3人の溝
朝の空気がひんやりと肌を刺す中、私はいつものようにごみ収集所に向かった。
そこには、ひだまりの会のメンバー、ノリ子さんがいた。
彼女はサロンの中でも一番若く、精神科に通う繊細な心の持ち主。
『おはようございます。体調はどうですか?』
と声をかけると、ノリ子さんは視線を地面に落としたまま、そっけなく答えた。
『もう、サロンを辞めることにしたの。あと、もう、私の事心配しなくてもいいから。私には、貴子さん以外に友達がいるし、孫もいるから。』
その言葉に、私は胸を突かれたような気がした。
私の心配は、彼女にとって余計なお世話だったのだろうか?
確かに、以前、ノリ子さんの半日にわたる愚痴を黙って聞いたことがあった。あの時の重苦しい空気を思い出すと、彼女と少し距離を置いたほうがいいのかもしれないとも思えた。
何も言えず、ごみ袋を置いて家に戻ると、仕事に出かける準備をしていた兄が、私の顔を見て言った。
『何かあったのか?』
『あ、別に』とだけ答えたが、心の中ではノリ子さんの言葉がぐるぐると回っていた。
次のひだまりの会の集まりは、いつも通り公民館で行われた。
会長の佐藤さんが、穏やかな笑顔で皆を迎えたが、今日は少し様子が違った。
『ノリ子さんは、しばらくお休みします』と佐藤さんが告げると、会場に小さなどよめきが広がった。
彼女が「辞める」と言っていたのに、佐藤さんは「休む」と表現した。
揉め事を避けたい佐藤さんらしい配慮だ。
その時、副会長の藤田のおばちゃんが、いつもの調子で口を開いた。
『私がノリ子さんをやめさせたんじゃないからね!』
と冗談めかして言ったが、誰も笑わなかった。
藤田のおばちゃんの竹を割ったような性格は、時にデリカシーに欠ける発言となり、ノリ子さんや他のメンバーとの間に波風を立てることがある。
お茶を飲みながら、皆が数人のグループに分かれておしゃべりを始めてる中、山本のおばあちゃんの声が耳に飛び込んできた。
『副会長なんて、さっさと辞めればいいのに。』
山本のおばあちゃんは、地域の地主の一人娘で、広い屋敷に一人暮らしをしている。
10数年前に夫を亡くし、子供たちが都会に出てしまった彼女の家には、義妹が時折家政婦として訪れるだけらしい。
彼女の言葉には、藤田のおばちゃんへの単なる不満以上の、深い溝のようなものが感じられた。
ノリ子さん、山本のおばあちゃん、藤田のおばちゃん……この3人の人間関係は何なんだろう?
複雑に絡まっているのではないだろうか。
メンバー皆は知っているのかも知れないが、あえて教えてくれるわけではなく、私が知っていかなくてはならない事。
ここで暮らす以上、知っておいた方がいいのかもしれない。