序章 4
結論から言おう! エラさんはお料理センスが壊滅的なお嬢さんだった!!
まず、かまどの火を熾す事が出来ない。どうやっても出来ない。種火を起こす事も出来ない。
初日だけは見守ってみようかな、と思った私は、ルーチンワークな掃除とお洗濯を終わらせてから、厨房で見守っていたのだけれど、いつもと同じ時間に厨房にやってきたエラさんは、火を熾す事に戸惑っていた。
待ってちょうだい、火を熾せないの……? 私はまさかの事実に驚くしかなかった。エラさん、どこのお嬢さま? アニエスさんだって、火を熾す事は出来たよ……?
そしていつまでも、火を熾せないで、エラさんはしくしく泣きだしてしまった。いや、泣いちゃだめだよ。そこで泣いちゃだめだよ……と思いつつ、しかし姿を見せるわけにはいかないので、はらはらしていたら、エラさんはここにいる事も耐えられなくなったのか、厨房を飛び出してしまった。
チャンスだ! 私は大急ぎで火を熾し、ちゃんと薪もくべて、急いで出来る朝食の用意を始めた。
パンを焼く時間はもうない。壁の時計は刻一刻と朝食の時間が迫っている事を告げている。
だったら何にする、そうだ、パンケーキだ! 私はそば粉で何枚もパンケーキを焼き、上に幸せの象徴であるバターを乗せて、お皿の脇にシロップの器を置き、それから炒めた玉ねぎとトウモロコシの塩気のあるスープを作り、ちょっとだけ塩漬けのお肉を焼いたものを添えた。
そこで、ちりりりん、と上の階の呼び出しのベルが鳴り、私はワゴンにそれらを乗せて準備をする。何というタイミングだろうか、そこで、アニエスさんが厨房に降りてきた。
私はなりふり構わず、とっさに調理台の死角になる場所にもぐりこんだ。そして見えなくなる呪文を使う。
この呪文使うの久しぶりだ。いつも物陰に隠れてきたから。
「エラ、朝食の時間を二十分も過ぎていますよ……いない?」
ワゴンに乗せられた出来立てのお料理。誰もいない厨房。怪訝な顔をしたアニエスさんだったものの、そこへ急いで戻ってきたエラさんが、手に郵便物を持っていたから、それを配達人から受け取ろうとして出て行ったのだと、判断したみたいだった。
「エラ、手紙を渡しなさい。それから食事を運んで来なさい」
「は……? はい!」
何故出来立ての朝食が、自分が作っていないのにあるのか、という疑問は間違いなくあっただろうが、怒られないだけまし、とエラさんは判断したみたいで、返事をしてワゴンを運び出した。
そんな風に一週間が経過して、私は致命的な問題にやっと気づく事が出来た。
その致命的な事って何かって言われたら簡単で……
「私はお買い物ができないんだ……どうしよう……さすがに、細かく切った野菜だけのスープと黒パンのお夕飯とかまずい……」
こんな現実である。私たちブラウニーは人の目に触れないで、あれこれする事を生業にしているわけで、人間の商人さんと会話をして、お肉を仕入れたり、穀物を買い求めたり、必需品の調味料とかを選んだりする事が、出来なかった。
今まではコックのマシューさんが、町から買い求めてきたり、ここまでやって来る商人の人から、エラさんが買い求めたりしていたけれど、私はそう言った事を全くできない訳で。
一週間、マシューさんが買っていた食材で、それなりに色々作っては来たものの、ないものはないし、エラさんは何故か厨房の備品を確認しようとしないから、いろんなものがなくなってきちゃってる。
さらに運が悪い事に、ここまで来てくれる商人の人が、訪ねてきた時にエラさんはちょうど、イオニアさんたちのドレスの中から、自分が着られそうな物を見繕ってもらっていて、厨房直通の扉の呼び鈴を鳴らしても、出てこなかったから、商人さん帰っちゃったのだ。
ゆえに補充の日に、補充されなかったという事で……どうしよう。
そして危機一髪な本日は、このお屋敷の旦那さんである、大商人のウィリアムさんが帰って来る事が、手紙で知らされてきていて……普通一家の大黒柱が帰ってきたら、ご馳走にするでしょ?
でも、でも……どうすんの。食材ないよ!? 家畜の卵とか、ミルクとか、そういうのはぎりぎりあるけど、メインになるお肉とかお魚とか、ないよ!?
そして運が悪い事に、この時期はまだ禁猟時という、一般的に狩猟が禁止されている時だから、アニエスさんの所有する山に入って、私が自力で野ウサギとかを捕まえて来るとか、出来ないの!
