一章 1
季節はとうとう、お貴族様の猟が解禁になる所まで来て、アニエスさんの山にも、許可をもらった猟師さんたちが、足を踏み入れる季節になった。
そうなって来ると、許可をもらっているという事で、猟師さんたちはジビエを、アニエスさんに献上するために、屋敷に来るわけなんだけど……
「こんなものを調理できるわけがないじゃないか!」
と料理人のおばさん、……ジャーナさんが、猟師さんたちにそれはもう、ぎゃんぎゃんと怒鳴り散らして文句を言う。
毎年、その日捕まえた物の中でも、状態のいい物を、このお屋敷に献上していたという、老猟師さんなんかは、憤っていた。
「毎年、このお屋敷の奥様に、美味しいとおっしゃってもらっていたのに! いらないなんて言うとは!」
というわけだ。そういうわけで、猟師さんたちはジビエを回収して帰ろうとするのだが、その日ジャーナさんにとって運が悪い事に、オーレリアさんが厨房まで降りて来ていたのだ。
そして老猟師さんを見て、軽く会釈する。
「お久しぶりだわ、猟師のおじさま」
「おお、オーレリアお嬢さんじゃないか、見違えるように美人になったなあ」
「女の子は一年も見ていないと、すっかり美人になるものよ」
オーレリアさんはそう言って笑い、老猟師さんが持ってきた野ウサギをみて、嬉しそうに笑った。
「おじさまのウサギ、いつもとっても美味しいの。ジャーナ、まさかあなた、これを調理しないなんて言うわけないわよね?」
「こんなものを、調理は……」
「あら、前に働いていたマシューは、出来たわよ? まさか義父様が、前に働いていたコックと同じ事を、出来ない人間を雇うなんてありえないでしょう。あなたの面談の時に、私もそこにいたけれど、あなた
「どんなものだって調理できます」
って言っていたじゃない。もしかしてできやしないの? それなら嘘をついたという事で、給金を返上して、やめてもらう事になるけれど、それでいいの?」
オーレリアさんの言葉を聞いて思い出す。虚偽の申告というものをして、雇われた使用人というものは、嘘をついたと判明したならば、それまで払われていたお給金を返上して、さらに紹介状なしに解雇させられるものなのだ。
ブラウニーたちにはない制度だから、よく分からないけど、そういう事なんだってさ。
私が物陰から彼女たちを見ていると、ジャーナさんは苛々した声になりながらも
「分かりました……」
と答えた。それを聞き、老猟師さんが、親切心からか
「さばき方を教えてあげるよ。どんなものだって調理ができても、得意不得意はあるという事なんだろう」
と言ったのに、ジャーナさんは
「いりません!」
ときっぱり拒否したのであった。
オーレリアさんはそれから、老猟師さんと、テラスでお茶がしたいと、老猟師さんを誘い、厨房の階段から上に上がっていく。老猟師さんはそれに続き、表側の階段を上がっていく。
それを見て、裏の階段しか、基本的に使えない事になっている使用人のジャーナさんは、苛立った調子で、乱暴な手つきで、野ウサギを壁に投げつけた。
「ふん! あんな貧乏お貴族様に、肉の味の違いなんて分かるものか! 豚を出しても気付かないだろうよ!」
と吐き捨てて、壁に投げつけられた野ウサギを放置して、そのまま夕飯の支度に入り始めた。
私はそれを見ながら、こそこそと、野ウサギを回収して、ジャーナさんが舌打ちしながら
「香草が足りないじゃないか! ああ、何で今に限って、使用人が誰も手伝いに来ないんだろう!!」
と大声で文句を、厨房いっぱいに響き渡らせながら、裏庭の方に、歩いて行くのを見守った。
「ウサギの解体にかかる時間は……」
私はそう呟いて考える。確か、熟成の時期も計算して、五日くらい。
ジャーナさんがいない間に、ウサギの掃除された内臓をさらに水で掃除して、腹の中に戻し、凍ったりしないけど、とても冷えている、マシューさんがいっつもジビエの熟成に使っていた、厨房の隠し部屋のような熟成氷室に、ウサギを五匹置く事にした。ちなみに、死んだウサギからは蚤だの虱だのが逃げて行った後みたいで、虫は発生しなかった。よし。
ちなみに今ここには、朝方に猪を仕留めた別の猟師さんが持ってきた猪の肉が、塊で切り分けられていて、それもどうにかしなくっちゃいけない。
きっと私が、ハムとかベイコンを、猪で作る事になるんだろうなあ。
作り方は知ってるけど、マシューさんにやってもらってたから、いまいち自信がないんだよね。
……そして出来上がったら、私一人で食べるのかな。……ううん、こっそりお屋敷の人たちのお料理の中に出しちゃえ。
冷暗箱の中に入れておけば、気付かれない。
だってジャーナさんって、自分勝手らしくって、自分のお家用に、たくさんハムとかベイコンとかを買って、持って帰ってしまって、このお家に残しておく分は少ないんだ。
だから、ジャーナさんが料理人になってから、ずいぶんと、このお家のご飯の中の肉の比率が少なくなった。
アニエスさんは気付いてるし、イオニアさんは不思議がっているし、オーレリアさんは感づいていたから、今日、厨房に降りてきたんだろう。本当は、在庫の確認とかするつもりだったんじゃないかな。
