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ノリ子さんと新しい火種


ノリ子さんに連絡を取ったのは、公民館でのサロンが終わった翌日の夕方。

スマホを握りしめ、何度も送信ボタンを押すのをためらったが、意を決して短いメッセージを送った。

『〇〇さん、元気? またサロンでお会いしたいな。よかったら話したい。』

返信は数時間後、シンプルな『ありがとう。ちょっと今、体調が……でも、電話なら……』と来た。

私はほっとしながらも、どこか胸騒ぎを感じていた。


電話をかけた瞬間、ノリ子さんの声は思った以上に弱々しかった。

最初は他愛もない話……温泉の湯加減や、山菜天ぷらの味……で少し笑い合えた。

だが、話があのバスツアーの会話のことに触れると、彼女の声が急に硬くなった。

『藤田さんのあの言葉…、私、ずっと頭から離れないの……。あんな風に、みんなの前で私のことを……』

そこから、ノリ子さんの言葉は堰を切ったように溢れ出した。

彼女は藤田のおばちゃんの無神経な発言を何度も繰り返し、怒りと悲しみを交錯させながら話し続けた。

『私が精神科に通ってるなんて、なんでそんな簡単に言えるの? 真面目だから病気になったって……そんな単純な話じゃないのに。』

私は相槌を打ちながら、彼女の言葉に耳を傾けた。

話はどんどんエスカレートし、藤田のおばちゃんの過去の言動や、サロンの他のメンバーの小さな行動まで、彼女の不満の対象になっていった。

『佐藤さんだって、いつも優しいふりして、結局は藤田さんを庇うでしょ? 誰も本当のことなんて言わない…。』

ノリ子さんの声は、時には涙声になり、時には怒りに震えた。

私はただ聞くしかなく、電話を切るタイミングを見つけられなかった。

気づけば、夕暮れの空がすっかり暗くなり、時計は夜の11時を回っていた。

半日近く、彼女の愚痴を聞き続けていたのだ。


やっと電話を終えた時、私は疲れ果てていた。ノリ子さんの傷ついた心は理解できる。

だが、彼女の言葉の重さに、私自身の心もずしりと重くなった。

私は自分の病気と向き合うので精一杯なのに、ノリ子さんの痛みを背負う余裕なんて本当はあるのだろうか?


サロンの温かさが、こんなにも脆いものだとは思わなかった。



数日後、サロンで新たな波紋が広がっていた。

田中のおじいちゃんが、いつもの噂話好きな調子で教えてくれた。

『山本のばあさんが、藤田のこと、地区の有力者や市議にまで話してるらしいぞ。【副会長にふさわしくない】ってな!』

私は耳を疑った。

山本のおばあちゃんは、上品で穏やかなおばあちゃん。その人が、市や議員まで巻き込むなんて、信じられなかった。


藤田のおばちゃんは、相変わらずサロンで明るく振る舞っていたが、どこか目が落ち着かないように見えた。彼女も噂を耳にしているのだろう。サロンの空気は、表面上はいつも通りだったが、誰もがどこかぎこちなかった。

田中のおじいちゃんは

『まぁ、みんな人間だもの、こういうこともあるさ』

と笑っていたが、その笑顔もどこか空虚だった。


私は公民館の窓辺に立ち、夕暮れの空を見ながら考える。

サロンは、確かに温かい場所。病気や悩みを抱える私たちが、笑い合い、支え合う場所だったはずだ。

だが、その裏には、誰もが自分の傷や弱さを抱え、それを隠すために軽い言葉や噂話で塗り固めてしまう人間の闇が見え隠れしている。

ノリ子さんの不在、藤田のおばちゃんへの批判、山本のおばあちゃんの行動……。

すべてが、この町の小さなコミュニティが映し出す、複雑で生々しい鏡だった。




次のサロンまでは、まだ日にちがあったが、田中のおじいちゃんから聞いた噂の詳細が、徐々に明らかになってきた。


藤田のおばちゃん……サロンの副会長……に敵意をむき出しにしているのは、ノリ子さんの他に、地区で顔の広い、元地主の山本のおばあちゃんだった。

彼女はこの地域の地主の一人娘。今でも、あちこちに土地があり、アパート等が建てられている。

昔から、地元の名士や市議との繋がりが深く、彼女の言葉には、町内での影響力があった。

山本のおばあちゃんは、藤田のおばちゃんのあのバスツアーでの軽率な発言を許せなかったらしい。

『ノリ子さんにあんなことを言うなんて、副会長として失格よ』

と、公民館の集まりがない日にも、喫茶店や町内会の集まりで、顔見知りの市議や地元の有力者に愚痴をこぼしていたようで、噂はまるで野火のように広がり、藤田のおばちゃんの立場はますます不安定になっていた。


佐藤のおばあちゃん……サロンの会長……は、この状況に手を焼いていた。彼女はいつも穏やかで、サロンをまとめるために問題を穏便に収めようとする人だ。

だが、山本のおばあちゃんの影響力は強く、彼女の不満が市や議員にまで届いているとなると、簡単には収まらない。


佐藤のおばあちゃんは、サロンの直前、公民館の片隅で私にぽつりと漏らした。

『山本さん、昔からああいう性格なのよ。曲がったことが嫌いなんだけど、こうやって大事にしちゃって…。藤田さんも悪いけど、こんな風に広げるのはね…。』

彼女の疲れた表情に、私は言葉をかけられなかった。


サロンの日、藤田のおばちゃんはいつもより少し静かだった。

彼女のサバサバした笑顔はどこか無理をしているように見え、時折、視線が山本のおばあちゃんの方をチラチラと見ているように見えた。

山本のおばあちゃんは、いつも通り堂々とした態度で、紅茶を飲みながら他のメンバーと談笑していたが、藤田のおばちゃんとは一言も口をきかなかった。ノリ子さんは、やはり姿を見せなかった。


私は、ノリ子さんとの電話での長い愚痴を思い出しながら、彼女がサロンに戻ってこないかもしれないと思い始めていた。

サロンの温かさは本物だったはずなのに、藤田のおばちゃんの軽率な言葉、山本のおばあちゃんの執拗な敵意、そして私自身の無力さが、その温かさを曇らせている気がした。


サロンが終わった後、私は佐藤のおばあちゃんに声をかけた。

『会長、ノリ子さんのこと……やっぱりあのバスツアーのことが原因ですよね。私、ノリ子さんに連絡してみようと思うんですけど……何かできること、ありますか?』

佐藤のおばあちゃんは、少し驚いたように私を見た後、柔らかく微笑んだ。

『あなたがそうやって気にかけてくれるだけで、ノリ子さんも嬉しいと思うわ。……でもね、藤田さんと山本さんのことも、なんとかしないと……』


その夜、私は再びノリ子さんにメッセージを送った。

『ノリ子さん、最近サロンに来てなくて、ちょっと心配しています。藤田さんのこと、私も傷ついたけど、サロンにはまだ笑える瞬間もあると思います。一緒にまた、ちょっとずつでも、楽しい時間作っていきませんか?』

送信ボタンを押した後、胸の奥で小さな勇気が芽生えるのを感じた。


一方で、山本のおばあちゃんと藤田のおばちゃんの対立は、簡単には収まりそうにない。佐藤のおばあちゃんは、来週、山本のおばあちゃんと二人で話す機会を設けようとしているらしい。だが、山本のおばあちゃんの頑固さと、藤田のおばちゃんのプライドの高さを考えると、簡単にはいかないだろう。



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