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幕間 「神はいない」と聖女は嗤った

 二年前――アルカ聖教国教皇庁・エンテレケイア大聖堂。

 燭台の炎がゆらめく荘厳な儀礼の場にてリュシア・バルディーニは聖銃騎士の称号を叙された。  

 幼い頃よりその才能を教会に見いだされ、神童として育てられたリュシアは司教に昇進とともに、教会が有する最高峰の戦力――聖銃騎士の末席を認められたのである。  


 これまでの道のりは神童と言えども決して楽な物ではなく、平民出身ゆえに嫉妬も多く受けた。

 身分だけではない、その才覚にも向けられた醜い感情に晒されながらもリュシア・バルディーニは正道を貫き続けた。  

 その努力がついに身を結び、今ここに至った彼女である。


 本音を言えば戦力などと血生臭いものではなくもっと清らかな女神の使徒として神の奇跡を広められる聖務を希望したのだが。

 これも神の示した道だと思うしかあるまい――そうリュシアは自分を納得させた。

 もっとも、聖銃騎士となることで罪なき民の剣となって魔物の脅威を祓い、守ることは間違いなく聖務であると言えるので悪い事ばかりではない。むしろこの栄誉を与えられたことに感謝しなくてはいけない。


「リュシア・バルディーニ。汝、女神の意志を体現せよ」


 教皇の声が響き、祭壇の中央に置かれた聖杯から光の粒子が立ち上る。

 女神の祝福――女神アルカ・エンテレケイアの血とも言われる目に見えないほど微細な、神の奇跡そのものとされるもの。リュシアは深く息を吸い、両手を広げて受け入れる。


 黄金の粒子が彼女の肌に触れ、溶け込む。

 最初は温かく、優しい光のようだった。体中を巡る感覚は、まるで女神の愛に包まれるよう。

 声がする。女性の声だ。ああ、ついに女神の声が自分にも聞こえ――


《適合確認……完了。ユーザー:リュシア・バルディーニ。ユーザーコード:Ex-013。エンテレケイア・ネットワークへのアクセスを承認します。ナノボット注入率:30……60……80……100%――システム同期中……。エラー検知なし。運用開始》


(え――?)


 女神は温かみを感じさせない冷たく無機質な音声だった。

 体内に注入されたモノが血液と交じり合う。

 細胞と交じり合う。

 神経と交じり合う。

 自分の意識と融合していく。

 ――否、()()()()()()いる。


(熱い……痛い……!!)


 リュシア・バルディーニの肉体と意識と魂が、女神と繋がっていく。  

 それは神の奇跡とは程遠い――無慈悲で、無感動で、無感情がリュシアの魂を凌辱する。

 絶望が胸を抉る。幼い頃から信じてきた神の存在、神の奇跡。

 そんなものは、どこにもなかった。あるのは、ただ秩序をもたらすだけの巨大な“仕組み”。  


 そして金色の光が体より篭れ出る。

 頭上に黄金の光輪。背中には同じ色の光の翼が現れていた。  


《エンテレケイア・ネットワークに接続しました。ユーザー・コード:Ex-013(リュシア・バルディーニ)》


「聖銃騎士第十三位、リュシア・バルディーニ、汝は今を以って女神アルカ・エンテレケイアの祝福により聖銃の加護を受けた。その身、その精神が果てるまで女神の威光と安定を守り、世俗の平穏と幸福に奉仕せよ――」

「……謹んで……拝命いたします……女神に捧ぐ剣、民に捧ぐ盾として……」


 その言葉が、どれだけ虚しいものだったのだろう。  

 輝く光を纏いながら、リュシアの魂は凍てついた凍土地獄に堕ちていた。


 ※


 聖銃騎士となったリュシア・バルディーニの日常は彼女の精神を、ゆっくりと、しかし確実に蝕んでいった。

 教会の期待通り、彼女は女神の剣として活躍した。だが、その刃は民の脅威となる魔物だけに向けられるわけではなかった。

 異端審問――それが彼女の主な任務だった。

 最初のうちは、まだ耐えられた。罪なき女子供を攫い、非人道的な儀式を繰り返す本物の異端者の集団。

 リュシアの聖銃はそんな闇を払う光として機能した。


 だが、次第に任される任務の質が変わっていく。  

 もしかしたら最初からそうだったのかもしれない。

 異端(スケープゴート)の定義が、曖昧で恣意的に選択されている。教会の権威に逆らう貴族、教義に疑問を呈する学者、単に貧しくて教会に十分な金を積むことのできない者――


「バルディーニ司教。今回の神罰の対象はこの村の住民だ。異端の教えに染まり、女神の教えを拒絶しているとの報告が上がっている」


 ある日の任務。辺鄙な村での異端狩り。

 村人たちはただの農民だった。彼らは教会に隠れて密かに古い信仰を続けていただけだった。罪なき民を私欲のために犠牲にするとは思えない穏やかな村人たち。  

 だが、命令は絶対だ。リュシアは聖銃を構え引き金を引く。


 ドンッ!  ドンッ!

 銃声が響き、血の雨が降る。赤く熱い飛沫が彼女の法衣を汚す。肌に、髪に、染み込んでくる。

 叫び声。逃げ惑う人々。子供の泣き声。すべてが、リュシアの心を削っていく。


(これが……神の意志?)


