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第20話 麦の穂に忍び寄る影

 聖歴1090年二の月下旬――

 エルベ修道会アイドルプロジェクトは順調に進んでおり、そう遠くない時期にエルベ修道院近郊の村々を巡る公演が行われることになるだろう。

 そして領都グレイヴィルでも教会の前庭に特設会場を作っての大規模ライブが計画されている。


 アッシュフィールド領に“歌って踊るシスターのいる修道院”の噂が広がり、その噂が他領にまで伝播する日も近いのでは、と楽観しているのだが、果たして。


「……リリアーネ、ちょっといいかしら」


 と、執務室でアイドルプロジェクトに思いを馳せていると、リュシアが何やら急いでるような、焦っているような表情で部屋に入ってくる。いつも教会に引きこもっている彼女にしては珍しい。

 執務室に現れたリュシアの手には一冊の帳簿が握られている。教会の定期監査で使用される、寄進や出納を記録したものだ。


「どうしたのリュシア。そんな怖い顔をして。……まさか、エルベ修道会が教義的に何かマズイことを――」


 アストリッドの“福音劇”については、リュシアの監査で教義から逸脱しないよう指導が入っているはずなので、問題はないはずなのだが――


「いえ、そっちは順調そのものよ。問題なのはこっち“麦の穂”関連よ」


 リュシアが帳簿を執務机の上に広げる。

 指し示された箇所を見て、私はふむ、と眉をひそめた。


「……寄進額が増えてるわ。ここ二、三ヶ月で急激に」


「ええ。出所は『ノースウッド商会』最近この領で活動を始めた中堅の商会よ。表向きは毛皮や工芸品を扱っている普通の商人」


「気前がいいことね。慈善事業に熱心なのは結構なことじゃない」


「額が大きすぎるのよ。中堅商会の寄進にしては多い、そりゃあかなりの利益を上げたから景気よくという理屈はあるけど――」


 ――常に一定額以上の寄進が定期的に入っている。

 商家の利益なんて月ごとにバラバラのはずだが、それにしては“規則的”過ぎる。


「何らかの不正によって不法な収入を得たが、大っぴらには使えなかった。だから教会経由で資金洗浄してるんじゃないかって、私は踏んでいるのだけど」


 リュシアは鋭く細めた視線で帳簿を見下ろしたまま言う。

 

「んー、それもありそうだけど……」


「リリアーネの考えはどうなの?」


「まるで、依存させているようにも見える。その商会の寄進がなければ麦の穂は立ち行かないように、ちょっとずつちょっとずつ、金を渡して取り込みをかけているようにも見える」


「確かに、その可能性もないこともないけれど……あなた、あくどいこと考えつくわね」


「悪い狼と知り合ったせいで、思考が似ちゃっただけよ」


「嘘、彼と出会う前からあなたは悪い顔ができたでしょ。ヴォルージンさんのせいにしないで」


 リュシアのやつ私をなんだと思っているんだ。でも否定できないのが悔しい……

 それにしてもだ、麦の穂に忍び寄る不気味な影の気配に、ヴェルナーが淹れてくれた紅茶も色あせた香りに感じる。


 慈善団体にとって、大口のパトロンは命綱だ。だが、その命綱が一本だけになってしまえば、それこそパトロンに縄で首を絞められている状態と同じではないか。もしパトロンが急に寄付を止めたら――?


「でも、麦の穂は領主名義からも資金を流してるし、あくまでノースウッド商会は複数いる支援者のうちの一つでしょ? 別にそこが支援を止めたところで、麦の穂の運営には響かない気がするんだけど」


「ま、そうなのよね」


 リュシアの言い分はもっともだ。

 金で活動を縛るにはすでに支援者が多く、ノースウッド商会はその中の一つのため、そんなことをしても大勢には影響しないはずなのだ。


「ま、ここであーだーこーだ頭を捻っても答えなんて出ないわ。まずはカルロスさんに聞き込みに行きましょう――ステラ、行くわよ」


「ん。わかった」


「そうね、早速行きましょう」


 見に行きましょうか、ノースウッド商会とやらがただの篤志家なのか、毒まんじゅうを配る悪党なのか。


 ※


 貧民街の景色は、数ヶ月前に比べれば幾分かマシになっていた。  

 瓦礫は撤去され、ドブ川の悪臭も少しは軽減されている。私が導入した公衆衛生政策と、麦の穂による自助努力の成果だ。


 ただ、下水が完備されたわけでもないし、貧しさが根絶されたわけではない。路地裏にはまだその日のパンにすらありつけない子供たちが蹲っているし、職にあぶれた男たちが虚ろな目で通りを眺めている


