君が去った理由を知るため俺は何度も追体験する
「……ごめんね。本当に、ごめん。これ以上、期待するのは辛いから……」
サナの手は、玄関のドアノブにかかっていた。
「待ってくれ。どうして? 何があったんだよ」
俺は玄関の前に立ち、出ていこうとする彼女を、ただ見つめる。
サナは顔を伏せて、静かに首を横に振った。
「そういうところだよ」
「……え?」
「なんでもない。じゃあね、サヨナラ」
そう言って、彼女はドアを開ける。
彼女の髪がふわりと揺れて――次の瞬間には、彼女の姿はもうなかった。
約一年続いたサナとの生活は、こうしてあっけなく幕を閉じることになる。
明日から俺は出張だった。学会での発表があって、連日バタバタしていた。
サナとも、ここ数日まともに会話していない。
……そういえば、昨日の夜、たしか、彼女は深刻そうに何かを言っていた。そんな大したことではないと考え、俺は『あとで話そう』とだけ答えて、資料の確認を続けてしまった。
その時サナが何を言っていたのかは、思い出せない。
そして、『あとで』なんて、もう来なかった。
俺はリビングへ戻り、棚を覗いた。
そこにあるのは、俺の勤める研究所で開発中の試作品。
『ライフログ&追体験装置』。
記録した一時間以内の過去を再現し、追体験できる装置だ。追体験は何度でもできるが、過去に戻れるわけではない。
この装置には複数代のカメラが接続され、実験の一環として、俺の家の中を常時記録している。
俺は装置を手に取った。これで彼女の気持ちを、聞けるなら。
追体験の起動スイッチを押すと、頭の奥にかすかなノイズが走った。
次の瞬間――
◇ ◇ ◇
サナの手が、再びドアノブにかかっていた。
「サナ!」
「……なに?」
俺はサナが口を開く前に話しかけた。
「ごめん、いきなりでびっくりするかもしれないけど、ちょっとだけ話せないか?」
サナは戸惑ったように目を細めた。
「……今更、何?」
戸棚に置いたままにしていた鉢植えを手に取って、彼女に差し出す。
「昨日、駅に行ったついでに、たまたま見つけた季節外れのラナンキュラス。これ、君に。綺麗だったから」
サナはそれを受け取らず、寂しそうな顔をした。
「そうなんだ。ありがとう。でも……それは要らないの。ごめんね。サヨナラ」
その言葉は何かを伝えたそうだったが、俺にはわからなかった。
◇ ◇ ◇
二回目の追体験では、サナが好きだったチョコを渡してみた。
「これ、前に好きって言ってたやつ。覚えてたから、出張準備のついでに買ってきたんだ」
サナはそれを手に取ることなく、見つめる。
「……やっぱり、そうなんだね?」
「え?」
「なんでもない。じゃあね、サヨナラ」
◇ ◇ ◇
俺は何度もやり直した。
言い方を変え、プレゼントを変え、話題を変えた。
でも、何も変わらなかった。
五回目の追体験で、サナの表情を見て――昨日の夜の会話がふいに蘇った。
「……あ、そうだ。君が前に欲しがってたバッグ、出張のついでに見てくるよ」
サナは、少しだけ微笑んだが、でもその笑顔は、どこか遠くにいるみたいだった。
「……私、たぶん『ついで』で生きてる気がする」
ソファでパソコンを開いていた俺は、目も合わせずに返した。
「え? そんなことないよ。学会のついでに現地の店に寄ってくるからさ」
「私の話なんて、どうせちゃんと聞いてないんでしょ?」
「そんなことないって、またあとで話そう」
◇ ◇ ◇
六回目の追体験。
サナが玄関に立った瞬間、俺は彼女の前に立ちはだかった。
「待って、俺、今日は仕事、行かない」
サナが振り返る。
「え? 明日から大事な出張だって……」
「うん。でもいい。今日は君だけのための時間を作りたい。それが理由」
サナは、驚いたような顔をして立ち止まる。
しばらく黙ったまま、じっと俺の顔を見つめていた。
「昨日、サナに言ったよね。出張に行ったときにバッグを見てくるよって」
「……うん」
「今からそのバッグを買いに行こう。ついでじゃなく、そのためだけに」
「……」
「ごめん。これまで『ついで』って言ってたの、全部――本当は、ただ照れくさかっただけなんだ」
俺は白状した。
「君のために何かするのが、うまく言えなくて。
だからいつも、『ついでに』って……格好つけてたんだ」
サナは何かを言いかけたようだった。
けれど、その言葉は口に出されることはなく、ほんの一瞬、微笑んでくれた気がした。
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