 任務の後、鏡の前で彼女は必死に体を洗う。ゴシゴシ、ゴシゴシ。血の臭いが取れない。ぬるりとした感触が、いつまでも残る。

 夜毎、悪夢にうなされる。殺した人々の顔が、女神の冷たい声と重なる。


《精神状態に若干の乱れを検知……診断結果――運用可能》


「……うるさい」


 もう何度目だろう。

 女神はいつも、無情に、無機質な言葉を投げかけてきた。慰めや労りの欠片もない、ただ“仕組み”としての言葉。  


《……診断結果――要経過観察》


「うるさいって言ってんのよ!!! 黙れ黙れ黙れェェェェ!!!!」


 精神がすり減っていく。最後に笑ったのはいつだっただろうか。

 翠の瞳に影が差す。異端狩りの回数が増えるたび、彼女の心は少しずつ壊れていった。


 ※


 しばらくして、リュシアは任務から外された。

 同僚は何も言わなかった。騎士団長が「女神がお前を慈しみ、安らぎと休息をお与えになった。次なる戦いに備えて身を癒せ」と労った。


(――なんでそんなことを知っている。ああ、聞こえてるのか、あの声が。聞こえていて何も感じないのか)


《精神状態:要休養。任務一時停止中》


 そんな無機質な言葉が、彼女の頭に時折響く。リュシアはそれを無視し、ただぼんやりと時間を潰す。

 食欲もなく、睡眠も浅い。鏡を見るたび頬がこけ、翠の瞳がくすんでいることに気づくが、何も感じない。

 ただ、時が過ぎるのを待つだけ。


 女神は任務を遂行できなくなったリュシアを一切咎めることはなかった。

 ただ、定期的に彼女の身体状況を示す神言(メディカルチェック)を伝えるのみ。

 女神の意志を体現できない背教者に神罰でも与えてくれれば、身も心も神の奴隷(思考停止)として堕ちることができるのに。


 何もしないというのは忌々しいことにそれだけで心身をゆっくりであるが回復させていく。

 ひさびさによく眠れたと感じた朝。リュシアは意を決したといわんばかりの表情で枢機卿の下を訪れた。

 直属の上司である穏やかな老枢機卿。そういえば聖銃騎士に推挙したのも彼だった。彼は本心からリュシアの才を見込み、聖銃騎士への道に送ったのだ。


「おお……リュシアか。そなたは……休養中のはずだが、どうしたのだ?」


 枢機卿は書類から顔を上げ、優しく問う。リュシアは椅子に座ることもなく、ただ立ったまま、薄っすらと笑みを浮かべたまま投げやりに口を開いた。


「猊下……神なんていないんですよ」


 静かな部屋に、重い言葉が落ちる。枢機卿の表情が凍りつき、握っていたペンをはらりと落とす。

 リュシアは続ける。薄笑いを貼りつかせて。声に抑揚はなく、ただ事実を述べるように。


「アレが女神……? ただの秩序をもたらすだけの仕組みじゃないですか。アレは罪なき人々を殺してまで、守る価値なんてない――偽の神(システム)


 言った。言ってしまった。

 禁断の言葉。異端の極みとも言える発言に、枢機卿は息を呑む。


 普通なら即座に審問にかけられ、処刑されるレベルの大罪だ。

 枢機卿は黙って聞いていた。やがて、深い溜息をつき、静かに立ち上がる。


「リュシア……今は休みなさい。教皇庁の空気はそなたにはあまりにも重すぎたのだろう。……しばしの間、そなたに神の国から離れた静かな地で奉仕する任を与える。そなたの言葉は“告解”として私が預かろう……」


「甘いんですね。私は今大罪を犯しましたよ?」


「……“教えは暗き道を歩く人の灯火たれ”。神の教えをまだそなたが信じられているのならば、私は――そなたを信じたい」


「それは――教えは神よりも優先されるべきことなのですか?」


「私にそれを答える権利は持ち合わせていない。神の意思は……私たちのような弱い人間が、知るべきものではないのかもしれん」


 枢機卿の言葉は、真実の一端を知りながらも神を盲信することでしか心の平穏を保てない善良な人間の、せめてもの抵抗だった。


「わかりました。しばらく遠方の地での奉仕……謹んで拝命します。猊下」


「――ああ。行き先だが、エーデルガルド王国のアッシュフィールド教区を用意しよう」


 枢機卿は、本棚から地図を出し机の上に広げて指でなぞる。


「アッシュフィールド……不信心者のヴァリャーグとの国境沿いじゃないですか。田舎もいいところですね」


「静かないい土地だ。それに、あの地は領主が代わったばかりでな」


 枢機卿はリュシアを安心させるように、穏やかな笑みを浮かべた。


「先代伯爵が亡くなり、後を継いだのはわずか十六の少女だという。後ろ盾もなく、右も左もわからぬ若き女領主だ。きっと教会の導きを必要とするだろう」


「……」


「中央のような、醜い派閥争いや足の引っ張り合いとは無縁の場所だ。無垢な少女の相談相手になりながら、ゆっくりと心を休めるといい」


 枢機卿の配慮は完璧だった。  

 政治に擦れていない純朴な田舎の少女。その守役として、穏やかな日々を過ごす。

 傷ついた彼女の心を癒やすには、これ以上ない“揺り籠”のような任地。


「……16歳の、女領主ですか。世間知らずのお姫様のお守りとは、退屈しそうですね」


「退屈くらいがちょうどいい。……行きなさい、リュシア。かの地で、己の信仰とゆっくり向き合うといい」


 こうしてリュシア・バルディーニは左遷という名目の休養を与えられ、遠く離れた地へと旅立つことになった。  

 そこで待っているのが、無垢な少女などではなく――“悪役令嬢”だとは知らずに。

これにて麦の穂を巡るリュシアとの出会いのエピソードは終了です。

次話からは新展開となりますので、応援よろしくお願いします。

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