よく考えていないのは、商家の生まれで、三人以上にお嬢さま暮らしが長かったっぽい、エラさんだけだろう。
これも、アニエスさんの試験の一環のような気がする。気付いてどうにか解決できたら合格って感じで。
アニエスさんの試験って言うのは、娘の一人に、数年くらい、家の事を任せて、家を維持できるか、赤字にならないようにできるか、使用人たちの教育がちゃんとできるか、使用人がいなくても家を守れるか、というところを見る試験らしくって、イオニアさんもオーレリアさんも、それに合格しているから、貴族的お茶会とかに、招待されたら出かける事が出来るらしい。
合格しないと、未熟者だから外には出せないって事で、お茶会とか舞踏会とか、参加できないんだって。
使用人の中でも、お嬢様たち付きの侍女さんたちが、休憩の時間に、オールワークスメイドさんたちとおしゃべりしていて、知った事なんだ。
エラお嬢様はあんなにお綺麗なのに、お茶会にも舞踏会にも出席していない! と文句を言った侍女の人に、イオニアさんやオーレリアさん付きの侍女の人が、この家の試験の事を説明してたんだよね。
影で聞いていて、だからエラさんに、あれこれ任せたりしてたんだな、と思うと納得だ。
二人の上のお嬢様たちも、無論、試験の時は、他の二人にあれこれ任されていたし、家中綺麗にしていたし、家畜の世話だって畑仕事だってやっていたみたい。
その頃の料理人さんは、小さい時から来てくれていたおばあちゃんで、孫と同居して暮らすから、と言ってお暇した人だって事で、今でも手紙のやりとりがあるみたい。
おばあちゃま、と言ってお嬢様二人は慕っていて、アニエスさんも、信用していて何かと、手紙を送って、今でもお金を送ったり、色々交流があるみたい。
おばあちゃまの方も、都の珍しいけど高くないお菓子とかを、送って来るそうだ。
なんでも、そのおばあちゃま、息子が大成功した菓子店の店主でパティシエなんだそうだ……
まあそれは置いておいて、とにかく私は、ジャーナさんが帰ってしまう夜中の間に、ハムやベイコンの仕込みをなくちゃいけないのだ。
猪は大きくって70キロはあるけど、子供に近い猪だから、きっとハムもベイコンも、美味しい物になる。うまく作れれば、だけどね。
私がこそこそと、気付かれないように細心の注意を払い、ジビエを片付けると、ジャーナさんが足音荒く戻ってきた。
そして、思いっきり忌々しいって調子で、銅の薬缶でお湯を沸かし始めた。
「ああ、エラお嬢様に比べて、上のお嬢様二人はなんて、何て我儘なんだ! お茶の用意位他の使用「ジャーナさん、すみません! やっと掃除と洗濯が終わって……厨房に手伝いに来ました!」
お湯を沸かし始めた時に、忙しない足音とともに現れたのは、二人のオールワークスメイドさんだ。
金髪のジルさん。灰色の瞳のシャルさん。旦那さんが身元が確かな女の子を三人雇ったうちの二人だ。
仲が良くて、二人で協力しながら家事をしている二人だ。
「ああ、だったらオーレリアお嬢様が、薄汚い猟師風情とお茶をするっていうから、適当にお茶を運んで差し上げてちょうだい」
「ああ、このあたりも猟が解禁なんですね」
「その人は何を持ってきました?」
「ウサギさ。朝は薄汚い大男の猟師が、猪なんか持ってきたよ」
「えー、怖い」
「ウサギってかわいがるものなんじゃないんですか?」
「あんたらだってそう思うだろう? なのに猪は美味しいとか、ウサギは食べるものだとか、この家のお貴族様は野蛮人なのさ!」
「でも、お貴族様が狩りをした後、獣肉は食べてますよね。高級食材って。私そう聞いてますよ」
「なんだって!? 高級なのかい!」
思いもしなかった事らしいジャーナさんが、目を血走らせて、野ウサギが投げつけられていたところを見る。そこはもう、私が回収したから、何もないまっさらな状態だ。
「お貴族様の高級食材だったんなら、よろこんで引き取ったのに! ……にしても、野ウサギが片付けられているんだが、あんたたち何かしらないかい」
「今下りてきたんですよ、知るわけないじゃないですか」
「ここに野ウサギのお肉があったんですか?」
「あったんだよ。このお屋敷には、どう考えても、私達の知らない誰かが、隠れて色々な事がうまく回るように、動いている気がするね」
「もしかしたら、顔が病気で崩れて、世間に出られなくなったお嬢様とか」
「わー、かわいそー」
……いいえそんなお嬢さまはいません、腹ペコブラウニーが一人いるだけです……
私はそんな風に言いたかったものの、姿を見せるのは禁忌の一つなので、絶対にそんな事をしなかった。
シャルさんが、考え込みながら言う。
「でも、片付けに来たのは、ネリネさんかもしれないじゃないですか。あの人不気味で」
「わかる! いつも喋らないで、仕事だけ片付けて、私達とも仲良くしようとしないし」
「いつの間にか現れて、いつの間にか消えているから、片付けたの、きっとネリネさんですよ」
「……考えてみればそうだね。死んだウサギが歩き回るわけがないんだから」
そんな会話をしている間に、お湯は沸いて、文句を言いつつジャーナさんがお茶菓子を用意し、シャルさんとジルさんに運ぶように指示を出していた。
そこまで見てから、私は畑仕事をするべく、その場を後にした。