珍客
王宮の禁書室はふたつのスペースに分かれている。鉄格子のむこう側と、こちら側だ。
こちら側には簡素な木のテーブルとチェアしかない。私はそこで一冊の本に没入していた。
ふと、禁書室の扉が開かれる音がした。年季の入った扉が重く軋みを上げる。
振り返ると、長身痩躯の凛とした佇まいの青年がいた。ていねいに整えられた金髪に宝石のような碧の瞳。皇族の衣をまとうその姿は冷厳さと威光をそのまま体現したかのようだ。
何者なのかは帝国臣民であれば赤子ですら知っているだろう──立ちあがって、スカートの裾をつまみながら深々と一礼をしてみせた。
「皇太子殿下、ご機嫌麗しゅう存じます。禁書室の"守り"を務めております、セレスティアと申します。セレスとお呼びください」
皇太子殿下こと──セオドア・マティアス・ディ・レーゲンフェルトは薄く笑みを浮かべた。
「はじめまして、セレスティア嬢──いや、セレス。……中に入りたいのだが」
殿下はそう言いながら、禁書室の"むこう側"を一瞥した。
入る者を選別する鉄格子のむかいは、天井まで届く本棚で埋め尽くされている。
そこに並ぶは異端とされる信仰書や、魔道の禁忌とされる死霊術書や悪魔の召喚術書といった魔術書たち。それらはいかにもな積年の時の試練に耐えているような古文書といった外見をしていたが、中には比較的近年に書かれた帝国の運用そのものに関わる過去の極秘資料も含まれている。
私はこちらとむこうを隔てている鉄格子の扉のそばにある、浮遊する水晶玉の前へ立った。水晶玉に向けて手を出し、殿下に触れるよう促す。
「お触れください。殿下の魔力を登録いたしますので」
「……これが噂の、魔法の鍵か」
もともとこの鉄格子の扉は、よくあるどでかい鉄製の鍵によって管理されていた。
その鍵が紛失したとかで王宮中が大騒ぎしたのが半年前のこと。誰が責任をとったのかは定かではないが、それからこの鉄格子の扉は最新鋭の魔導技術である魔法の鍵によって管理されることとなった。
──この水晶玉に個人の魔力を紐づけることによって、その者が水晶玉に触れるだけで錠の開閉がされる。
その水晶玉の管理をするのが私の業務のひとつだ。
殿下が水晶玉に触れたのを確認してから私も触れると、ぼうっと青白い光が浮かび上がった。
「……登録できました。これで触れるだけで鍵を開けることができます。もう一度お触れください」
「ああ」
殿下がふたたび水晶玉に手をかざすと、がちゃんという重々しい金属が擦れる音が禁書室に響く。──細く長い指が印象的だった。
鉄格子は作られた時から若干の歪みがあったようで、錠がひらくと、触れずとも扉はむこう側へ来訪者をいざなうようにその大口をあけた。
殿下が何の本を所望しているかまで深堀りするのは非礼だろう。私はふたたび礼節のふるまいをして下がろうとしたが、そんな私を殿下の透き通った声が止めた。
「ええと……"帝都周辺の用水路および耕地開発のための灌漑計画"という本を探している。心当たりがあるかな」
私は薄く笑みを浮かべてええ、とだけ返事をして、殿下にとっての未踏の地の先鋭となるがごとく先を歩んだ。
帝国の運用資料は一所にまとまっている。むこう側の左奥からひとつ手前の書棚にあるはずだ。
こつんこつん。禁書室に足音が水面に広がる波紋のように拡散する。魔導灯によって照らされた室内は、書物の劣化を防ぐための乾いた空気に満ちていた。
私の靴によって切り開かれた轍を追うように、殿下があとをついてくる。この陰気な空気に耐えかねたのか、あるいはただの気晴らしなのか。声が背中越しに投げかけられた。
「セレス。君はここの司書なのかな」
「その通りでございます。厳密には少し違いますが」
こつん。足を止めて振り返ると、殿下はすこしだけ怪訝そうな表情をしてみせた。
それが私の言葉に対してなのか、急に振り向いたことに対してなのか判然としない。
