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類稀なる i   作者: 某路傍
2/28

買う男

 その日、櫛森葛流(くしもりくずる)はいつもより二時間早く目覚めた。

 原因は一週間前に届いた一通の招待状にある。


 世界各地の逸品、珍品が競売にかけられ、招待状がなければ存在すら知り得ない世界最小規模のオークションが、今年日本で開催される。

 

 年に一度開催されるこのオークションは、行き着いて暇とお金を持て余した各国の富豪、好事家(こうずか)蒐集家(しゅうしゅうか)が全く実益のない品を求めて散財する、無聊(ぶりょう)の慰めとも言えるイベントだ。


 世界最小規模ではあるが、取引は莫大な金額から行われている。出品物は各国が有する国庫の一部をオークション側が多額で購入し、さらに開催費用と収益の一部を開催国に帰属させることから、オリンピックもかくやの経済効果を発揮するのだ。


 日本の夜明けも近いのかもしれない、と櫛森は思った。無論、明けなかったとしても櫛森にはどうでも良かった。


 秘匿は絶対で、以前口を軽くした政府要人はパナマで暗殺され、話を聞いていた新聞社社長は娘を誘拐され、口外すれば云々と脅されたらしい。


 ある男はオークションの存在を耳にして後に大統領にまで上り詰めたが、後年彼がオークションに招待されることはなかった。彼にオークションのことを吹聴した父親は当時大統領であったが、急遽表舞台から退き姿を消したという。



 櫛森は卓に放られた招待状に付随していた出品リストを眺めた。

 リストには五つの品が記されており、それぞれ写真が挿入されている。


 ・サム・ベーコン著:アリアドネの処女性について

 ・広目天の眼

 ・バビロン第1王朝の盃

 ・国宝<永欒>の曼荼羅

 ・奴隷


 本来なら一個人ではとても所有できない奇々怪々(ききかいかい)な品々に、櫛森はあまり興味がなかった。そんな彼が、奴隷の横に添えられた注釈に目を離せないでいた。


 ※ i の持ち主


 この奴隷がどんな『i』を持っているのかは分からなかったが、おおよそのところを察することができたし、それが特別であろうとなかろうと、櫛森はこの奴隷に興味を持った。


 櫛森は手にしたリストを招待状と一緒にまた卓に放った。

 

 シャワーを浴びて顔を洗い、珈琲を作って今朝の朝刊を隅々まで読んだ。それから東京近郊の地図を広げた。数カ所に印をつけ、溜まった書類の山を片付けようと机に向い、ペン立てにある鉛筆全部を削ると、気分は卸立てみたいで満足した。


「おはようございます旦那様。お目覚めでしたのね」


「千鶴さんおはよう。ああ、片付けはお願いするよ」


「かしこまりました」


「立花もそろそろ来るだろうから、指示を頼むよ」千鶴は一礼だけしてその場を後にした。


 櫛森は離れの方へ向かった。六畳一間のスペースには壁に沿って『コ』の字型に棚が設置され、そこには人形が数多く鎮座していた。櫛森は流石に冷えてきたと思い、電気ストーブをつけながら人形の髪を一体一体丁寧に梳いた。


 8時を過ぎた頃に櫛森は母家の方に戻り、千鶴と立花に着付けてもらい、招待状とメモと鍵を忘れず持ち、コロンを吹きかけて屋敷を出た。


 事前に呼んでいたタクシーもすでに到着していて、運転手は外で待っていた。

 

 櫛森は行き先を言わずに運転手にメモを渡した。


「このルートで行ってくれないかな」


「かなり遠回りになりますが……」


「いいんだ」それでも運転手は訝しむ表情をやめなかった。


「なんなら()()も弾もうか?」運転手はさらに困った顔をして車を走らせた。


 シートに身を沈めながら、こういう時は面倒だなと櫛森は思った。


 事情を知らない人からすれば確かによく分からない注文であり、毎度チップを払ってもいられない。ネギ背負(しょ)った鴨に見られるのはゴメンだし、そう噂されるのも好むところじゃない。


「運転手も悪くないな」櫛森は明治神宮外苑のイチョウ並木を眺めながら独りごちた。


「ああ……でも免許か」


 運転手はバックミラーから櫛森を一瞥した。


 タクシーは東京某所の五つ星ホテルに到着した。運転手に()()をし、ドアマンの流れるような仕事ぶりに感心しながらフロント向かった。


「これを支配人に渡してくれないかな」と言って櫛森はコンシェルジュに鍵を渡した。


「渡せばわかると思う。僕はロビーのあそこらへんにいるから、どこにいるか聞かれたら案内してあげて」


「かしこまりました」


 コンシェルジュはこんな訳のわからない注文にも戸惑いもせず泰然としていた。こういったことは職業柄慣れているのかもしれない。もしくは、櫛森のような客が今日は何度も顔を見せているのかもしれない。


 支配人は十分もしないうちにやってきた。身長190センチはありそうなスラリとした紳士が、櫛森に平身平頭を心掛けていた。


「お待ちしておりました。お話は伺っております」


「ありがとう」


 支配人は櫛森を従業員用のエレベーターへ案内した。支配人は扉を閉めると櫛森が渡した鍵を取り出し、階数ボタンの下にある錠に鍵を差し込んだ。すると、さらに地下へ進める階数ボタンが現れた。ここ最近工事をしたのだろう。常設の階数ボタンと違い真新しさが目についた。


 一体どこまで降りるのだろうと櫛森は考えていた。それは支配人も同じだった。二人して、地球の裏側にでも行ってしまうのでないかと思い、支配人は嫌な汗が体を伝った。しかし、エレベーターは(おもむろ)に行き止まりに着いた。

 

 チン。という音がして、扉が開く。


「私はここまでとなっております」


「ありがとう」


 櫛森がエレベーターから降りて、支配人は階数ボタンを押してから扉を閉めた。扉が閉まり切るまでの間、彼は一礼を保っていた。


 さらにもう一つのエレベーターが見えた。エレベーターは箱も線も何もかもが剥き出しで危なっかしく見えたが、さらに地下に行けということなのだろう。櫛森は乗り込んだ。


 エレベーターには階数ボタンがなかった。下がるか、上がるか、それだけだった。

 櫛森は奈落へ向かって下がり続ける。


 再びチンと音がして、扉が開いた。


 さらに進むとさらに扉があり、さらに進むとまたさらに扉があった。

 櫛森は次の扉を開くたびに、空気の密度が濃く重くなってくのを肌身に感じていた。


 そんな具合に辿り着いた先は、無味乾燥の埃っぽいコンサートホールのような場所だった。

 オークション会場だ。


 すでに到着している者が数人いた。彼らは櫛森が開く扉の音で一斉にこちらを見て、また正面を向いた。

 

 彼らの頭の数を数えながら、櫛森は適当に席についた。

 7人だった。

 その内、やはり知っているものはいそうになかった。


 このオークションには世界的な著名人はほとんど参加しない。というのも、ここにいる者の多くが、出回っている長者番付がどれくらい嘘っぱちであるかを知っているのだ。


 オークションへ招待される烏合の衆は世のビリオネアに対して、100万円あればなんでもできると思っている子供くらいにしか思っていないのだ。

 

 全員が全員、得体の入れない何かであることを知っており、彼らは一種の同族嫌悪のようなものを抱いている。

 

 櫛森が到着してから微妙な空気が流れ続ける中、壇上に一人の老紳士が出てきた。


 開会が宣言される。


「ようこそおいでくださいました」

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