認知症
サロン『日だまりの会』では、高齢者たちが集まり、穏やかな時間を過ごしていた。
私は、このサロンに、気分転換と地域との繋がりを求めて参加している。
公民館の壁には、地元の子供たちが描いた色とりどりの絵が飾られ、どこか温かい空気を作り出していた。
今日は、中心になって話しているのは田中さん。83歳の男性。
一人暮らしで、噂好き。だが、その豊富な知識と昔話は会を盛り上げる大切な要素になっている。
『昔、この辺りは田んぼばかりでね。貴子さんの祖母さんが、よくそこで芋を焼いてくれたよ』
と、田中さんは目を細める。
私が知らない祖母の話は新鮮で、どこか懐かしかった。
会長の佐藤さんは、にこやかに相槌を打つ。話を丸く収めるのが上手な女性。
隣に座る鈴木さんは、田中さんの家の隣人で、彼の話に時折『そうそう』と頷く。
鈴木さんは、田中さんの隣人のせいか、田中さんの日常をよく知っていた。
だが、最近、田中さんの様子がおかしい。
サロンに来る回数が減り、話もどこか曖昧。
以前は淀みなく語っていた昔話が、途中で止まったり、同じ話を繰り返したりする。
心配した佐藤さんが、鈴木さんに尋ねると、衝撃的な事実が明らかになった。
『田中さん、認知症が進んでるのよ』
と鈴木さんが囁くように言ったのは、つい先日のことだった。
それから数ヶ月後のある日、サロンの時間が終わった後、佐藤さんが、私と鈴木さんを呼び止めた。
佐藤さんは少し神妙な顔で口を開いた。
『ねえ、鈴木さん、田中さんのこと、どう思う? 最近、全然顔を見せてくれないけど……』
鈴木さんは、ため息をつきながら答えた。
『佐藤さん、田中さんの認知症、だいぶ進んでるみたい。子供たちが週に一度、交代で様子を見に来てるみたい。
週に、3千円置いてくんだって。何かあったときのため、って』
私は驚いて口を挟んだ。
『3千円かあ……迷子になっても、住所さえわかれば、そのお金で帰れるからかな?田中さん、一人暮らしなのに、大丈夫かしら……』
鈴木さんは肩をすくめた。
『デイサービスもね、週3回だったのが、今は毎日になってる。
子供たちも忙しいんだろうけど、田中さん、もうサロンに来るのは難しいんじゃない?
デイサービスで食事や入浴を受けているみたいだけど、夜は一人だから心配だわ。
私も、出来るだけ見るようにしているけど……』
佐藤さんが眉を寄せた。
『田中さんはこの会の宝よ。昔話や知識で、みんなを楽しませてくれてたのに……。デイサービスでちゃんとケアされてるなら、少し安心だけど。
また来てくれないかしら?』
『会長、気持ちはわかるけど、現実的に考えてよ』
鈴木さんの声は少し冷たかった。
『田中さん、もうサロンに来られないんだから、メンバーから外したほうがいいかもね』
佐藤さんが、悩むような顔を見せる。
私は胸が締め付けられる思いだった。田中さんの笑顔や、祖母の話を聞かせてくれた温かい声が頭をよぎる。
『でも、田中さんを外すなんて、なんだか寂しい気がします……。デイサービスで毎日ケアされてるとしても、サロンに来る楽しみがなくなったら、田中さん、もっと寂しくなるんじゃないかしら』
佐藤さんが優しく私の手を握った。
『貴子さん、優しいのね。でも、鈴木さんの言うことも一理あるわ。田中さんのためにもね。
デイサービスは介護保険でカバーされてる部分が多いけど、子供たちが3千円しか置いていかないってことは、理由があると思うの』
鈴木さんが付け加えた。
『そうよ。田中さんの娘も息子も、市内で働いてるけど、子育てや仕事で手一杯みたい。週に一度来るのだって、精一杯なのかも』
私は、田中さんが教えてくれた祖母の笑顔を思い出しながら、そっと目を閉じた。
デイサービスは、今は、田中さんの生活の中心になっているのかもしれない。




