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幕間 同志総書記長閣下の憂鬱 その2

 エーデルガルド王国に隣接する東方の大国、ヴァリャーグ連邦共和国首都、ズヴェズドグラード。

 総書記長官邸の最上階に位置する執務室は、冬の朝日が差し込んでもなお底冷えのする静謐に満ちていた。

 暖炉でパチパチと爆ぜる薪の音だけが、重厚な革張りの椅子に沈む一人の女性の思考を彩っている。


 ヴェーラ・アレクセーエヴナ・アルマゾヴァ、流れるような銀髪に深海のように瑠璃色の瞳をもった女性はヴァリャーグにおいてその絶大な権力を振るい、『氷雪の女王』『鋼鉄の総書記』と恐れられる独裁者であった。

 彼女は手元に届いた報告書に凍てついた視線を走らせ、ゆっくりと目を細めた。


「ふむ……」


 表紙には『エーデルガルド王国・アッシュフィールド領における浸透工作に関する経過報告』と記されている。

 ヴェーラは国内の治安維持を主目的する公安機関、連邦安全保障局――通称“白い盾”に命じて、アッシュフィールド領での長期的な工作活動を行わさせていた。

 本来なら、外国への工作は連邦対外諜報総局――“赤い眼”の管轄であるのだが、度重なる失敗の隠蔽工作によってヴェーラの信を失いつつあったためだ。


 最初の報告書に視線を落とす。

 日付は数ヶ月前。 『代表カルロス・アセンシオとの接触に成功。当該人物が代表を務める慈善団体“麦の穂”への資金援助を通じ、組織内での発言権を確保。領主および周辺住民からの疑念は皆無』


 順調な滑り出しだ。

 ヴェーラの口元に、微かな笑みが浮かぶ。  

 まだまだ反革命分子が燻ぶる国内情勢の最中で、武力による侵略は得策とは言い難い。


 “麦の穂”のような革命思想の苗床となりやすい団体を見つけ、その中に自分たちの手先を忍ばせる。そうしてゆっくりと時間をかけ内部から敵国を蝕んでいくのがヴェーラの方針だった。

 即効性は薄いが、武力侵攻よりも低コストで失敗しても敵に尻尾を掴ませない。それゆえの長期戦略。


 次の報告書の日付は先月だった。

 『懸念事項発生。現地の裏社会組織“ヴォルージン・ファミリー”および領主アッシュフィールド伯による監視の気配あり。ただし、彼らは法と世論を気にしており、我々の擬装身分“ノースウッド商会”に対して強硬手段は取れない模様』


 これも想定の範囲内だ。

 他国の領土で工作を行う以上、摩擦は避けられない。多少の賄賂や工作資金の上積みは必要だが、それは織り込み済みだ。


 だが、ヴェーラの手が最後の報告書で止まった。


『緊急報告。領内における治安が急激に悪化。商隊襲撃および倉庫への放火事件が多発中』


『これに伴い、領主側が警備レベルを最高度へ引き上げ。主要街道および市街地での検問・巡回が倍増』


『工作員の活動制限および、検問回避のためのコスト増』


 部屋の空気が、数度下がった。

 ヴェーラは報告書を静かに執務机に置いた。叩きつけるようなことはなく、音もなく。  

 だがその静けさこそが、彼女の激怒を示すものにほかならない。


「……私は、派手な花火を打ち上げろなどと命じていないぞ」


 独り言のように、ヴェーラは呟く。

 浸透工作の要は“静寂”だ。住民に寄り添い、善意の顔をして毒を流し込む。

 

 だというのに、放火? 襲撃?  

