縄文時代の思考-今を生きる
今から1万年以上前は、時代区分では旧石器時代になります。名前の由来は、当時の人々が打製石器を使っていたからです。定住することはなく、獲物を追いかけて移動を繰り返しました。狩猟採取で生活をしていたのです。アフリカに起源をもつホモサピエンスは、このようにして世界各地に分布していきました。1万年以後は、新石器時代に区分されます。打製石器から、石を磨いた磨製石器が使われるようになりました。新石器時代の次は金属器時代になります。
ところで今から16,000年前は時代区分で考えると旧石器時代に該当するのですが、日本だけはこの時から縄文時代が始まったとされています。それは、津軽半島の大平山元遺跡から16,500年前の世界最古級の土器が、出土されたからでした。この発見以後、中国でも更に古い土器が見つかったそうで、土器に対しする認識が変わりました。何故なら、それまでは土器の発明は農耕の始まりとセットで考えられていたからです。穀物はそのままでは食べることが出来ません。調理が必要になります。その道具として土器が必要でした。実際に、西アジア最古の土器はイランのガンジ・ダレから1万年前の土器が発掘されており、これは農耕の始まりと同じ時期になります。
日本列島における縄文土器の意義は、調理革命でした。果実を生で食べるか、肉を焼いて食べるかの二択だったところに、煮炊きが出来るようになったのです。このことで栗をはじめとする堅果類やキノコや根菜といった、それまで食べられなかった食材を食べるようになりました。
縄文時代における社会構造を一言で説明すると、循環型社会になります。現代で言うところのSDGs的な持続型社会が実現しており、その証拠として縄文時代は1万年を超える歴史的な重みがありました。氷河期を迎えた場合、現代であれば部屋の中をエアコンで暖めます。しかし、縄文時代はそんな便利なものはありません。氷点下という過酷な環境を乗り越えるために、様々な知恵を絞り一族で協力しました。つまり、大前提として大自然に従うしかない。この環境下において、人々は適度に消費して、適度に返すという行為を行っていました。この適度に返す行為は感謝の表れであり、その行為が供養になりました。循環型社会の背景には、このような精神構造があったと考えます。
森や海で生きる太古の人々は、山の上に神が住む世界があると考えていたようです。山は神域であり、生命が誕生するところで、また死して向かうところでした。先祖を供養するという行為は、神を供養する行為でもありました。また、このような世界観の中で注目すべきは、この世界と自分たち一族は信仰を通して分けられていない、ということです。そもそも個人という自我は、現代の感覚とは違う認識がなされていたと考えます。「私」とは、自分でもあり一族の総称でもあった。もっとも大切な価値は「一族の繫栄」であり、その中心に子供を産むことが出来る女性がいたのです。その痕跡は、妊婦をモチーフにした土偶に見ることができ、また信仰のタイプは女神信仰だったと考えます。このような世界観の中で、大自然と調和しながら縄文時代は続いていきました。
対する、社会構造は消費型社会になります。その始まりは、農耕文化でした。この世界観の本質は、食べるものが無いのであれば、それ以上に生産する……になります。農耕は多くの食料が生産できる代わりに、それ相応の新しい発展が必要でした。そもそも農耕社会は、狩猟採取に比べて様々なコストを必要とします。多くの労働者が必要ですし、収穫までに時間的なコストも必要でした。また生産能力を上げるためには、数学や暦学の研究も必要になります。これらコストのうち、最初の課題は多くの労働者の管理でした。この労働者を管理するためには組織を編成する必要があります。これはコンピューターで言うところのアルゴリズムでした。組織を編成して的確に駆動させるという行為は、縄文時代には無かった概念になります。古代の人々がこの新しい社会構造に従うことが出来たのは、宗教の力でした。この宗教について、僕の考察を述べてみたいと思います。
縄文時代において、先ほど神と人間は未分化だと述べました。ご先祖様の延長線上に、神が存在していたのです。例えば、旧約聖書の中にアダムとイヴの楽園追放の物語があります。知恵の実である林檎を食べたことで二人は楽園から追放されました。このモチーフは、楽園である狩猟採取生活からの決別だと、僕は考えています。狩猟採取時代、つまり縄文時代の人々は食べたいときに食べて、遊びたいときは遊ぶ。人々の行動を規制する縛りは少なくて、とても自由でした。
