第16話 暗殺者と異端審問官とヤクザで作る、初めてのカレー
私たちは香辛料の他、カレーに必要な肉や野菜を揃え小高い丘の上の町外れの教会に向かう。
すでに日は傾き、礼拝のための一般開放の時間を過ぎているせいか、教会の正門は閉ざされている。裏門をノックすると、年老いたシスターが顔をのぞかせた。
「……ああ、領主様ですか。すみませんね、礼拝のお時間は終わってしまいまして」
「あー、いや。シスターマーガレット、今日はバルディーニ司教にお会いしたいんですけど、今大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。こちらへどうぞ」
シスターマーガレットに促されるまま、私たちは礼拝堂の中を通り、奥の応接室まで歩く。
応接間には暖炉とテーブルと数脚のソファしかない簡素なものだ。この応接間に通され、リュシアを待っていると、やがて疲れた顔をした彼女が姿を現した。
「あら、リリアーネ。こんな時間に何か用? それに今日はまた……珍しい組み合わせね」
「お邪魔しているよ、司教様」
ソファでふんぞり返って座っていたイリヤが、ゆったりとした仕草で挨拶する。
「へえ……リリアーネったらヴォルージンさんとも仲良くしてるとか、まーた悪巧み?」
リュシアは目を細めて私とイリヤを交互に観察する。
彼女のことだ。イリヤの裏の顔なんてとっくに把握していて、そんな彼が私とつるんでいることでロクなことに繋がらないと警戒したのだろう。
「あのね……別に何もないって。私もイリヤもあくまで仕事上の取引の間柄よ」
「あなたの“取引”友達なんてまさしく悪巧み以外にないじゃないの。……それで? わざわざ私とおしゃべりに来てくれたわけではないんでしょ?」
「教会の厨房を貸してもらいたくて」
「厨房……? 別にいいけど、何作るつもりなの」
リュシアは鼻をくんくんと鳴らす。
そういえば、香辛料って独特の風味だからかなり目立ってしまうわね。
「異国の料理よ。麦を肉と野菜で煮込み、香辛料で風味付けした……カレ――じゃなくて、麦の黄金煮込みスープよ」
カレーという謎の固有名詞を口にしかけて、すかさず咄嗟に頭に浮かんできたネーミングでごまかす。
「肉と野菜のスープにしては香辛料とかえらく高価なモノを使うじゃないの。投機価値のある香辛料を惜しげもなく料理にぶち込むとか、相変わらずあなたって見ていて飽きないわ」
「リュシア……イリヤと同じこと言ってるわよ」
「何が」
「香辛料は投機商品だって」
「ハッ! そりゃまあ金の匂いに敏感な人間なら全員同じ感想になるだろうな。司教様もその類だってことかねえ」
「ご、誤解よ……」
「ククッ、いいってことよ。俺みたいなワルは同類の匂いに敏感だ。伯爵のお嬢、お付きの狼の嬢ちゃんだけでなく、司教様もこっち側に片足突っ込んでいるのはお見通しだぜ」
イリヤがニヤニヤと嫌らしい笑顔を向ける。
この分だとイリヤもリュシアが教皇庁で異端審問官をやっていたことぐらいすでに知っているのだろう。
「はあ……否定はしないけどね」
「リュシアもイリヤも、リリアーネの周りって危ない人しか集まらないよね。私がしっかりリリアーネを守らないと」
「「お前も(あなたも)十分同類でしょ(だろ)……!」」
ステラの他人事のような呆れた一言に、リュシアもイリヤも声を揃えてツッコむのであった。
元ヴァリャーグの暗殺者ステラ。
異端審問官のエリート、聖銃騎士十三位のリュシア。
領都グレイヴィルに根を張る裏社会の顔役イリヤ。
やだっ、私の周りに集まってくる人間、カタギが誰一人としていねえ!
助けてヴェルナー! あなただけが唯一の私の常識人の味方だ!
※
リュシアの案内で私たちは教会の厨房に向かう。厨房は古さを感じさせるも、清掃が行き届いており清潔に保たれている。ここのシスターたちが毎日きちんと料理して洗った後の手入れがされていることうかがわせていた。
「おじゃましまーす」
「……領主様、何をお作りになるんです?」
「秘密。後で一緒に食べてください、シスターの分も用意しますから」
「はあ、そうですか……ではお言葉に甘えさせてもらいます」
ターメリック・クミン・トウガラシ、この三種の神器さえあればカレーは出来る!
とろみは麦を煮込むことでカバー!
ああ、今までパン生活ばかりだったけどようやく前世で食べ慣れ親しんだ味を再現する時が来た!
