コトノハ_2
アザが頭を下げるのを見てレノは困ったように笑った。
「ごめんな。しゃしゃり出て。でも、規則は規則だから」
「わかってます。オレが至らないだけですから」
養成学校を卒業し、現場に出ているアザだが、実はまだ正式なコトノハとしては認められていない。手紙科卒でありながら文章を書くことに難があるアザは、配達はできるが手紙は書けない。まだ見習いなのだ。
以前であれば、アザのように文章を書けない者はコトノハとして認められなかったが、数年前から見習いとして仮認定を受けられるようになった。現場に出て手紙の代読を繰り返すうちに書けるようになる者も多いためだ。
その他にも、それぞれの科が請け負う仕事の特性に合わなかった者が、卒業後でも科を移籍できるようにするなど、この国のコトノハ制度は柔軟だ。少しでも多くのコトノハを確保するための国の工夫だった。だから、アザの顔をのぞき込むようにしてレノが掛けた言葉は、彼からすると至極当然の感覚からくるものだった。
「アザも、会計科に移ったらどうだ?ここなら文章を書くこともほとんどないし、計算が出来れば十分だよ。アザの容姿と文字なら、王宮の会計も任せられる」
会計科のエースとも言われる先輩のその言葉に、アザは吐き出すように重いため息をつく。
「買いかぶりすぎです。会計科は狭き門ですよ?オレは計算速くもないし。レノさんは法令にも明るいから…」
科の移籍といっても、もともと会計科や王宮科など、より専門的な科に所属していたコトノハが手紙科に移ってくることがほとんどだ。手紙科は必要とされる人数も多く、文字を読みさえできれば務まる。手紙科から他の科への移動など、聞いたこともない。ましてや、会計科へなんて。
国庫を預かることもある会計科の試験の難易度は、他の科とは比べものにならない。
コトノハたちは卒業時の最終試験の結果によって、科ごとに決められた職種に振り分けられるが、会計科所属のコトノハにはそれとは別に、卒業後にも定期的に昇格試験が実施されている。
希望者制で行われるそれは会計科の水準の維持・向上が目的だ。その試験で能力を認められた者は最終試験の結果にかかわらずより高度な職種へ就くことができる。
国家職員であるコトノハは、衣食住に関わるすべてが保証されているが、やりがいのある仕事・責任のある仕事に就きたいと思うのは世の常なのだ。
もっとも、最高位の職種である国や軍、軍以上の部外秘を有するコトノハの養成機関を任されるような者は、何年も様々な現場で経験を積み、何度も試験に臨んだような者たちだ。…例外もあるが。
会計科の卒業試験を、他の追随を許さぬ高成績で突破し首席を務めたレノは卒業以前からあらゆる機関から誘いを受けていた。その中には軍事資金や国家予算の出納帳を預かる者たちもいたという。しかし彼は「現場でしっかり経験を積みたい」とすべてを固辞した。諦めきれない緒関係者との折衷案として新人研修がコトノハ養成施設になったのだが、これも異例中の異例だ。
「俺は計算力と頭の硬さだけでやってるからな。これでも悩んだりするよ」
羨むようなアザの言葉に対し、レノもまた、「ははっ」と乾いた笑いを浮かべた。
「じゃあ、復活の兆しが見えてきた“吟遊詩人”とかどうだ?」
一時は廃れたが、戦況が良くなり、戦地が遠方へと移ったことで、市民の間で再び求められるようになったのが“吟遊詩人”、コトノハの職種のひとつだ。ちなみになぜかこの科には“科”がつかない。詩人たちの詠んだ歌や各地のおとぎ話などを書き留めて街中で披露する。文字を読み上げることのできるコトノハだからこそ担える娯楽だ。アザも、まだ専門的に科が分かれる前の訓練時代に、筋が良いと褒められたことがある。しかし──
「…もう少し、ここで頑張ってみます」
提案してくれるレノに、アザは静かにそう返した。
──お前、手紙科が向いてるよ。他が何と言おうと、俺が保証する。
訓練生時代に世話になった先輩に言われた言葉だ。先に卒業した彼は今、遠方の戦地で記録係兼手紙係として活躍しているそうだ。なんでもそつなくこなす彼なら、すぐに任期を終えて帰ってくるだろう。
「そっか。じゃあ、俺は次の店に行くからここで」
ちょうど分かれ道に差し掛かり、レノは手をあげて挨拶する。
「ありがとうございました。俺はシンラさんの依頼もありますし、一度集積所に戻ります」
アザは先輩コトノハにペコリと一礼し別れた。
「…クツァオに言われたんだ。しょうがないか。」
アザが去っていくのを見送って。レノは小さく呟いた。