第18話 パンとサーカス、あるいは猫耳アイドルシスター
「……アイドル?」
私の口から漏れた、この世界には存在しないはずの単語。
しかしフランツ司祭はそれを聞き取る余裕もないほど、切羽詰まった様子でまくし立て始めた。
「そ、そうです! 正確には『福音劇』と呼んでおります! 歌と踊りで女神様の教えを民衆にわかりやすく伝え、それを見るために集まった信徒たちから、その……投げ銭……い、いえ、浄財を募るのです!」
フランツは滝のような汗をハンカチで拭いながら、必死の形相で訴える。
「我がエルベ修道院は、長年慢性的な赤字に苦しんでおりました。ビールやチーズを作って販売もしておりますが、田舎ゆえに販路も限られ――」
なるほど、しかし人口の少ない田舎ゆえに寄進もあまり見込めず、運営費が足りなくなっていると言う事か。
寄進を一ヶ所に集約し、そこから均等に配分するという方法もあるにはあるが、それをすると人口の多い地域の教会や修道院からの反発は免れない。
「そこで、この子が歌って踊ることでお金を稼ごうと考えたわけね」
「ひっ、人聞きが悪いことを仰らないでください! あくまで布教活動の一環です!」
フランツは「布教」という単語を強調するが、目が完全に泳いでいる。
まあ、背に腹は代えられないということか。
ビビりの小心者ではあるが、こんな施策を立案する辺り追い詰められると大胆なことを考えるタイプかもしれない。
「でも、それなら先にバルディーニ司教に相談するのが筋じゃなくて? 教会の方針差し置いて領主が勝手に決めていい問題でもないし」
私が最もな疑問をぶつけると、フランツはぐっと言葉を詰まらせ、チラリとアストリッドを見た。
アストリッドは「ん?」と無邪気に首を傾げている。
「じ、実は……昨年、一度この福音劇を試みたのです。近隣の村々では大好評で、信徒も増え、修道院の財政も黒字になりかけました。……ですが」
「ですが?」
「その……前任の――バルディーニ司教様の前任の老司教様に活動がバレまして……『神聖な教えを大道芸に堕とすとは何事か!』と激怒され、即刻中止を命じられたのです」
うーん、残念だが当然。
前の司教は見るからに頑固で保守的なお爺ちゃん司教だったし、教会の中で歌って踊るシスターなんて論ずるに値しないだろう。
「そ、そこへ! 司教様が代わり、新しくリュシア・バルディーニ司教様が着任されたと聞きまして!」
「じゃあ私よりもバルディーニ司教に掛け合ったらいいじゃない。前の司教よりは融通が利くでしょうに」
「そ、その……バルディーニ司教の、経歴が――そ、その女神様に仇なす邪悪な者に神罰を与えて回る――その……特殊すぎるご活躍を考えますと、その――」
フランツは言い難そうに顔を青ざめるが、なるほどね。
確かにリュシアは異端審問官のエリート部隊、聖銃騎士団の末席だ。
そんな人間に「うちのシスターをアイドルにして運営費を稼ぎます!」なんて訴えたら雷が落ちるより先に、フランツの頭に銃弾が撃ち込まれる可能性さえある。
いや、リュシアはそんなことしないけど、彼女を経歴でしか知らない人は、多分そんな風に考えるのだろうなぁ。
……まあ、私も当のリュシア本人をよく知ってなければそう思う。
「そこでっ、街の人づてに、『バルディーニ司教は女伯様と懇意にされている』という話をお伺いして、この度、恐れ多くも領主様に司教様へのお取次ぎをお願いできないかと思い上がってしまった次第でありまして……!」
「……つまり? 私からリュシアに口利きをしてほしい、と?」
「さようでございますぅ!!」
フランツが土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。
リュシアが怖いからまずは「話が通じそうな(そしてリュシアと仲が良い)」領主を味方につけようという魂胆か。
小心者のくせに、なかなかの強かっぷりだこと。
「……てかさ。私とバルディーニ司教が仲がいいって誰から聞いたわけ」
「え、そ、それは……その……港で――道に迷っていたら……」
「親切な狼のおじさんが教えてくれんたですよ! ちょっと怖そうな人だったんですけど、事情を説明したらここへの地図まで描いてくれました!」
アストリッドはにぱっと笑いながらそう語る。怖そうな狼のおじさん――?
(イリヤじゃねぇぇぇぇかああああああ!!!!)
港に徘徊している怖そうな狼のおじさん。
間違いなくヴォルージン・ファミリーのボス、イリヤ・ヴォルージンだ。
あんのヤクザ、面白がって焚きつけてきたな!
絶対あいつ「シノギの匂いがプンプンするぜ〜」って内心ほくそ笑みながら地図書いたに違いないわ。
いやね、そらアイドル興行なんて話聞いただけで美味しいビジネスだとは私も思うよ?
