座礁した島と霧中で焚き火をする男(2)
「霧と霞の違いを知ってるか?」と男は僕に尋ねた。僕は知らないと答えた。
「霧は水蒸気が水滴になって空気中に浮かんでいる状態だ。それに対して、霞は塵や煙の粒子が浮かんでいる状態のことを言う」
「知りませんでした」
「うん。だが、それは大した問題ではない。だから、俺が霧の中で火を起こしたからって、何も不思議なことはないんだ」
男は一本の枝を火中に放ることで火を調節した。放たれた木枝は音を立てながら火の一部になっていく。まるでレシピがあるみたいに、男は確信を持って火を育てていく。
彼は焚き火に哲学を持っているタイプなのだ。アイロンがけに哲学をもち、髭剃りに哲学をもつのが男だ。そして目の前の男は焚き火に哲学をもっている。
「座ったらどうだ。冷えるだろ」確かに霧で体が冷えてきた。僕は倒木(どこから流れてきたのかは分からない)に腰を下ろし、手を伸ばして暖をとった。
僕はしばらく火を見つめながら、乾燥した木枝が爆ぜる音を聞いていた。火を焚いているのに、空気中の水分は蒸発する気配がなかった。水滴はそれ独自が意思を持つエレメントのようにその場に留まり続けている。
妖精の国の水の精に囲まれているみたいだ。そしてその世界はすでに終焉を迎えている。荒れ果て平になった世界で、島は暗礁に乗り上げ、男は行き場をなくしている。
そんな世界で、僕は不思議な男と暖をとっている。一体なぜこんなところにいるのだろう。この男はなんなのだろう。何も分からなかった。
「サンタ・クロースはどうして子供だけにプレゼントを渡すのだと思う?」
「サンタ・クロースですか?」あまりに唐突な質問に、僕は聞き間違いをしたのだと思ったが、そうではなかった。男は僕に、なぜサンタクロースは子供だけにプレゼントを渡すのかを訊いているのだ。
「良い子にだけ渡すそうです」と僕は言った。
「そうだったな」
「理由があるんですか?」
「どうだろうな」と男は言った。
「すべての現象に必ず理由があるわけじゃない。理由がないことに理由を作るのが人間なんだ」
「理由を作る」僕は男の言葉を反芻した。それはとてもよく分かる気がしたのだ。分からないことが多い僕にも、確かに分かること。
「だから人間らしくしよう」
「?」
「理由を作るんだ」
火はもう揺らめいてはいなかった。ぽおっと頬が火照るように灯っている。彼の育てる火には煙がなかった。影を持たない人間みたいに、火には煙がなかった。
すると男は火かき棒で火を捏ね始めた。トクトクと、中心から外側に向かって円を描くように回している。シチューを温めるみたいに。
僕には火かき棒が魔法の杖みたいに見えた。もちろん見えるだけの話だ。それは紛れもなく火かき棒で、男は魔法使いにも見えなかった。
しかし、彼が火を捏ねる姿は、どこか御伽噺の世界を彷彿とさせる。火かき棒は魔法の杖で、男は魔法使い。
「それはいい」と男は言った。
「俺が何者なのか? それでいい。俺は魔法使いさ」
そして炎が輝き始めた。
一瞬の輝きが放出された後、すべてが収縮していく。光は徐々に弱まり、すべての作業が終わる頃、滲む炎は淡く輝く球体と化していた。そしてゆっくりと、風に飛ばされた冠毛のように落ちていく。男は恭しく拾い上げ、瓶に入れてコルクで蓋をした。
瓶の底で、光のそれが佇んでいる。
「これは光の底、奈落の境界、始まりの種」
そして僕にも分かるあの言葉が飛び出した。
類稀なる『 i 』




