第11話 お控えなすって? いいえ、殴り込み(ごあいさつ)です
私は執務机の上に広げた書類の束を、トントンと揃えてから、ひときわ分厚い紙の束を摘まみ上げた。
麦の穂の公認と活動範囲について、各団体から寄せられたご意見が山のように積まれている。内容は……まあ泣き言と利権のにおいが交じり合った紙束だ。
(まあ、これはこれで想定通りなんだけど)
問題は――
「……ないのよね、一番うるさそうなところからが」
「なにがないの? リリアーネ」
ソファに寝転がりながらナイフの手入れをしているステラが片耳をぴくりと動かし、視線だけをこちらに向けた。
領主の執務室で堂々と寝転がりながらナイフを弄るんじゃない。
「意見陳述よ。港湾部と貧民街を“実質的に”仕切ってる組織からのね。“グレイハウンド商会”って聞いたことない?」
「グレイハウンド……? 商会?」
ステラが上体を起こして、きょとんと目を瞬かせた。
他人の敵意にはめちゃくちゃ鋭いくせに、興味のないことにはとことん疎いのよねこの娘。
「領都グレイヴィルの港の荷揚げ、倉庫、運送、それから貧民街の“自警団”を取りまとめてる商会よ。表向きはね」
「あー、はいはい。いかにも裏ではきな臭そうな連中? ヴァリャーグでもいたよそういうの」
ステラの尻尾がピコンと上がり、口元がにやりと歪む。
うむ、暴力の匂いには敏感、私の狼らしいっちゃらしい反応だ。
「裏の名前はヴォルージン・ファミリー。貧民街と港湾の利権を預かる元締め。殺しは必要に応じて、人身売買はご法度、脱税教唆・密輸・高利貸し・用心棒がメイン業務――ってところかしら」
「わかりやすいね。それで、そのヴォルージンなんとかさんと麦の穂が何の関係があるの?」
「麦の穂は貧民街を中心に活動する慈善団体。タダで食事を配り、病人の世話をし、仕事を斡旋する。一方、ヴォルージン・ファミリーは貧民街の貸付と用心棒と“仲介”で食べてる。さて――自分たちのシマで、勝手に慈善団体がシノギを削り始めたら、そういう連中はどう思うでしょう?」
「“ウチを噛ませずに勝手な真似しやがって”ってなるよね、普通なら『ボスに話は通ってんだろうな?』って、話し合いに来るはず」
「そう。麦の穂が目立てば目立つほど、グレイハウンド商会から話し合いの申し入れが来ていいはずなのよ」
私は椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
「でも来ない。沈黙。完全に興味がないのか、あるいは――もう別の話が裏で動いていて、これから事を起こすつもりなのか。どっちにしても、領主にとっては気味が悪いわ」
「……正直に言っていい?」
ステラが手を挙げる。
「何かしら」
「そんな面倒くさい連中なら、放っとけば? 向こうから“殴り込み”に来てくれた方が、正当防衛で潰しやすいじゃない」
「それはそれで面倒よ。港と貧民街を仕切ってる実質的な支配者を一気に潰したら、空白を埋めるために別の連中が――それこそヴァリャーグの息がかかった連中とか入って来るわ。そうなったら私の胃に穴が開く」
「胃に穴……ふふっ」
ステラが苦笑する。
いや、笑い事じゃないのよ。内政ってそういう泥臭いところで決まるんだから。
「だから――こっちから会いに行くわ」
私は執務机から立ち上がり、クローゼットから外套を羽織った。
ステラが目を輝かせる。
「向こうから“挨拶”される前に、伯爵として正式に“ご挨拶”しておきましょう。ファミリーのボス、イリヤ・ヴォルージンにね」
「いいね。で、“お嬢様”は今日はどんな顔で行く? 慈悲深い伯爵様? それとも――」
「そうね――今日は“アッシュフィールドの狼”として行きましょうか。それなりのケモノ相手には、それ相応の爪と牙を見せておかないとね」
「了解。じゃ、私も“狼の牙”としてしっかりお守りしなくちゃ」
ステラの尻尾が、楽しげにふわりと揺れる。彼女はニっと笑うとナイフを太股のホルダーにしまう。
――さて、領都グレイヴィルの闇を牛耳る裏社会のボスとやらに、ちょっと領主として“ご挨拶”に行くとしますか。
※
昼下がりの港は、いつものように騒がしかった。
波止場にぶつかる波の音、荷を積み下ろす怒号が飛び交い、大勢の船乗りが酒と娼婦を買うために船を降り、また船に乗る。
そのすべてを、イリヤ・ヴォルージンはこの港で預かる男。
グレイハウンド商会の名で港を取りまとめる商人の長――そして貧民街を支配するマフィア、ヴォルージン・ファミリーのボスである。