私は皆に肉や野菜のカットを任せ、湯を沸かすため竈に火を付けようと思ったのだが――
「火打ち石ってどう使えばいいんだっけ……?」
カチンカチンと打ち付けて火を起こそうにも、なかなか火種が出ない。
普段は料理なんて使用人に任せているし、前世はIHやガスコンロだし、ライターやマッチすらない世界での料理が、思っていた以上にハードルが高いことを知るのである。
「えっ、ちょっ、嘘でしょリリアーネ」
「……リリアーネって実は何も出来ない子?」
「悪巧みばかりのお嬢もこういうところはお貴族様って感じだな」
三人が口々に私に対して酷い言葉を投げつけて来る。くそうくそう……悔しいのう……
「ううう、うっさいわね! じゃあやって見せなさいよ」
「てか、火打ち石なんてかったるいもの使わなくていいでしょ。竈に火を点けるぐらい……ちょっと離れて」
そう言ってリュシアは指をパチンと弾く。
するとシュボッという音とともに竈の中で火が爆ぜ、薪に火が灯る。
「こんなの魔法使えば一発じゃない。何を手間取っているの?」
「そ、そうね! 魔法を使えば火なんて簡単に付けられるものね!」
すごく今更の当たり前の事実に衝撃を受ける私。
そうだよね! この世界ゲームの世界だもんね!
ずっと机で書類との戦いと、街中での駆け引きばかりしていたからすっかり忘れていたが、魔法があれば火なんていつでもどこでも点けられるのだ。
「……あなた、まさか魔法もろくにできないとか?」
「で、ででで出来らぁ! ほら、こう……火打石なんて使わないでも……」
私は右手の人差し指に集中し、指先からライターぐらいの強さで火花を散らした。
リュシアは「なんだ出来るじゃない」とでも言うかのような表情を向けてくる。
うん、もし私がこの世界で冒険者とかやっていたら、初級の生活魔法ぐらい使いこなせているかもしれない。
でも私ってほら、お貴族の箱入り娘で魔法とかいう力が無い世界の出身だし、日常で魔法を使う発想があんまりないのです。
「あ、でもリリアーネを暗殺しようとしたグスタフ相手には魔法使ってたよ」
「そういやリリアーネってそんなことあったわね。報告書で読んだわ。どんな魔法使ったの? 教えてステラ」
ちょっ! そんなこと言わんでいい!
「ん、拳に魔力込めて、ぶん殴っただけ」
「おい、それって魔法と言えるのか?」
イリヤも思わず苦い表情でツッコむ。
うるせーうるせー! あの時はグスタフを嵌めるために仕込んでた毒が自分に効いている真っ最中だったんだよ!
毒でフラフラになっている時に出来る精一杯の魔法でしょー!!
「そんなことより! 黄金煮込みスープのほうが大切なんです! 火が付いたんだからちゃっちゃか作っていくぞ、ほらそこ、肉と野菜切っておいたでしょう? 鍋に放り込んで煮込みなさい!!」
「へいへい、お嬢」
こうして私の恥ずかしいところをリュシアたちに晒すハプニングがありつつも、黄金煮込みスープ(カレー)は完成したのであった。
※
教会の食堂で、私たちは教会スタッフのシスターと共に食事の席を囲んでいた。
麦を煮てトロミをつけたスープの中には肉と野菜と香辛料の香りがギュっと濃縮されている。
市販のルーよりもエスニックな香り、街のインド料理と銘打つ謎のネパール料理店でよく嗅ぐ匂い。ああ、これこれ! この懐かしい香りよ! もうカレーなんて久しく食べていなかったせいもあるだろうが、とにかく美味しそうな見た目である。
「おやまあ、すごく食欲をそそる良い匂いですねえ」
シスターマーガレットはスンスンと鼻を鳴らしながら、器に注がれた黄金煮込みを見てうっとりとしている。まさに香りの暴力である。
「ほう、こいつぁ……煮込んでる時から香辛料のいい香りをしていたが、こうして出来上がったモンみるとたまんねえなあ」
「うん、でも香りが強すぎて潜入任務の前に食べるのはちょっと控えたほうがいいと思う」
「で、リリアーネはこれを作るのに十万エデルのお代を出したって?」
リュシアの言葉にシスターマーガレットはギョっとした目でリュシアを見る。
「十万エデル!? 領主様さすがにそんな高価なものいただくのちょっと……」
「いや……私が好きで払ったので、そこはお気になさらず……!」
「そうですか……それでは領主様のお心づけ、ありがたく頂きますね」
そう言って皆黄金煮込みを口へと運ぶ。
「おお、これうめぇ!」
「へえ、これが十万の味ねえ。でも美味しいわ」
リュシア、十万から離れろ。
「ん、辛くて美味しい」
「そうね、寒い日には身体が温まって良いわね。これで香辛料が安くなったらみんな喜んでくれるのに」
シスターマーガレットがそんな感想を漏らす。
当初は特別な日の麦の穂での炊き出しメニューと考えていたが、この人数でも大枚を叩いてしまっている現状では、いくら特別な日メニューとしてもコストパフォーマンス的に厳し過ぎる。
私も器に盛られたカレー(黄金煮込み)を口に運ぶ。
あっ、これ美味い! 懐かしのカレーだよ、これ。
いやあ……この味が恋しかったんだよね……!
二口目、三口目と食べるごとに口一杯に広がる懐かしさ。
ところが、私はどうしても、一つだけ物足りなさを感じたのだった。美味しいゆえに感じる物足りなさ。
これはカレーでなく、麦を使ったカレーリゾットなのだ。
カレーには……カレーには炊き立てのつやつやご飯にルーをかけたカレーライスでないとダメなのだ!
(うう……白いご飯が食べたいよぉ……)
心の中で涙の流しながら美味しいカレーリゾットを
私の日本食の追及はまだまだ終わりそうにはないのであった。