疑念をはらすために、私はただ殿下のお目当ての本の場所を示すように書棚の一所を手で示してみせた。
だが殿下の表情は変わらない。私は目を薄く閉じた。
「……わたくしは、占星術師でございます」
◆ ◇ ◆
「禁書室にいる司書。彼女が何者か知っているか、レーヴェ」
執務室。書斎机いっぱいに広げた帝国の全土地図をにらみながら、隣に立つ悪友かつ、信頼のおける右腕でもある侍従に話しかける。
くせっけのある水色の髪の毛がわずかに上下する。品の良い丸眼鏡から琥珀色の瞳を覗かせながら、親友は口を開いた。
「分かりません。閲覧権限がないので禁書室には足を運んだこともないですよ。名はなんというのです」
「セレスティア。──占星術師と言っていたが」
「占星術師?」
あらたな用水路開発についての考えを補強するために過去の資料をあさりに禁書室にいったものの、トップシークレットの本から得た情報はすり抜けるように脳を通り過ぎていった。
それよりもそこにいた司書のことが気になっていた。髪から装いまで銀一色といった風貌。
どう見ても王宮に跋扈する一端の令嬢といった雰囲気ではない。特にその身にまとう服装は、貴金属を安易に散りばめたような下品なものではないが、星が瞬くような煌きがあった。
(魔術師の装いのようだったが、見たことがない服だった)
遅れてからその消え入りそうな華奢な体躯と、ついで整った容貌が思い出された。長いヴェールのような睫に秘められた蒼の瞳が妙に脳裏に焼き付いている。
そのミステリアスさが、占星術師と名乗った雰囲気に妙に合ったためだろうか、声音すら儚さすら明瞭に思い出せた。
レーヴェはしばらく考えていたようだったが、やがてああ、と呟いた。何かを思い出したらしい。
「王宮にいる占星術師といえば──陛下の一存でここにいることが許されている者がいる、といつか話題が上がったことがありましたな」
「父王の?」
「ええ。なんでも未来を視て陛下の危機を退けたことがあるとか。あくまで噂ですが」
驚きの感情を隠すように、口に手をあてる。
占星術はかつては主要学問のひとつとされてきたが、昨今では外されている。
理知を以て決断と為す、と常に語っている父が占星術師を頼りにする姿なぞまったくもって想像できなかった。
そんな思考の没入に構うことなく、レーヴェはさらに口を動かす。
「あとは……システィーナ侯爵令嬢との一件が有名です。これも伝聞ですが、目撃者が多く信憑性に富む」
「なんだそれは。そういえば侯爵令嬢、最近見ないな」
「気づいていなかったのですか。侯爵令嬢も浮かばれませんな。心身に不調をきたして療養中だとか」
レーヴェをじっと見る。もはや卓上の地図の一片すら視界に入らない。
──呪いでもかけたのか。と苦虫を潰すような表情をする私に対して、レーヴェは苦笑で否定してみせた。
「あらましはこうです──セレスティア嬢は陛下の未来を読んだ占星術師として王宮に来ましたが、その出自は平民に過ぎない。名家の歯牙にもかからない存在ですが、容姿端麗との噂を聞いて嫉妬かライバル意識を持ったのか、システィーナ侯爵令嬢が"潰しにかかった"そうです」
「……」
婦人たちのそういった戦いは枚挙に暇がない。
それは愚鈍で浅薄な振る舞いのように思えるが、私が違う立場にいるから分からないだけの、同等の立場になれば持ちうる心境なのかもしれないとは思う。
(そういえば家名を名乗っていなかったな。名乗るほどでないという自負だったのだろうか)
レーヴェはつらつらと語り続ける。低いが芯の通った声はよどみなく耳へと入ってゆく。
「当初セレスティア嬢は気にすることもなく無視を決めていたそうですが、やがて攻撃がエスカレートしていき、ある日それは起こりました。ある晩の立食パーティのことです」
──システィーナ様。わたくしめのような下賎の者が口を開くことをお許しください。先日夢を見まして、いてもたってもいられなくなりまして。
──なんですって?
