悪を一身に引き受ける令嬢はその最後を冬に問う
冬の城は、音がしない。
雪がすべてを吸い込み、
言葉も、足音も、罪さえも白く覆い隠す。
私は城の中庭に立ち、降り積もる雪を見つめていた。
――もうすぐ、終わる。
エレノア=ヴァルディス。
王太子の婚約者であり、
王国史上もっとも“悪名高い令嬢”。
それが、今の私の肩書きだった。
◇
私は昔から、空気を読むのが苦手だった。
誰かが嘘をつけば、それを真実だと受け取ってしまう。
誰かが冗談を言えば、本気で心配してしまう。
だから、気づけばいつも誤解されていた。
「エレノア様は冷たい」
「感情がないみたい」
「人の心がわからないのよ」
違う。
ただ、わかりすぎてしまうだけなのに。
私は人の悲しみを、痛いほど感じてしまう。
それをどう扱えばいいのか、知らないだけだった。
◇
王太子アーヴィンは、優しい人だった。
彼は争いを嫌い、
誰かを切り捨てる決断ができない。
だから私は、隣に立った。
彼が言えない言葉を、代わりに言った。
彼が下せない裁断を、代わりに引き受けた。
「それは許されません」
「規律を破った者は罰せられるべきです」
私がそう言うたび、
人々は彼を責めず、私を憎んだ。
――それでいい。
彼が優しい王になるなら、
私が悪になることに、何の躊躇もなかった。
◇
王城に、ひとりの少女が入ってきた。
平民出身の、無垢で、明るい少女。
誰にでも笑顔を向け、
誰とでも自然に言葉を交わせる。
彼女は、王太子に希望を与えた。
「殿下は、もっと優しくていいんです!」
そう言って笑う彼女を、
誰もが“正しい”と感じた。
その瞬間、
私は“間違った存在”になった。
◇
「エレノア様は、彼女をいじめているらしい」
「陰で圧力をかけているそうよ」
噂は、雪崩のように広がった。
違う。
私はただ、彼女を遠ざけただけだ。
王太子の優しさが、
彼女を壊す未来が見えたから。
けれど私は、それを説明しなかった。
説明すれば、
彼の優しさを否定することになる。
――それは、できなかった。
◇
断罪の日。
大広間に集められた貴族たちの視線は、冷たかった。
「エレノア=ヴァルディス。
あなたは王太子の名を騙り、数々の横暴を働いた」
王太子の声は、震えていた。
私は静かに、跪いた。
「……はい」
弁明の機会は与えられた。
それでも私は、何も言わなかった。
言えば、
彼は壊れる。
彼は“優しい王”でいられなくなる。
それなら私は、
最後まで悪でいい。
「異議は、ありません」
そう告げた瞬間、
すべてが決まった。
◇
牢獄は、寒かった。
石の床から冷気が伝わり、
指先の感覚がなくなっていく。
夜、見張りの騎士が声をかけてきた。
「……どうして、何も言わなかった」
若い騎士だった。
私を、憎んでいない目をしていた。
「言えば、楽になれたでしょう」
私は、少し考えてから答えた。
「……誰かが、悪にならなければならなかったのです」
「それが、あなたである必要はない」
「いいえ」
私は、微笑んだ。
「彼には、未来があります」
それだけ言って、目を閉じた。
◇
処刑は、冬の朝に決まった。
雪は深く、
空はどこまでも白かった。
最後に、王太子が私の前に立った。
「……エレノア」
彼は、泣いていた。
「君は、冷たい人間なんかじゃない」
私は、首を振った。
「いいえ。冷たいのです」
「……違う」
「いいえ」
私は、彼をまっすぐ見た。
「殿下は、優しすぎる。
だから、誰かが汚れ役を引き受ける必要があった」
彼は、言葉を失った。
「私は、それを選びました」
◇
雪が降る。
私の肩に、
髪に、
まつげに。
処刑台の上で、私は最後に問いかけた。
――もし、違う生き方を選べたなら。
――私は、誰かの友達になれただろうか。
――普通に笑い、
――普通に泣き、
――普通に、愛されたのだろうか。
答えは、わからない。
けれど。
遠くで、誰かが泣いている声がした。
それだけで、
十分だった。
私は悪だった。
それで、よかった。
雪は静かに降り続け、
悪名高き令嬢の人生を、
何もなかったかのように覆い隠した。
冬は、何も語らない。
ただ、すべてを白くして、
問いだけを残していく。




