コトノハ_5
「でもあいつ、見習いだろ?候補にもならない…」
誰に押しつけるつもりなのやら。そうため息をつきながら彼らの声を耳から追い出そうとしたレノは、その言葉に誰のことを指しているのか気付いた。
「いや、あいつは手紙科にしがみついてるから見習い扱いなだけで、記録科とか会計科とか、他の科でなら普通に即戦力らしいぜ」
「ああ…俺も聞いた。あまりにも才能なくて可哀想だからって、教官たちが試しに他の科の試験を受けさせてみたら、ってやつだろ?」
「文句なしの一発合格。聞いたときはさすがに嫉妬したなぁ。俺だっていけるなら王宮科行きたかったし」
「あいつの欠点、文章を形式通りに書けないってだけだもんな」
「一般市民が相手の手紙科で何よりも必要になるその能力が壊滅的なだけで、軍からの報告を記録するのとかは得意だしな」
「確かに。戦地からの報告を王族用に書き直すのも、たまにあいつが代行して」「バカそれは言うな!」
聞いてないふりをしながらも耳をそばだてていた周りの者たちも、次第にあいつが適任だと口々に言い出す。その輪は広まっていき、やがて集積所内にいるコトノハたちの意見がひとつにまとまった。
アザを、後任として推薦しよう。
──パンッ
本人のいないところで話が進みかける。それを止めたのは、すっくと立ち上がったレノが両の手を打ち鳴らす、目の覚めるような音だった。
「少しだけ待ってもらおう。あのクツァオの代わりを選出するんだ、慎重になるのも仕方ないだろ?……しばらくそっとしといてやれよ」
皆の意識が十分、自分に集まっていることを自覚しながら、レノは静かに言った。その口調に、言葉に、皆が口をつぐんだ。
アザとクツァオの仲が良かったことは、それぞれの同期やその前後の者だけでなく、町のコトノハ皆がよく知っていたのだ。
ーーー
ぼんやりと歩く。日は傾いているが、町はまだ明るい。こんな時間に配達以外で町を歩くのは久しぶりだった。クツァオは今も戦地で務めを果たしている。なら自分も頑張らないと──ずっとそう思いながらやってきた。帰ってきたクツァオに、少しでも成長した自分を見てもらいたくて。
鉛のような足取りで歩きながら、アザは町並みを見渡す。夕暮れ前の買い出しや早めに仕事を切り上げた人々で町は活気に満ちていて、知っているはずの町並みが知らない町のように感じた。どこに誰が住んでいるのかは完璧に暗記している。配達に必要だからだ。だが、それぞれがどんな仕事をしているのか、何を売っている店舗なのか、町のことをちゃんと知らなかったと改めて実感した。
「あれ?アザだー」
「アザ発見!お仕事ー!」
のろのろと歩くアザに駆け寄る小さな影があった。はっとしたアザは彼らにニコリと笑いかける。
「こんにちは、シロ、スイ」
「アザ!テオからー…えっと、なんだっけ?」
「えっとねー…タマネギ、だって!」
「あ、それだ!あとニンジン!」
「んとね、お肉炒めて…」
まだ幼い少年と少女が代わる代わるに話す。棒切れを支えに立つ少年の片方の足は不自然に曲がり、左右で足の長さが異なる。少女の方は、右の頬が歪に引きつっているせいでうまく口を閉じられず、滑舌もあまり良くはない。だが二人とも一生懸命に話している。アザはしゃがんで目線を合わせながら、彼らの要領の得ない話をうん、うんと頷きながら聞いた。
「あともういっこ何か言ってたよ…?なんだっけ?」
「赤いものだった気がするなぁ。トマトかな?」
「ふふ、二人とも伝言ありがとう。ちょっと待って…」
微笑みながら二人の話を聞き終えたアザはカバンを漁る。底の方から、包み紙が少しひしゃげてしまった菓子を引っ張り出すと、二人に握らせた。きょとんとして受け取った子供たちだが、慌ててアザに返そうとする。
「アザ!お代は、テオからもらった!」
「前払いなんだって、頼んだ人が払うんだって」
「うん。これはお代じゃないよ。ありがとうって俺の気持ち。だから、毎回もらえるものじゃない。でももらったときには受け取ったらいいと思うよ」
彼らの小さな手をそっと押し返しながらアザが言うと、二人は互いに顔を見合せ、光が弾けたようにぱっと笑顔を浮かべた。
「ありがとう!アザ!」
「お菓子、うれしい!」
じゃーねー!と器用に棒を付きながら走っていく少年と少女に手を振り返し、アザは再び歩き出す。少しだけ足が軽かった。顔を伏せひっそりと苦笑を浮かべ、あてもなく通りを進む。
しばらく歩いていると、見知った人物がちょうど店から出てきた。
「テオ」
「お、アザか。仕事中…じゃないな、めずらしい」
声をかけると青年は振り返ってアザを見るなりそう言った。相変わらずの洞察力だ。
「シロとスイを行かせたんだが、もしかしてもう会ったか?」
「うん、ついさっき」