 ――私の破滅フラグの火種はまだ燻ぶっている。


「カルロスがいたわ」


 目的地である“麦の穂”の活動拠点、配給所の前で一人の青年が熱心に誰かと話し込んでいる。誠実さを絵に描いたような好青年、カルロスだ。そして、その話し相手は――


「…………」


 身なりのよい商人風の男だった。彼は親しげにカルロスの肩を叩き、何かを熱心に語りかけている。  

 カルロスは困ったような、それでいて申し訳なさそうな顔で頷いていた。

 私たちが近づくと、その男がこちらに気づいた。  


 護衛のステラ、司教のリュシア、そして領主の私。  

 この場には不釣り合いな私たちの姿を認めた瞬間、男の顔から表情がスッと消えた。


「――じゃあな、カルロスさん。また来るよ」


 男は短くそう告げると、私たちから顔を背けるようにして足早に立ち去っていった。

 逃げたのか、それとも領主や聖職者と関わりたくなかったのか。


「あ、領主様! それに司教様まで!」


 カルロスが私たちに気づき、慌てて駆け寄ってくる。


「ご無沙汰しております。本日はどのようなご用件で……? まさか、配給に不備でもございましたか?」


「いいえ、活動は順調そうね。今日は少し確認したいことがあって来たのだけど、立ち話もなんだから中で話せるかしら?」


「はい、もちろんです! どうぞ、散らかっていますが」


 案内されたのは空き家を掃除しただけの簡素な事務室だ。  

 簡素な机と椅子が置かれた部屋で、私たちは向かい合った。  

 リュシアが単刀直入に帳簿の件――『ノースウッド商会』からの多額の寄進について切り出すと、カルロスは隠す様子もなく頷いた。


「ええ、ノースウッド商会の方々には本当に助けられています。おかげで活動範囲も広げられましたし、冬越えのための毛布も十分に確保できました」


 カルロスの表情に嘘はない。心から感謝しているようだ。  

 だが、その笑顔の裏に、僅かな曇りが見える。


「……ただ、正直に申し上げますと……少し重荷に感じる時もありまして」


「重荷、とは?」


 私が尋ねると、カルロスは少し言い淀んでから、ポツリと漏らした。


「いえ、あの方々は決して見返りを求めません。ただ……最近、少しだけ()()()をされることが増えてきまして」


「お願い? 商品を売りつけられたり?」


「とんでもない! そうではなくて……『話を聞いてやってほしい』と」


 カルロスは困ったように視線を落としてから、言葉を続ける。


「彼らは商売柄、多くの労働者や貧しい人々と接しています。その中には、日々の生活に苦しみ、社会への不満を抱えている人が多い。そうした人々の愚痴や悩みを、勉強会と称して私に聞いてやってほしいと」


()()()で――愚痴を、聞く……?」


「はい、数人ずつに分かれて集まってもらい、その中で彼らの苦悩を共有するんです。『自分たちは必死に働いて税を納めているのに、なぜ生活は楽にならないのか』『貴族たちは屋敷で贅沢をしているのに、なぜ俺たちは泥水を啜らねばならないのか』……そういった切実な声です」


 カルロスは悲痛な顔で胸に手を当てた。


「しかし、胸騒ぎがするのです。彼らの不満や苛立ちは当然だと解るのですが、勉強会に訪れる顔ぶれには必ず“同じ方”がいて、皆を激励するように檄を飛ばしている。まるで……皆さんのが抱える不満に火を付けるように――」


 ――ビンゴ。私の背筋に、冷たいものが走った。


 勉強会という閉じた箱の中で、サクラ(工作員)を使って参加者の不満を増幅(エコー)させている。  

 意図的に強い言葉を使う人間を混ぜ、参加者同士で主張を高めさせ、最終的に怒りの坩堝にする。  

 そうして場の熱が最高潮に達したタイミングで、カルロスの正義感に訴えかけるのだ。


『みんなの声を聞いただろう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()』と。


 外堀を埋めて、善人を“暴徒のリーダー”に仕立て上げる。  

 極めて実践的で――組織的な扇動(アジテーション)の手口。


「……なるほどね。篤志家のふりをして、随分と熱心なこと」


「え?」


「いいえ、なんでもないわ。カルロスさん、一つだけ忠告しておくわね。誰かの『代弁者』になるということは、その誰かの『道具』になることと紙一重よ。あまり背負い込みすぎないように」


 きょとんとするカルロスに当たり障りのない笑顔を残し、私たちは拠点を後にした。


 帰りの馬車の中、重苦しい空気が流れる。  

 リュシアが不機嫌そうに腕を組んだ。


「……真っ黒ね。ただの慈善活動好きの商人じゃなさそう」

「ええ。あれはただの不満分子じゃないわ。明確な『意図』を持ってカルロスと周囲の人間を教育(オルグ)している」


 私が前世の知識から導き出される嫌な予感を反芻していると、それまで沈黙を守っていたステラが、ボソリと呟いた。


「……訛りがあった」


「え?」


 ステラは無表情のまま、車窓の外――貧民街の方向を見つめている。


「さっきカルロスと話していた商人風の男。去り際に一言喋った言葉……あれには微かに、ヴァリャーグの訛りが混ざってた」


「ちょっと、ヴァリャーグって……」


「ん。独特の母音の発音。普通の人は気づかないレベルだけど」


 ステラの言葉に、私とリュシアの顔色が同時に変わる。

 叔父のグスタフと内通し、ステラに私を殺させようとした東の大国。

 私の暗殺失敗後はどうも大人しくしているようだったが――再び動き出したと考えるべきか。

 

「……しかも、あの男のカルロスへの接触の仕方、身体に触れて親近感を出そうとするさま。あれは工作員の協力者獲得の初期段階の手順と同じ」


 ステラの淡々とした指摘が決定打だった。    

 ――確定だ。  

 ノースウッド商会。そしてその背後にいるのは、ただの悪徳商人じゃない。  

 国家規模で革命を輸出してくるプロの工作員たちだ。


「……厄介なことになったわね」


「どうするのリリアーネ? 領主の権限でノースウッド商会をしょっぴく?」


「証拠がないわ。向こうはあくまで『善良な商人』と『悩みある労働者』を演じているだけ。下手に手を出せば、『アッシュフィールド伯は民衆の声を弾圧した』って宣伝材料にされるのがオチよ」


 敵は影に潜んでいる。  

 ならば、こちらも影の専門家に頼るしかない。


「……行き先変更。港へ向かうわ」

「港って……またあの人のところ?」

「ええ。私の領地(シマ)で勝手なマネをしてくれたんだもの。仁義ってやつを教えてあげないとね」


 私は御者に指示を飛ばし、行き先をグレイハウンド商会に変更する。

 裏社会には裏社会の顔役を。  

 イリヤ・ヴォルージンなら領主(おもて)では動けない世界で、何か掴んでくれるかもしれない。

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