 そんなことをすれば、神経質な若き女領主が過剰反応し、治安維持のために軍を動かすことくらい、新兵でも分かる理屈だ。


「誰だ。こんな雑な工作を命じた馬鹿者は」


 言うまでもない。答えは分かっている。

 手口そのものは鮮やかなのに、やけに稚拙で短絡的。

 そしてなにより、成果が分かりやすい工作。


「“赤い眼”だな?」


 ああ、またも面倒事を増やすかと、ヴェーラの声には怒気ではなく、呆れが色濃かった。

 功を焦り、目に見える成果を求め、そして己の保身のために動く組織。

 彼らは常に総書記長の顔色を窺い、「何か実績を上げなければ粛清される」という恐怖に駆られている。

 だから、手っ取り早い破壊工作に走ったのだろう。

 「敵国領土でこれだけの被害を与えました」という、報告書に書きやすい成果を。


 ヴェーラは目を閉じ、こめかみを指で押さえた。


「……火遊びが、すぎた」


 それは、赤い眼への評価であり、同時に自分自身への反省でもあった。

 あの組織を野放しにしすぎた。管理を怠り、暴走を許してしまった。

 そして――革命の輸出に使えそうな苗床を見つけたからといって、安易に種を撒いた。

 その結果が、これだ。身から出た錆とはいえ、忌々しい。


「同志総書記長閣下、いかがなされますか。現場からは工作継続可否の伺いが来ておりますが――」


 おずおずと尋ねる側近に、ヴェーラは冷徹な眼差しを向けた。  

 彼女の頭の中で、天秤が揺れる。このまま粘るか。引くか。馬鹿が打ち上げた派手な花火のせいで、アッシュフィールド領の警戒度は最高まで引き上げられている。


 この状況で工作を継続すれば、いずれ必ずボロが出る。もし、アッシュフィールド伯による工作拠点の強制査察を受け、工作員名簿や本国からの指令書が押収されれば――面倒なことになる。

 エーデルガルドとは公的な外交窓口を置いていないが、この件が露見すれば今後の工作活動にも差し支えるだろう。


 ヴェーラの頭脳は、瞬きをするほどの時間で数多の選択肢を吟味する。

 このリスクではリターンを期待できない。

 ヴェーラの心は決まった。


「撤退だ」


 ヴェーラは卓上のペンを執り、さらさらと命令書を書き殴る。


「損切りだ。総員、即時撤退させろ。拠点は放棄、機密書類は一枚残らず焼却して闇に潜め」


「は、はい! ですが、よろしいのですか? これまで投じたコストが……」


「これ以上傷口を広げるつもりか? 領主という猟犬が、牙を剥いて玄関先まで来ているのだぞ」


 書き終えた命令書を側近に投げ渡し、ヴェーラはさらに付け加えた。


「ただし、ただ逃げるな。猟犬には『撒き餌』をくれてやれ」


「撒き餌、ですか?」


「金庫にでも『脱税と密輸の証拠』を残せ。工作資金の裏帳簿、横流しした嗜好品……何でもいい。小悪党の犯罪証拠をあえて残しておけ」


 側近がハッと息を呑む。ヴェーラの狙いに気付いたらしい。


「領主が剣を抜いた大義名分は『治安維持』だ。ならば、その剣を振り下ろす先を用意してやればいい。『悪徳商人を成敗した』という勝利(エサ)を与えれば、あの若き領主は満足して剣を収める。……それ以上、深く地面を掘り返されることもない」


 トカゲの尻尾切り。  

 それも実に巧妙で、相手の顔を立てる撤退戦。


「……承知いたしました。直ちに手配します」


 側近が慌ただしく退室していく。

 再び静寂が戻った執務室で、ヴェーラは窓の外を雪に覆われた首都の街並みを眺めていた。


「……正直に報告してくれば、見逃すとはいかないまでも穏便な処罰に済ませてやるが――」


 失敗は許す。だが、嘘は許さない。

 独裁者として最も恐れるべきは、情報が上がってこないことだ。

 現場で何が起きているのか、トップが知らされないことこそが、組織の死を意味する。

 だから、もし赤い眼が今回の失態を素直に報告し、真摯に詫びを入れるならば。

 ヴェーラは厳罰ではなく、叱責と厳重注意にとどめ、それで終わりにするつもりもあり得た。


「……まあ、連中は隠蔽するだろうがな」


 ヴェーラの唇に、諦めの冷たい笑みが浮かぶ。

 期待するだけ無駄だ。あの組織は恐怖で動いている。失敗を報告することは自ら処刑台に上がることだと信じ込んでいる。

 だから、保身に走る。隠す。誤魔化す。


 ――あそこはそういうところなのだ。

次話より第一部クライマックスとなるエピソードです。引き続きこの物語の応援として☆評価やお気に入り登録していただけると励みになります。

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