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第百四十七話 試し釣り

作者: 山中幸盛

 「北斗」昨年十二月号の『断捨離』の中で、山中幸盛の四男がこの古い家を建て替えてくれることになったので断捨離を始めたと書いたが、その後まもなく、それだと家が建つのは一年半くらい先になるということで彼の考えが変わり、建売住宅を買うことにして探し回っていたが、彼の奥さんも同意したのでついに決まった。

 それにしても、結果的に自然な成り行きで四男の家族と同居することになったが、これが『建て替え』の話ではなく、初めから「家を買ったから一緒に住もうよ」と言ってくれたとすれば、もしかしたら「ありがとう。でも父さんは動けるうちは一人で頑張るよ」と断っていたかもしれない。同居するとなると、幸盛も息子の奥さんも万事全てに何かと気を遣うことになるからだ。

 できれば蟹江町内がいい、という幸盛の要望を聞き入れてくれたので、住所が一年前から『桜三丁目32番地』とせっかくスマートになったのに再び『大字・字』がついて長くなるが、これくらいは辛抱せねばなるまい。

 さてさて、決まったとなると、やるべき事がどんどん出てくる。彼らは豊田市のアパートに住んでいるから、ガス開通の立ち会いや、網戸やカーテンレールの取りつけや、エアコン取り付け工事の下見等の立ち会いはすべて、年金生活者の幸盛が引き受けることになる。だからその都度、家にある四男の漫画コミック本や荷物を少しずつ運んだり、新居の押し入れに棚を作る作業をしたりして時間をつぶした。

 ところが、エアコンは四部屋に取り付けてもらうため、朝九時からスタートしても相当な時間を要すことが予想されるから、その間の時間つぶしのため、家の前を流れる蟹江川で魚釣りを試みることにした。エサは、その昔、蟹江川と木曽川でウインナソーセージを用いて大きな鯉を釣った経験があるから、自分で食べるために家の冷蔵庫に冷凍保存してある火を通した粗挽きハムを解凍して使うことにする。

 新居の前の堤防道路から蟹江川を見下ろすと、幅が五メートル程の平坦なコンクリート部分が家の前から下流へ百メートル程設けられていて、数十年前にはヘラブナ釣り師等がずらりと並んだ時代もあったらしいが、今は見る影もない。

 その日、新居に朝九時前から行って待っていると、二人の取りつけ作業員が九時半前にやって来た。打ち合わせが終わり、後は取り付けるだけとなったので、いよいよ幸盛も釣りサオを一本手に持って久しぶりの魚釣りに出発だ。

 十時三分に玄関を出て、堤防道路を南に普通の歩幅で八十五歩(時間にして五十秒)歩いた場所に鉄製の階段があるので、下に九段降りて行く。そして北に八十歩程戻った辺り、つまり新居の真ん前の辺りで二・一メートルの投げサオを一本だけ出すことにする。川べりに立ってしばらく川の様子を観察していると、七十センチほどの大きな鯉が目の前をゆらゆらと上流に向かって泳いでいくから、もしかしたら、と期待がふくらむ。

 もとから魚釣りそのものが目的ではなく、エアコン取り付け工事が完了するまでの時間稼ぎが目的だから(真の目的は「北斗」の原稿のネタ作り)、小さな魚は眼中になく巨鯉狙いで、フロロカーボン8号の太いハリスで大きな針の二本針仕掛けをひと組だけ前日に作ってきた。

 エサのハムは、ハサミで適度な大きさに切って、集魚効果を上げるために、刺して糸に通して針の数センチ上部から針先まで数珠のように並べる。こんな不格好な状態でも大きな鯉ならば一呑みしてしまうから全く問題はない。

 第一投は時計を見ると十時二十分だった。川は秒速三十センチほどの速さで流れていて、ちょうど五羽の鴨が対岸近くを流れ藻と一緒に流れてきて盛んに潜水を繰り返し、藻についた何かをついばんでいる様子を見ながら家に戻る。

 一時間くらい放置することにして、時々家の前からサオ先の様子を見、もし大きな魚が釣れていそうな気配ならば急がず慌てずおもむろに駆けつけることになる。もちろん、サオごと魚に持っていかれないように、サオはリールの上部を丈夫なヒモで縛り、そのヒモの片方は堤防の一部に露出している鉄製の番線にくくりつけてある。

 一時間が経過したので、エサをチェックするため下に降りて行く。サオを手にとってリールを巻いてみると何か重い気がする。流れ藻かゴミでも付いているのだろうか、と勘ぐりながら巻き上げると、あにはからんや、大きなアカミミガメ(ミドリガメ)が釣れてきた。しかも、それよりやや小さなアカミミガメが寄り添うように泳いでいる。

 糸を手で持って水面より少し持ち上げてみると、どうやら針を呑み込んでいるようなので、やむなく糸を切ることにするが、カメは生命力が強く、呑み込んだ針を吐き出すと聞いたことがあるから大丈夫だろう。もしかしたら二本の針それぞれに一匹ずつ釣れているのかもしれない、と思いながら手を伸ばしてなるべくカメに近い箇所からハサミで糸を切ると、もう一本の針の方は幸いなことにハムは完璧に食べ尽くされた状態で針だけすんなり上がって来た。

 だがまだこの針が残っているし、エサのハムも二回分はあるので、ハムを同じように数珠状に刺して川に投げ込んで一時間後、そして二時間後に上げてみたが、二回とも見事にエサだけを盗られていた。



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