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第21話 “善良な商人”という名の、法と世論の罠

 港からの海風が吹き抜ける、グレイハウンド商会の事務所。  

 煙草の匂いが充満するその部屋で、私の要求を聞いたイリヤは呆れ果てたように吐き捨てた。


「……お嬢、本気で言ってんのか?」


 彼は咥えていた煙草を灰皿に押し付け、眉間に深い皺を刻む。


「本気よ。相手はヴァリャーグの工作員よ? このまま放置すれば『麦の穂』を乗っ取られて、領内で反乱の火種にされるわ。だから、あなたのところの若い衆を使って、ちょっと“ご挨拶”してきてほしいのよ」


 法で裁けない相手には、法の外の理屈をぶつける。  

 証拠が掴めないなら、裏社会の流儀で追い出す。  

 それが一番手っ取り早い解決策だと思ったのだが――イリヤは首を横に振った。


「バカ言うな。それが一番の下策だ」


「ん、どういうこと?」


「お嬢は肝は据わってるが、裏の流儀はまだまだだな」


 えーっ、領主として動けないならヤクザに頼むって我ながら良い考えと思ったんだけどなあ。

 イリヤは新しい煙草に火を点けて、煙とともに言葉を吐き出す。


「相手は『善良な商人』の皮を被ってるんだぞ? そんな連中を、ウチが理由もなく締め上げてみろ。連中は泣き寝入りなんてしねえ。確実にお嬢(領主様)のところに泣きついてくるぞ」


 イリヤは芝居がかった口調で、身振り手振りを交えて演じてみせる。


「『お助けください領主様! 我々は真面目に商売をしているだけなのに、グレイハウンド商会のゴロツキに脅されました! これは不当な営業妨害です!』……ってな」

「あ……」


 しまった――連中をどうにかしたいあまり、彼らの仕掛けた罠に引っかかってしまうところだった。


「さあ、そこで公明正大なアッシュフィールド伯爵様は、どちらの味方をする? いきなり因縁をつけてきたゴロツキと、法を守って納税し、慈善活動にも熱心な被害者のノースウッド商会。……領民の手前、どちらを裁かなきゃならねえか、わかるよな?」


 ――詰みだ。  

 私がイリヤを庇えば「領主はヤクザと結託して商人を弾圧した」と宣伝され、私の統治は大きな打撃を受ける。  

 かといってイリヤを処罰すれば、私の手足をもぐことになる。  

 相手はこちらが「暴力装置」を持っていることを前提に、それを封じるための盾として「法律」と「世論」を用意しているのだ。


「……なるほどね。よくできた罠だこと」


「だろ? シロだと言わざるを得ねえ状況を作られてる。下手に手を出せば、その瞬間に俺たちの負けだ」


 イリヤの指摘はもっともだった。

 ヴァリャーグは随分とこちらの統治システムを研究してきている。  

 悔しいが、今のところ正面突破も搦め手も封じられている状態か。

 ここは様子見するしかないか、と重苦しい沈黙が流れる中、ふと、リュシアが視線をステラに向けた。


「……それにしてもステラ。あなた、妙に詳しかったわね」


「ん?」


「さっきの馬車での話よ。訛りの指摘もそうだけど、『協力者獲得』の手順だとか、……まるで教本で読んだ知識というより、実地で叩き込まれたような口ぶりだったわ」


「ああ、俺も気になってた。ただのワケアリメイドにしちゃあ、肝が据わりすぎてる。……正直、俺が今まで見てきたどの『本職』より、アンタからは血の匂いがするんだよ。なあ、お嬢の“狼”さん。アンタ、何者だ?」


 事務所に流れる沈黙の質が変わった。  

 イリヤとリュシアの探るような視線を一身に受けながら、ステラは表情一つ変えず私に視線を投げかける。


 ――いいよ話しても。ステラが静かに頷いた。


 私は静かに頷くと、紅茶のカップをソーサーに置いた。


「そうね……リュシアもイリヤも、私の“共犯者”なら、そろそろちゃんと紹介しておく必要があるわね」


 これからの戦い、チームの連携は不可欠だ。  

 ここで変に秘密を抱えて不信感を持たれるより、いっそ爆弾をさらけ出して共犯関係を強固にしておいた方がいい。


 私は手短に、ステラの「正体」について語った。  

 彼女がヴァリャーグの諜報組織“赤い眼”の元工作員であること。  

 そして彼女を懐柔し、私は自ら毒を飲んで叔父グスタフを破滅に追い込んだことを、つぶさに語った。


 もちろん、ステラが()()()()()()()()()()()であるという一点だけは伏せて。  

 それは彼女にとっての最後の聖域であり、知る必要のない爆弾だからだ。

 説明を終えると、事務所には先ほどとは質の違う沈黙が降りた。


「…………」

「…………」


 リュシアとイリヤは、ぽかんと口を開けて私とステラを交互に見ている。  

 最初に口を開いたのは、イリヤだった。彼は新しい煙草を取り出そうとした手を止め、信じられないものを見る目で私を見た。


「……待て。工作員だったのは百歩譲っていい。よくねえけど、まあいい。だが……なんだって?」


「だから、叔父を確実に断罪するために、彼女が持っていた毒を私が自分で飲んだのよ」


「――正気か? 一歩間違えば死んでたんだぞ? 自分を賭け金(チップ)にするにしても、限度があるだろうが」


「あら、勝算はあったわよ。それにハイリスク・ハイリターンは賭博の基本でしょう?」


 イリヤが頭を抱えて天井を仰ぐ。

 そして、リュシアもまた深く、深ーく溜息をついた。


「リリアーネ、初めて会った時からずっと思ってたけど、頭のネジが飛んでるどころじゃないわね。心臓に毛が生えているというより、心臓そのものが氷か何かでできているんじゃないかしら。……自分の命を盤上の駒として平然と切るなんて、狂ってるわ」


「失礼ね。合理的な判断と言ってほしいわ」


「それを世間では『狂気』と呼ぶのよ」


 ちょい待てや。

 ヤクザではあるが、真っ当な社会経験(ヤクザに真っ当な社会経験とは?)を持つイリヤにドン引きされるのはまあいい。

 でもさ、神に信仰を裏切られてもなお、背教者になれていない異端者(クソボケ)にだけは言われたくねーんだけど?


「つーか! 私のことはいいでしょう! 今はこの後、どうやってノースウッド商会を追い出すかが問題でしょ!」


「……身動きが取れない以上は、我慢比べだな」


 煙草を咥え直し、イリヤは静かに息を吐く。


「正直消極的だが、連中が何かしくじるかこちらが証拠を掴むまで待つしかねえ」


 悔しいが今のところ、イリヤの言う通りだ。

 こちらが切れるカードは少ない、だからこそ待つしかない根競べだった。

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