった土地を返せ、などと無礼千万な要求を平気で書き送ってきている。
「確かにエルベ谷周辺が百年以上前から係争地となっていたのは事実です。ですが、王家からは裁決中という名の棚上げ状態で、現在はアッシュフィールド家が実効支配しているという現状です」
「ま、要するにこいつは虎視眈々とあの土地を狙っていて、お父様の代では何もできなかったのに、代替わりして私みたいな小娘が当主になったのを見て『こいつならイケる!』と思ったわけね」
「そして……エルベ修道院の興行が、絶好の口実となったわけですな」
今まではお父様の威光もあったし、そもそもあの辺りはのどかな田舎の村で、修道院が万年赤字になるぐらい人口も産業もない。だから、ヘルマンシュタイン伯爵も放置していたのだろう。
だが、私がその大した価値もなかっただった土地に福音劇という金のなる木を植えてしまった。すると、彼の目には、急にあの土地の価値が高まったように見えたのだ。ついでに保守派の教会とも結託し、私を教会に不敬な小娘として攻撃することで、アッシュフィールドからあの土地を奪おうとしている。
「はっ、本当に舐めたことしてくれるわね」
「ですが、ヘルマンシュタイン教区司教のお墨付きを得られているのは、厄介ですな。司教様は本心で憂慮されているのか――あるいは金品を積まれたかは分かりませぬが」
あちらさんの司教様がどのような経緯でヘルマンシュタインに領地返還請求の名分を与えたかは、この際どうでもいい。
重要なのは司教の口添えにより、向こうにも一定の大義名分が生まれてしまったことだ。
はー、これだから世俗に塗れた宗教勢力は!
「して、お嬢様はどのように対処なさるおつもりですか」
「決まってるじゃない」
「と、申されますと?」
「まずは――こちらの司教様に相談よ。リュシアならきっと良い知恵を出してくれるはずだから。ヴェルナーは留守をお願い。ステラ! リュシアのとこ行くわよ!」
「ん、護衛は任せて」
相変わらずヴェルナーと一緒にいる時は一言も喋らず影に徹するステラが、す、と前に進み出た。
餅は餅屋。教会には教会。相手司教と同格のリュシアなら上手に切り返してくれるはず……!
私は外套を羽織ると、早速リュシアのところへ向かうのだった。




