推薦_3
「良かったなぁアザ、大出世じゃないか!」
ユルドが出ていってからしばらくの間は呆然としていたコトノハたちだったが、我に返るとアザを取り囲んで称え始めた。皆アザが行くことが決定したような口ぶりだ。
「まだ決まってないだろ」
レノはそれが気に食わないように、他の者たちからアザを引き剥がす。させるがままのアザだが、レノの言葉には顔を俯けた。ユルドは命令ではないと言っていたが、あれは…。
「でも正直、あれって脅しだよな」
ちらりと見てアザの様子に気付きながらも、黙っていたジンが口を開く。
「速記コースでもないのに略字を扱えるのを見逃す代わりに記録係になれっていう。いくらクツァオに認められた例外が多くても、それをアザにも適用する訳にはいかないんだろ」
レノの剣幕に怯みかけていたコトノハたちはその言葉を受け、そうだそうだと勢いづく。珍しくぐっと詰まったレノは睨むようにジンを見やった。ばつの悪そうな表情を浮かべながらも「規則は規則、なんだろ」とジンはレノの口癖で返した。
最早収集がつかないほど熱を帯びた所内で、再びアザを持ち上げる声が大きくなる。それらの声を遮ったのは、
「やかましい!ちゃんと手ぇ動かしてるの!?」
扉を乱暴に開け放つ音すらかき消すほどよく通る怒鳴り声だった。
「きょ、教官…!」
まさに鶴の一声。先ほどまでの騒々しさはどこへやら、静まりかえった所内で皆思わず姿勢を正す。誰かが漏らした上擦った呟きを聞き逃すことなく、声の主はじろりとこちらを睨み付けた。
「いつまでも学生気分なのはどこのどいつ?」
自分が言ったわけでもないのに、そろって首を竦める。そんなコトノハたちに大きなため息をついて、その女性はカツカツと靴音を響かせながら室内に入ってきた。
真っ直ぐアザの前まで来ると、彼女はひょいとかがんで目線を合わせた。
「さっき、ユルドから聞いたよ。記録係に推薦されたんだってね」
「はっ、はい…」
彼女から改めて言われ、アザは口ごもる。そんなアザの肩に手を置いたまま、レノは意を決したように訴えかける。
「所長、アザはそもそも手紙科ですし、まだ見習いで──」
話し始めたレノだが、女性がすっと伸ばした手に制され口をつぐむ。女性は咎める風でもなく、実にあっけらかんとした口調で言った。
「隠さなくても、アザが略字を扱えることはあたしも気付いてたよ」
「え"っ」という大合唱が集積所内に響いた。アザやレノだけでなく、コトノハ皆の口から漏れたものだ。
「…なんで知ってるんですか…?」
おそるおそる、アザは尋ねた。筆跡は本来の係である王宮科の者たちのものに似せていた。それなりに…正直、かなりうまく出来ていた自信はある。
ユルドから話を聞いたときに一緒に言われたのだろうか──と考えるアザや他の者たちを見回して、彼女は呆れたような声を出した。
「なんでもなにも……多少筆跡を変えたところで、教え子の字ぐらい見れば分かる」
「………」
全員の顔がひきつったのが見て取れた。当たり前だろうと言わんばかりの口振りだが、彼女の教え子はどれだけ低く見積もろうと百は優に越えている。
そんな馬鹿な、という思いと、彼女なら出来かねないという納得は、後者の方が勝った。
それが、コトノハ養成施設の教官であり、この町の集積所で所長を務める、ナイラという女性だった。
「報告書には、あたしも目を通すことになっているから。はじめから気付いていたよ」
いつから気付いていたのかという、コトノハたちの口には出せない疑問を察したように、ナイラはさらりと言った。
「まぁ驚いたが、あのときはみんな忙しかったからね…正直あたしも、できてりゃ誰がやっててもいいかって思ったぐらい余裕なかったから。でもその次も、その次もアザの字が続く。さすがに釘をさそうかとも思ったけど…」
アザやコトノハたちの顔を一人ずつ見ながら続けた彼女は、そこで言葉を止める。アザは顔を逸らすように俯いた。王宮科のコトノハの、微かに震える拳が目に入った。
アザが報告書の翻訳を代行するようになったのは、クツァオの文字を読めるからだけではない。自分が代行した報告書の評価が非常に高いことを人づてに聞いたときは胃が縮んだ。
「…人には得手不得手があるからな」
誰にともなく言葉を続けたナイラは、アザに向き直った。
「正直言って、アザ、私はお前が手紙科としてやっていくのは無理だと思っている」
しゃがんで下から覗きこむようにアザの目を見ながら、ナイラは淡々と突き付ける。
「お前が働き始めてから、もうずいぶん経つ。何度試験を受けても手紙科として満足な結果は出せず、いまだに見習いのままだ。
…お前を必要としてくれている場所で、お前の能力を存分に活かす方がいいんじゃないかと思う」
咄嗟に開きかけた口を、レノは静かに閉じた。事実をただ述べる彼女に反論できる言葉を彼は持たなかった。アザの肩を抱く手に細かな震えが伝わってくる。
「だがな」
拳を握って堪えるようにうつむくアザの頭に手を置いたナイラは、ぐいっと頭を押して無理やり顔を上げさせた。