仕立ての良いスーツに包まれた筋肉質の肉体の男、その椅子の背に預けた頭部は、完全に獣――灰狼のそれだ。
長い口吻から漏れる息が、かすかに白く煙と混じる。
「……で? 何がそんなに気に食わねぇんだ、お前らは」
低い声で促すと、目の前の机を囲んでいた若い連中が、待ってましたとばかりに口を開いた。
「ボス、あの“麦の穂”って連中ですよ。貧民街でタダ飯配って回ってやす」
「そうですよ。パンにスープだの、全部“女神の恵みです”ってタダやられたらウチ貸し付けもままならねえ」
一人がまくし立てれば、別の一人が怒鳴るように続ける。
「しかも、あいつら伯爵様のお墨付きで動いてるんでしょう? おまけに教会の聖女のお守り付きで。なのにウチには何の話もねぇ。港と貧民街で商売するなら、普通は挨拶のひとつもあるもんじゃないですか」
「そうだそうだ。伯爵家の慈善だかなんだか知らねぇですけどよ、ウチ飛ばして勝手にシノギ掠め取ろうなんざ完全に舐めてやがる」
若い衆の拳がドンッと机に振り下ろされる。
イリヤはまぶたを伏せ、灰皿へとゆっくり灰を落とした。
彼らの言い分は分かる。
貧民が飢えれば、ヴォルージン・ファミリーの貸付と仲介が“救い”になる。
貸し、働かせ、食わせる。その繰り返しで、貸し借りの網を街に張るのが今までのやり方だ。
そこに、ただ飯を配る連中が現れれば――借金は減り貸し手の威光も薄まる。
「……まずひとつ、教えてやる」
イリヤは煙草をもみ消し、指先でトントンと机を叩いた。
「仮にも教会お墨付きの慈善団体にだ。俺たちのようなやくざ者が“シノギ噛ませろ”なんて表立って言ったら笑い物だ。あのファミリーは慈善の金までタカらないとやっていけねえのかとな」
若い衆たちが一瞬だけ言葉に詰まる。
分かっていながら、口に出して欲しくなかった種類のことだ。
「で、でもよボス。あそこの貧民どもが暮らせてるのはウチが喧嘩を止めて、盗人を締め上げて、よそ者を黙らせてるからで――」
「わかっている」
イリヤは短く遮った。
その声に、部屋の空気がすっと冷える。
「ウチがやってることを、一番わかってるのは俺だ」
――父親の葬儀の場で毒殺されかけ、その場で黒幕の叔父を殴り倒した“白狼の女伯”。
(あんな曲者が、貧民街をウチが仕切ってることを知らねぇはずがない)
知らないはずがないのに、何の話も寄越さない。
だから部下どもは「舐められている」と噛みつくが――
(本音を言えば、あの娘は俺と同じことを考えてるんだろうさ)
仮にも慈善団体に、やくざ者が堂々と噛んでいるなんて噂が立てば、
伯爵家の“体面”とやらが持たない――それくらいは、さすがに理解している。
「ボス……」
黙り込んだイリヤの顔色を伺うように、若い衆の一人が遠慮がちに声をかける。
「このままじゃ、ウチの顔が立ちませんぜ。あの伯爵の小娘に、“ヴォルージンは無視してりゃいい”なんて思われてるままなんざ、俺たちも黙ってられねぇ」
「そうですとも。ウチのことは、教会でも伯爵家でもなく、ヴォルージンが一番知ってる。線引きだけでも話し合っておかねぇと、いずれ揉めますぜ」
その言葉には、単なる虚栄だけではない現場の実感も混じっていた。
港を血で洗ってきた連中の、“勘”だ。
(やれやれ……厄介な芽が出やがった)
イリヤは組んでいた指を解き、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「……わかった」
低く呟くように言うと、若い衆たちの耳がいっせいにこちらを向いた。
「お前らが“顔を立てろ”と言うなら、立ててやるさ。ただし、やり方は俺が決める。いいな?」
「お、おう、もちろんでさぁボス!」
「誰もボスの筋には口出ししやせん!」
口々に答える声を背に、イリヤは煙草の箱から一本を抜いた。
火を点け、深く吸い込み、長く吐き出す。
(……でも本当はな)
吐き出された煙が、窓から差し込む日の光を受けて眩しく揺らめく。
(できることなら慈善だの信心だのに、ウチなんか噛まない方がいい。女神様のパンに、俺たちのようなろくでなしが歯形をつけるのは気が引ける)
苦笑が喉の奥で小さく転がったその時――
「ボス!」
慌てた様子の若い衆が、ノックもそこそこにドアを開けて飛び込んできた。
「なんだ、今度は」
「アッシュフィールド伯爵家の馬車が……! 外に……!」
「ほう?」
イリヤは一瞬だけ目を細め、それからゆっくりと口角を吊り上げた。
「……そうか。向こうから“ご挨拶”ってわけだ」