──システィーナ様の未来が視えたのです。1年後の夏の満月の夜で──
「セレスティア嬢はそれだけ言うと身を震わせるように狼狽え、目に涙を浮かべたそうです」
──なんとご無礼なことを……わたくしの不躾なふるまい、まことに失礼いたしました。到底私の口からは──
私はもういいと手を振って答えた。
顛末は容易に理解した。"結果を出した"占星術師からそんなただならぬ凶兆じみたことを言われたら気に病んでもおかしくない。
しかもご丁寧にその内容を伝えることなく去った。ただただ来年良くないことが起こりますよとだけ暗に伝えるとは、中々言葉遊びに長けている。
「ご令嬢たちにはそれだけで十分だったようです。それ以来、セレスティア嬢は明確な距離を置かれるようになったとのこと。"触るべからず"ということですね。──それ以来どうしたのかと思っていましたが、まさか禁書室にいるとは」
レーヴェは驚きを含めた声を出した。同調するように私は少し頷いてみせた。
(王宮に来たのも、禁書室の番をしているのも父の一存なのか?)
禁書室という情報統制の向こう側を閲覧し、管理することが許されるのは相当な帝国中枢に関わる者だろう──と思っていたのだが、セレスは出自だけ見るとただの平民だと言うではないか。
父の愛人という考えたくない線が浮かぶが、私から見た厳格な父はそのような浮ついたことをしないだろうし、機敏な母が見逃すはずもない。
もくもくと思考に沈着する私の姿を見て、隙あらば物思いにふける私の癖を是正するようにレーヴェは両手を叩いた。破砕音が私の意識を現実に戻す。
「セレスティア嬢のことは私が調べておきましょう。セオドアは今やるべきことを為すように」
「……ああ、そうだな」
新たな用水路敷設の草稿をまとめるのが元々やるべきことだった。
禁書室で確認した要点は緋色の手帳にまとめている。本と言っても遜色のない大きさのそれを手繰り寄せて中身を見る──
「あれ」
思わず素っ頓狂な声を出す。手帳は普段ふたつ持ち歩いていた。国家運営の重要情報をまとめた緋色の手帳と、もうひとつ。
「手帳がない」
◆ ◇ ◆
禁書室の最奥にも机と椅子が用意されている。それは禁書室に入ってすぐのところにあるものとは違ってアンティーク調の高級感のあるものだった。
──先ほど殿下が調べ物をされた時に利用された机と椅子だ。
殿下が退室したあと、掃除のためにその机に近づくと隅に開かれたままの本があった。
手にとって何の本かと見てみる。開かれているページには、流麗な筆跡だが力強く書かれた文字が並んでいた。
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『消失点』
線が交わる先に、消えた僕の記憶だけが静かに待っていた。
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その超短編とも言える文芸作品は、確かに私のこころに入り込んだ。
ふくみがあり、ふくらむような感触。私は音も立てずに手帳のような本を閉じ、瞑想をするように目を閉じた。
しばらく小宇宙の余韻に身を委ねていたが、やがてやるべきことが私の背を蹴ったために、はっとする。
(今読んでいるものが終わったら、続きを読もう)
私はその薄い緑の本を"やけに文芸作品が並んでいる書架"の、それっぽいところに挿し込んだ。
禁書室の目録作成があたえられた仕事のひとつでもあるのだが、全てを網羅するにはまだまだ遠い。
殿下がどこからこの本を持ってきたのかは定かではなかったが、おおよそは合っているはずだ。
(そもそも、目録ができるまではどこにあってもいいけれども)
そう思った途端、禁書室の扉が騒々しく開かれた。
普段1日にひとりでも来れば珍しいほうなのだが、今日は来訪者が多い。と思いきやそれは"再訪"だった。
息を切らした殿下が慌てて私の姿を認めると、水晶玉に手をかざして──こちら側にやってきた。