イリヤだって絶対金儲けの匂いを嗅ぎ取ったはずよ。
でも、これは教会案件、下手に触ると面倒なことになるから私にぶん投げ、上手く話がまとまったら横から一枚噛んでやろうって魂胆に決まっている。
内心ではイリヤに毒づいているが、一応私、領主だからね。動揺を表情に出すなんてヘマはしない。
私はゆっくりと紅茶を一口飲んで呼吸を整えてから、口を開く。
「事情は分かったわ。……で、商品は?」
「は?」
「その『福音劇』とやらよ。私が口利きするに値するかどうか、現物を見せてもらわないと判断できないわ」
「あ、はい! もちろんです。アストリッド、いつものあれを! 『女神さまは見ている』だ!」
「はーい! わかりましたぁ!」
アストリッドは元気よく返事をすると、応接室の中央、テーブルの前のわずかなスペースに立った。
彼女は一度深呼吸をして、目を閉じる。
その瞬間――それまでの落ち着きのない子供のような空気が、ふっと消えた。
「♪~」
彼女が歌い出した瞬間、室内の空気が変わった。
決して、洗練された技術があるわけではない。
声楽の基礎ができているわけでもないし、踊りもどこか自己流で野暮ったい。
でも――
目が、離せない。
ぴょこぴょこと動く猫耳。スカートを翻して回るたびに揺れる尻尾。
そして何より見ているこちらまで笑顔にしてしまうような、圧倒的な愛嬌とエネルギー。
彼女が笑うと、部屋の温度が一度上がったような錯覚すら覚える。
――天性のアイドルだ。
ドームを埋め尽くす観衆ではなく、数人の聴衆しかおらず。
大掛かりなステージ装置や光の演出もない、簡素なステージ。
それでも――私の中の魂が、激しく共振する。
理屈や技術を飛び越えて、人の脳髄に直接「KAWAII!」を叩き込んでくる暴力的な光。
「♪~~♬~イェイ!」
最後の決めポーズで、彼女はビシッと指をこちらに向け、ウインクを決めた。
ステラが呆気にとられたように目を丸くしている。
この世界に『偶像』という特異点が生まれた。
その歴史的瞬間を前にした衝撃が、私たちを包んでいる。
「……伯爵様、どっどうだったでしょうか?」
「感想を聞きたいです!」
「え、えっと……」
私はゆっくりと息を吐き出し、紅茶を一口飲んで動揺を隠す、
私の脳内で、腹黒ウーマンとしての冷徹な計算機が高速で回り始める。
これから先、アッシュフィールド領――いや、王国全土を襲うであろう“飢饉”と“内乱”。
民衆は飢え、心は荒み、その不満は必ず統治者へと向く。パン(食糧)は順調に備蓄が進んでいる。だが、それだけでは足りない。
人は、パンのみにて生きるにあらず。辛い現実を忘れさせてくれる“熱狂”と“救い”が必要なのだ。
古来より、為政者が民衆をコントロールするために用いた最強の統治技術、『パンとサーカス』。
このアストリッドという少女は、そのサーカスの核になり得る原石だ。
「……フランツ司祭」
「は、はいっ!」
「この企画、採用よ。我がアッシュフィールド家が全面的に支援します。バルディーニ司教にも何とか話を通すわ。ステラ――今すぐリュシアに面会依頼を。できるだけ今日中に話を通したい」
「ん、わかった」
そう言うと、ステラは心得たとばかりに軽く一礼し、扉から素早く部屋を出るのだった。
※
善は急げと言うし、鉄は熱いうちに打てと言う。
数十分後、リュシアへのアポが取れた私たちは、その足で屋敷を出て馬車に乗り込もうと玄関ホールを抜けた――のだが。
「よお、お嬢。奇遇だな」
屋敷の正門の前に、腕を組んで出待ちをする男が一人。
仕立ての良いスーツを着崩し、鋭い眼光を放つ狼男。
港の顔役、イリヤ・ヴォルージンその人がまるで散歩のついでと言わんばかりの顔で立っていた。
「……奇遇ねえ。港を根城にしているあなたが、こんなところまで散歩かしら?」
「ああ、今日は天気がいいからな。風の向くまま気の向くまま、ぶらりと散歩に洒落込んでいたわけよ」
白々しい~! とっても白々しい~!
間違いなくアストリッドたちを屋敷に送り込んだ後、話がまとまるのを出待ちしていたに違いない。
まあ寒空の中をじっと待っていたのだけは評価してあげようかしら。
「ああっ! さっきの親切な狼のおじさん!」
アストリッドがパァっと顔を輝かせて手を振る。
イリヤはニッと口の端を吊り上げ、片手を上げて応えた。
「ようシスター。迷子にならずに辿り着けたみたいで何よりだ」
「はいっ! 領主様、すっごくいい人でしたよ!」
「そいつはよかった。……で、これから教会へ『カチコミ』に行くんだろ? 俺も混ぜてくれよ。迷える子羊を導いた縁だ、最後まで見届けねえとな」
「見届ける? 『いっちょ噛みさせろ』の間違いでしょう?」
私がジト目で睨むと、イリヤは悪びれもせず肩をすくめた。
「人聞きの悪いこと言うなよ。……ま、この面白い見世物で発生する金の匂いを嗅ぎつけて来たってのは否定しねえけどな」
「正直でよろしい。……乗りなさい。どうせ追い払っても勝手についてくるんでしょ」
「へいへい、感謝しますよ領主様」
どちらにせよアイドル計画が動き出せば、グレイハウンド商会を通して彼と組むことは避けられない。
ほんと抜け目ないというか、目聡いというか。
こうして、私たちはこの抜け目ないヤクザ狼を馬車に加え、リュシアの待つ教会へと向かうことになったのだった。




