出会い_2
「…。うわぁっ」
一拍置いた後、ノートを投げ捨て飛びのいた。虫は嫌いではないのだが、いきなり至近距離にいると驚くほどには苦手だった。
どうやらぼうっとしている間に上の木から降りてきたらしい。悪いことをした。辺りを見渡してノートを探すと、通りかかったらしい上回生が拾い上げていた。器用に片手でページを繰り、反対側の手に先ほどの毛虫が避難させられていた。
「すみません、いきなり手元にいて驚いたもので…」
上回生に駆け寄りノートと、毛虫の回収を試みる。あまり好きではないが、投げ捨ててしまったのは申し訳ない。ちゃんと木に帰してやらないと。そう思いながら近付いたアザは、彼の制服の胸ポケットで光るバッジに気付き、内心うめき声を上げた。そのバッジは、数年前に記録科の中に新設された「速記コース」所属であることを示すものだった。
かつては全員同じ訓練を受けコトノハになっていたという養成学校は、現在ではいくつかの科に分かれており、1,2年の初等訓練を受けた後は得手不得手や本人の希望によってそれぞれの科に配属され、科ごとに特化した訓練を受けることになっていた。
最も配属される人数が多く、一般的な科であるのは、人々の思いを文字として綴る「手紙科」だ。必要とされる人数も多く、文字の読み書きさえできれば問題なく仕事ができるため、自然と配属される人数も多くなる。他にも、王族貴族たちの手紙を専属に請け負う「王宮科」や外国の者との取引の場でのやり取りを記録する「外交科」、議会や戦地での状況・やり取りを記録する「記録科」がある。
「速記コース」は、記録科の中に新たに設けられたコースで、コトノハが普段扱う文字ではなく、「略字」と呼ばれる特殊な文字を用いて速く、そして正確な記録を行う人材の育成を目的としている。どの科にも所属できる能力を持った者・それぞれの科の訓練を終えた者の中でも選ばれた者だけが所属できる特別なコースである。
長々と説明をしたが要するに、目の前にいるのは「エリート」だということだ。そんな人物に練習書きのノートを見られているのだ、あまり気分の良いものではない。
「ああ、ごめんな。文字を覚えようと必死に勉強しているようにも見えなかったし、じゃあ丁寧な字を書こうと練習しているのかというとそうも見えなかったし。一体何をそんなに熱心に書いているのだろうと思っていたら、自分からノートを寄越してくれたから、つい、ね」
その先輩は、アザのつたない文字で綴られたノートを馬鹿にするわけでもなくカラリと笑った。人好きする笑顔だった。左手に乗せられた毛虫までも彼の手の上でくつろぐようにおとなしくしている。
植え込みの葉に毛虫を優しく乗せてやると、彼は先ほどアザが座り込んでいた木の根元に腰を下ろした。ノートは未だ先輩の手にある。彼は「座れ」とでもいうように自分の隣の地面をぽすぽすと叩いた。早くノートを返してほしいのに。そう思いながらも、アザは渋々彼の隣に座る。