日付という、人間が考えた物で見て行くと、後ニ週間くらいで、猟は解禁になるけど……今日には間に合わないわけだ。
心底私は、どうしよう、と考えて考えて……あるものでしか作れない、と腹をくくりたかったけど……うんうん唸っている間に、地下の厨房に続く階段を、下りて来る音が聞こえ始めたから、急いで姿を隠す事にした。
ふんふんと鼻歌を歌いながらやってきたのは、エラさんだ。
「お父様が帰ってきてくれる!」
と彼女は歌いだしそうな位の声で独り言を喋っている。
「いつもは不思議な力で、お料理が出てきているけど……今日は私が、心を込めて、お父様のためにお料理を作らなくっちゃ!」
そう言う彼女。エラさん、あなた料理センス皆無だから……慣れない事はしない方がいいと思う……と私は心底止めたかったけど、止められるわけがない。
エラさんは踊りだしそうな調子で、マシューさんが残しておいたレシピ本をめくり、いくつもの料理を選び始めて、こう言った。
「今日はチキンの香草焼きと、畑で取れたお野菜に、玉ねぎのスープとパンにしましょう! 今日は大事な日だから、デザートも作らなくちゃ。何がいいかしら」
何て始めちゃったのだ。まて、待ってくれ、このお家には今、生きている鶏さんはいるけど、エラさん鶏〆られないでしょ!? 首折れるの? 血抜きできるの!? 羽むしれるの!!? どうすんの!?
はらはらしながら見ていると、エラさんはマシューさんが、いつも使っていた冷暗箱を見て、首をひねっている。
「お肉がないわ……?」
そりゃないってば。有り合わせのものだけを使って、私が今日まで料理していたから!
樽に入っている塩漬けの豚肉だって、もう底が見えてるんだよ! 買って! エラさん!!!
エラさんは首をひねった後、どうしましょう、と言っている。うん、どうするの。
エラさんがいる時点で、私が厨房で好き勝手出来るなんて無理だし。姿見られるわけにはいかないし。
はらはらひやひやしていたところ、彼女は困り果てた顔で、椅子に座り込んでしまった。
こう言うところを見ていると、エラさんって、大商人の溺愛する一人娘だったんだろうな、と感じる。
もしかしたら……エラさんって、アニエスさんとお父さんが結婚するまでは、物凄い箱入り娘だったんじゃないかな、とか、イオニアさんやオーレリアさん以上に、裕福な事になれた生活をして来たんじゃないかな、とか。
思う事はこの三か月の間に、結構あった。
さて、エラさんは困り果てた顔になった後、そうだわ、と立ち上がった。
「あるものを調べて見ましょう、ある物でアレンジしてお料理をすれば大丈夫!」
初心者がアレンジを考えるんじゃない! と、ブラウニー技能教習で、教習の先生が叫んでいた事があったっけ……なんでも、初心者はけた違いに何もわからないから、アレンジが惨事になるって言っていた。
ブラウニー仲間の間でも、自分達は食べる専門で、作るのは他の妖精の皆とか、お手伝いしている家の料理人さんとか、言っている子の方が断然多かった。
ティル・ナ・ローグに帰ると、私の実家に、新しいメニューを食べたいブラウニー友達が、料理の技能試験に合格した、私の手料理を求めて押しかけてくるし。ブラウニーたちは舌が肥えている、というのも実はありふれたお話!
それはさておき、本当にエラさん、どうするんだろう……と見守っていたところ、エラさんはお野菜のスープを作る事に決めたらしく、残っているお野菜を切り始めて、切る事はお手伝いしていたからそれなりだったけど、それを陶器のお鍋に入れて、お水を注いで……そこで私は硬直した。
今、たっぷりのお酢と、ミルクと、これでもかと思うほどの塩と、香草を入れませんでしたか……?
「これにチーズを最後に散らせば完璧なスープね!」
ご存じないのだろうか……酢とミルクをいれると凝固が起きるわけで、スープとは言えない代物になる事を。カッテージチーズと言われるものは、ミルクを温めて、酢を入れて、即席の物を作る事もあるのだと……
実際にマシューさん、サラダに散らすカッテージチーズを、即席で、そうやって作ってた。
こうなったら、私が、どう陰ながら頑張ってフォローしても、この野菜のスープは食べられる味にはならないと思う。
しかし、そんな事に気付かず、陶器のお鍋を、かまどの中に入れて過熱し始めたエラさんはにこにこしながら、パンも作らなくちゃ、と張り切っている。
私は心底不安だった。エラさん、パンの作り方、知ってるのかな……と。