「さっき、机の上に、緑の、あれが、なかっただろうか」
呼吸を挟みながら問われる。その少し苦しそうな表情がしかし美しさを醸し出すのは殿下ならではなのだろうか。
見惚れてしまいそうになるが、そういった視線をするのは私の役目ではないし、殿下も見飽きたようなものだろう。
欲求に耐えながら平静を崩さずに、いつも通りの声音で返す。
「ええ、ございました」
「見たのか、中身を」
「ええ。品の良い文芸作品でしたので、こちらに戻しておきました」
私が肯定の返事をした瞬間に殿下は瞠目したような目をしたが、続く私の言葉を聞くにつれて平常な表情に戻っていった。
その本がある位置を手で示す。それなりに古ぼけた本たちの間に、今しがた入れたばかりの本の背表紙が緑を主張している。
殿下はその本を取りながら、再度言葉を紡いだ。
「あ、ありがとう。な……なんでこれをここに?」
歯切れが悪いが、それは息が上がっているからとは違う理由らしかった。
「ここは禁書室の中でもなぜか文芸作品が並ぶ棚です」
「へぇ……そ、そうなんだ」
「恐らくですが、ここに立ち入ることができた者が個人で書いたものかと。禁書室にあるのは──隠したかったのかと」
そう言うと、殿下は何かを思案してみせた。
それは一見すると図星を刺されたような、気まずそうな顔つきだった。形のよい眉がわずかに歪んでいる。
殿下はそうなんだねと小声で言うと、緑の本を手に持ったまま逃げるようにして踵を返した。──背中に声をかける。
「殿下。恐れ入りますがいかなる禁書の持ち出しも許されておりません。閲覧はこの場でお願いいたします」
私の言葉が殿下の足を釘付けにする。
殿下はいやにゆっくりとこちらに振り返って、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
ついで、何かを言わんとするように口を開けなにもいわず。
ついで、焦ったように口に手を当てなにもいわず。
ついで、麗しき金の髪をわしわしといじりながらなにもいわず。
──最終的に、殿下は両手で頭を抑えながら、うなだれるように下を向いてかがみこんだ。
その愛くるしい挙動に息をのむ。社交界にも出ない私は殿下の立ち振る舞いを見る機会をもたないが、普段こんなくだけた挙措はしないのだろう。
そんな殿下がまるで小動物のように目まぐるしく動いている。そんな眼福にあずかりながらも、なぜそのようなことをしているかの理由を愚かにも全く察することができない。
やがて殿下は、全てを諦めたように自白した。
「その本──いや、手帳は、私のものなんだ」
驚きを隠すために唇に手をやる。
──とんだ勘違いをしていた。書架から持ち出したものだと思っていたのだ。まさか殿下の私物だったとは。
ということは私が読んだのは──
「殿下がお書きになられたのですね。──消失点」
「言うな。言わないでくれ。何も言うな」
その頬が紅潮するのが見えた。同調して私の頬まで赤くなるような心地だ。
依然かがんでいる殿下に対してようやく上から話しかけるような非礼に気づく。私もかがみこんで視線を合わせた。
「言ってはなりませんか」
「ああ。──恥ずかしいよ。顔から火が出そうだ」
──出ております。とは言えなかった。
代わりに思いのたけをそのまま伝える。
「なぜでしょうか。殿下の文はたしかに私のこころに入り込んだというのに」
「うそだろう。お世辞は好きじゃない」
殿下は拒絶するようにわずかにかぶりを振った。
そんな殿下にむかって、私は殿下の"作品"をそのまま諳んじてみせた。
殿下はおどろいたように目を見張ったが、私はその瞳の美しさに浸るようにまっすぐに見つめた。問を重ねる。
「なぜでしょうか」
「……父王の望む帝国のかたちは理と武だ。変だろう、次代の皇帝候補が文を好んでいるなど」
「私はそうは思いません」
未だしなだれる殿下を慰めるために、私は立ち上がって眼前の"文芸棚"から一冊の本を取ってみせた。
