手紙_4
…読めない。
癖という言葉では済ましがたいクツァオの文字は、確かに判読不可能なレベルの悪筆だが、読み慣れているアザにとっては何てことはない。だが、そこに並んでいるのはコトノハが普段使用する文字でも、略字でもない。現在大陸で使われている文字とはまったく異なる形と文法だ。
「…ん?これって…」
──じゃあそんなアザクンに面白いものを見せてあげよう。
クツァオの声が耳によみがえり、アザははっとした。自分はこの文字を見たことがある。
もうずいぶん前。まだ互いに訓練施設にいた頃。一度だけ、クツァオはそれをアザに見せたのだ。
──だって、せっかく作ったのに陽の目を見ないなんて、可哀想だろ?アザにだけでも見せびらかしておかないと。
カラリと笑ったクツァオの笑顔が浮かんだ。
これは、クツァオがつくった新しい文字。得意げに見せてきたクツァオはそのとき、アザに読み方を教えてくれた。この文字が陽の目を見ることはない。なぜかそう強く言い切って。
食い入るように手紙を見つめる。教えてもらったのはずいぶん前で、メモなんて取っていなかった。思い出せ。思い出せ。何度も何度も、文字を追った。徐々に記憶が呼び覚まされる。
──そういえば、この文字を教えてもらったときも、不思議としっくりきたんだよな…。
そんなことを思った瞬間、頭の中で一本の糸がつながったように記憶の中の文字と眼前の文字が結び付いた。手紙の内容が音となって脳内に響く。
“○月×日。戦況悪化。支援物資の供給が滞る。後方支援部隊用の備蓄を回し凌ぐ。”
“○月×日。供給ルート、完全に遮断される。リツリを後にし前線部隊がいるヘグリへ向かう。”
“○月×日。襲撃。8名死亡。負傷者多数。救護物資は底を尽きた。”
「なんだよ、これ…」
一番上にあった紙から順番に読んでいく。信じられない気持ちで文字を追うアザは自分の記憶違いであることを願う。だが読めば読むほど、間違いないという確信が深まる。
そこには、アザが毎回チェックしていた戦地の記録とはまったく異なる内容が書かれていた。リツリの戦況がこんなに悪かっただなんて聞いていない。支援物資の供給路が絶たれ、後方支援部隊が前線部隊と合流しなければならないようになるなんて、そんなの、完全なる負け戦だ。
手紙は、所々に赤茶けたしみが目立った。泥汚れであって欲しいと願うアザは、その正体に唇を噛み締めて呻く。土の匂いに混じって、鉄の匂いが鼻を突いた。
ざらざらしていたり、つるつるしていたり、大きさも厚さもばらばらなそれらの紙は、コトノハに支給されるものとは異なる。薬や食料を包むために用いられているものだ。それらの紙を、少しずつ、少しずつ流用しながら書いていたのだろう。日付はばらばらで何週間も空いた記録もある。
“伝えなければ”
文字を追うアザの耳に、クツァオのそんな声が聞こえた気がした。
この記録は、絶対に存在してはならない。
そんな危険を犯してまで、クツァオは何をしようとした?何を残そうとした?何を伝えようとした?
クツァオがつくった、あの不思議な文字。彼の言葉を信じるなら、この記録を読めるのは、世界でアザ一人だけだ。
手紙は続く。記録が遡ってきたのだろう。兵士同士の会話の内容など、少しほのぼのとした話題も綴られている。だからこそ余計に、同じ紙に詰め込むようにして書かれた激戦の記録が突き刺さる。
この記録は、どうすればいい。戦地の真実を知って、自分に何ができる?
頭がくらくらした。意識を手放す自覚もなく、アザは手紙を握りしめて倒れこんだ。