対して農耕社会は、王が定める規律に従って、民衆は農耕に従事する必要がありました。武力による強制力もあったでしょうが、それよりも宗教的な影響力の方が強かったと考えます。これがハラリが提唱する認知革命の効能でした。神と人間を分化して認識させ、神に権威を持たせます。偶像を提示することで、千人万人という多くの人々の行動を、宗教によって一元化することが出来ました。
この分化によって、神と人間との関係性も変化します。狩猟採取時代の供養は、この世界と共生できる感謝の心で行われました。ところが農耕社会になると、この供養が年貢や税へと変化していくのです。神の代行者である王は、人々から税を徴収する対価として、民衆に食料を提供し、外部圧力から人々を護りました。
ここで少し穿った考え方をご紹介します。神社に参拝した時、私たちは手を合わせて神様に何かしらのお願いをします。合格祈願、縁結び、商売繁盛といったお願いをして、賽銭箱にお金を入れました。供養が多ければ多いほど、御利益が大きいとされます。ここに「お願い」を金銭で「購入」するという図式が成立していることが分かるでしょうか。太古から繰り返されてきた自然な行為に感じられますが、この宗教的な行為は農耕社会から始まった宗教観だと僕は考えています。人間から遊離した神は、人間に施しを与える存在として人々に認知されていきます。人々は神の奇跡を求めました。功徳が大きい神ほど隆盛を極めていきます。ここに供養するという、本来の感謝の心はありません。
「いやいや、私は感謝しているよ」という声が聞こえてきそうです。ここで注目したいのは、何に感謝しているのかという対象と、その順番になります。ここからは僕の推測になるのですが、縄文時代における感謝は、この大自然と共生できていることの感謝でした。最初に感謝があり、供養が後になります。農耕文化以降の宗教では、功徳を期待して供養します。神社に限らず、現代においても、パワースポット、四柱推命、占星術といった占いが残っていますが、構造は同じになります。未来に良い結果を得るために、今という時間に何かしらの投資をします。そうした意味では、宝くじも同じ理屈になります。
ここで時間についても、少し考察したい。縄文時代においては、「明日」という未来を志向する概念はありませんでした。詳細は以前に述べたのでここでは割愛しますが、その痕跡は言語学から推察することが出来ます。縄文時代においては、過去から繋がる「今」が全てであり、今という瞬間を楽しむためにエネルギーを全振りしました。その姿はまるで江戸っ子のようで、「宵越しの金は持たねぇ」なのです。
農耕文化がはじまると、これがガラリと変わります。作物の収穫には、三か月なり半年なりという時間を要しました。つまり、功徳は未来に得られるのです。この未来に期待するという概念から、人類は時間を発明しました。ある意味、これは「呪い」のようなものです。「今」という瞬間を我慢すれば、「未来」に幸福が訪れる。この思考が、人間に我慢を強いるようになりました。
――我慢することは悪いことだ!
と言いたいわけではありません。受験勉強を頑張って未来に合格するとか、トレーニングを積み重ねて試合に勝利するとか、現在の努力が未来に結実する例はたくさんあります。ただ、未来に期待しすぎると、結果が得られないときに人は落胆します。この努力と結果の時間的なズレと、結果が得られない落胆は、現代の精神病の原因だと考えます。この未来に期待しすぎる思考の最も先鋭化した概念が「天国」でした。
――いま頑張れば、死んだら幸せに成れる。
誰も見たことも経験したこともないのに、死後の幸せを保証する宗教の誕生は、人類史に大きな影響を与えたと考えていますが、あまりにも脱線するのでここでは踏み込みません。ただ、この「呪い」から解放される方法はあります。今という瞬間を肯定することです。
――LET IT BE.
最近の若い人には、天才が多い。大谷翔平しかり、藤井壮太しかり、井上尚弥しかりです。彼らに共通する特徴は結果ではなくて、過程を大切にしました。努力と結果という時間的な流れは同じですが、楽しむポイントが違います。勝負の過程そのものを楽しんでいました。つまり、「勝利」という結果ではなく、「勝負の駆け引き」という今を楽しんでいるのです。結果は後から付いてくる……でした。
もう少しだけ脱線します。紀元前600年のインドは、バラモン教を中心とした農耕社会でした。このような世界観の中で仏教の開祖である釈迦が誕生します。仏教の教義の一つに、因果具時があります。要約すると、原因と結果は同じ時間に収まっている……という概念になります。詳細は省きますが、農耕社会の中で醸成された宗教世界の中で、「今」という瞬間の重要性を説きました。ここに縄文時代的な思想との共通性が見られます。ただ、その後の仏教は、権威化していくのですが……。