再度かがんでその本を開いてみせる。殿下は怪訝そうにそれを見るが、要旨を掴めていないようだ。説明する。
「この装丁とインクの質の良さ。──文体と筆致。皇族の方のものだと思われます。殿下の血にはたしかに"宿命としての文"が流れている、とお考えになればいかがでしょうか」
そう伝えると殿下は目をぱちくりとしてから、胸のつかえがおりたように徐々に平静を取り戻していった。
殿下は私から受け取った本の中身をぱらぱらとめくる。その様子はまるで文字を覚えてたのこどものようだった。
落ち着いたようだったが、私に秘密の文書を読まれた恥ずかしさはまだ残っているのだろう。頬をぽりぽりと掻いている。
「まだ気に病みますでしょうか」
「……うん。やっぱり恥ずかしいよ。笑われてしまってもおかしくないような、そういった気分だ」
その気持ちは分からなくはない。自分の深奥を吐露したものが露呈することの恥ずかしさ。
かくいう私にも経験がある。だが──私は茶化することもなく、真剣な表情を崩さずに口を開いた。
「なにを笑うことがあるでしょうか──殿下のこころから出た言葉を。海の底でしか見えない一筋の光を」
その言葉もいくばくかの慰めにはなったのだろうが、しかし殿下の表情にはまだ影があった。
その陰りを見て一体どのような心境になったのか、自分でも定かではない。
──体が動いていた。
それは無意識の、だが何かの確信を得たかのような突発的な衝動。
皇族に触れることはできない。であれば触れなければいい。
私は殿下の懐に飛び込むような挙措をして、一切触れることなく寸前で止まるという離れ業をやってのけた。
もう少しで首筋に接吻できるほどに寄って、だが我々は一線を超えなかった。
殿下の芳香すら認知できない一瞬のことだった。ただ吐息だけを残して離れる。
殿下はただ目を丸くした。私は自身の唇に人差し指だけを当て、わずかに笑みを浮かべながら語りかけた。
「これが殿下の文の力だとすれば、どうでしょう。"線"──その大いなるミクロコスモスの一端だとすれば、あるいは」
殿下はぽかんとしたまま、私の言葉を反芻しているようだった。
消失点にたどり着かなかった者を残して私は机へと向かった。引き出しからペンとインク、ついで紙を出して、したためる。
殿下のもとへ戻ると、まだ殿下は思惑に取り憑かれたように視線を違う世界へと移していた。
だが悩んでいるといった表情ではない。それは確かに、文の魔に囚われたものが取りうる表情──よく見た──ものだった。
手にした紙を殿下へと手渡す。それから二歩下がって、今日何度行ったかわからない礼節の挙措を振る舞った。
「わたくしを罰してください。──全神の意志と、帝国の威光がどうぞ私を裁いてくださいますように」
◆ ◇ ◆
気づけばその日は終わっていた。
一体何が起こったのか。記憶を辿ってもまるで夢か幻かのようにあやふやだ。
いや、私が手帳を禁書室に置き忘れた。ただそれだけの話なのだが、その後に起こったことが心を昂らせ続けている。
女性に接近したことが原因であるはずがない。礼節として婦人の手に口づけをしたり、ダンスでもっと接近するような経験もあった。
──セレスは私に触れなかった。いっそそのために興奮しているのか、いや……違う。
セレスは私の文章への"感想"としてあのようなことをした。ただそれに高揚しているのだろう、と思うので精一杯だった。
くしゃ、と手に握った紙がわずかに声を挙げた。
手元を見ると、セレスから渡された"文"がそこにはあった。
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『消失点』
女は不敬として極刑となった。線が交わる先に、消えた私の記憶だけが静かに立っていた。
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私は寝室の窓から外を見た。
天蓋の"むこう側"にいる私の意識は、月が世界を照らしていることに気づかなかった。