依頼_1
手紙を配り終え部屋に帰ると、床一面に広がる紙の束がアザを出迎えた。
やはり夢ではないのだ。
昨晩のことも。クツァオが死んだことも。
ゆっくりと荷物を置き、読みかけだった手紙を拾い上げる。目に飛び込んでくる、激戦の記録。記録の合間から、“伝えてくれ”、“頼む”とクツァオの声が響く。
戦場の音まで聞こえてきそうなほど強い思いが、感情が音となって押し寄せる。
──そうだ。“音”だ。
アザははっとした。ようやくわかった。この文字の仕組みが。
これらの文字は、ひとつひとつが“音”を表している。コトノハが扱う文字とはまるで異なる、“馴染みある言葉”の音を。
この大陸では、国や地域の文化の発展に伴いそれぞれで異なる言語が発達してきた。公用語も存在するが、日常的に話すのは各々の国の言葉だ。
しかし、“文字”はそれらに関係なく大陸全土で共通だ。コトノハは文字から読みとった情報をそれぞれの言葉に翻訳して伝えている。感情やその国特有の表現、固有名詞などは文字として存在しないが、だからこそコトノハは出身を問わず必要とされる。
だがクツァオのこの文字は、文字のひとつひとつが発音を表しており、文法も公用語とまったく同じだ。比較的公用語に近い言語を話すこの国出身のアザからすれば、普段話している言葉に記号が当てられただけといった感覚で、しっくりきたのも頷ける。教えてもらったのは何年も前のはずなのに読み方を覚えていたのはそのせいかもしれない。
改めて手紙に目を落とす。おぼろげに響いていた声は、形を伴ってはっきりと聞こえてくるようだった。
一文字一文字を“音”にしながら手紙を読んでいくうちに、アザはその一文を見つけた。
クツァオが残したかったもの。クツァオが伝えたかったこと。
ぽたりと落ちてきた一粒の雫が、手紙に小さな滲みをつくった。
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「こらー、トキにスイ。走り回るな」
「「はーい」」
「…返事はいいんスけどね」
仕事の打ち合わせをしていたテオは傍らで暴れ回る子どもたちに呆れたように声をかける。側に居た少年のぼやきに女性も苦笑しながら頷いた。
ここはテオの家、兼コトダマの事務所だ。住む場所に困るコトダマたちの生活場所でもある。
テオ自身に家族はいない。行商人だった父は彼が生まれる前に、母は幼い頃に病気で亡くなった。
早くに親を亡くしたテオだが、自分が不幸だとは思わなかった。職に困ることはなかったからだ。
テオが生まれる前から続く海の向こうの国との戦争のせいで、自分のような子供は国中にごまんといる。そんな中、食うに困らず生きられることの何と幸運なことか。
職を転々としながらもどこへ行っても重宝されたテオは、次第に自分にとっての当たり前が他の人間にはない、特技と呼べるものであることに気付いた。
幼い頃から、テオは一度でも見たもの、聞いたもの、感じたものを完璧に覚えることができた。十年も前のことであっても、今見ている出来事かのように詳細に説明することができる。
その特技も含め、テオはコトノハとしての素質を充分に兼ね備えていた。もし、母が亡くなるのがもう少し早ければ、コトノハになっていただろう。だが、その「もし」を考える度に、「今があって良かった」とテオは考える。
住む場所があり、周囲からの手助けがあったとしても、子ども一人で生きていくことは容易ではなかった。コトノハになっていれば、それらの苦労はなかっただろう。同時に、様々な仕事を経験することもなかっただろうし、コトノハに依頼できない人たちがいることも、町の人たちが何を感じているのかも知らず仕舞いだっただろう。
その経験があったから、テオはコトダマを設立した。たまに手入れするためにしか帰らなかった両親が残した家は、今はコトダマの事務所として使っている。一人で住むには大き過ぎて好きではなかったこの家も、皆で住むには少々手狭だがそのにぎやかさがまた心地よい。
苦労は多いが、「今があって良かった」。そう強く思うのだ。