五章 4
「うわあ……お嬢様、すごいですね。お花が咲き乱れてて……」
私が口を開けて、庭園に見入っていると、オーレリアさんが耳元で言う。
「お口を扇か手で隠してちょうだい、どんな田舎の女の子でも、口の中を見せるのはさすがによろしくないわ」
「はい」
言われてすぐに口元を覆う。両手で覆った私を見て、イオニアさんがそっと片手を外した。
「片手で、こんな風に隠してね」
見本を見せてもらった私は、うわ、優雅な動作ですねえ、と心底思った。
やっぱり生粋のお嬢様の仕草は、ブラウニーみたいな妖精のあれこれとは大違いだ。
とってもとってもきれいな動かし方で、こんな綺麗な動作、見とれる以外にどうしろって言うんだろうって位綺麗だった。
「ビスケット、そんなキラキラした目で見ないで。当然の仕草だからね」
「はい!」
勢い良く返事をしたら、アニエスさんが静かに言った。
「その元気の良さも、もう少し抑えてちょうだいビスケット。まるで飛んでいく矢羽根のようだわ」
言われて急いで頭の中に、もうちょっと静かに、という項目をつける。確かに、こんなきらきらしたお上品かつ優雅な世界に、飛んでいく矢羽根は違和感がありすぎる。
出来る限り上品にって事は……あれかな、ティターニア様の所でお話をする時くらい、丁寧にすればいいのかな。
きっとそうだろう。私はそんな事を考え、その間に、アニエスさんたちは招待状を見せていた。
確認が終わったんだろう。兵士さんが、穏やかな笑顔で庭園の中に入れてくれる。今までいたのは、庭園の前の入り口だ。
庭園の中に入ると、そりゃあもうすごかった。
私はお花が咲き乱れる世界って言うのを知っているし、すごくきれいな花弁の乱舞って言うのも知っている。
でも人間の世界のそれらは、妖精の世界の、自然の美しさとちょっと趣が違っていて、丁寧に計算して作り上げた整頓された美しさっていうのかな、そんな物があって、やっぱり綺麗だった。
あまりたくさんの虫さんはいないけど、ここでたくさんの 虫さんがいたら、女の人達の大半が悲鳴をあげちゃうから、そこらへんも気を付けているのかもしれない。
私は口を覆って、開きっぱなしである事を隠していたけれども、たくさんの、真っ白いテーブルクロスに覆われたテーブルの上の物を見て、一気に目が輝いた自覚があった。
「お嬢様、あれ食べていいんですか」
「ビスケット、馬車の中で言った事を守れれば大丈夫ですよ」
「はい!」
私はアニエスさんの言った事に対して、いい子のお返事を返して、すすっとテーブルに近付いた。
見た事のないいろんなお料理が並んでいる。全部一口とか二口サイズで、高さも低い。
これは口紅を塗ったお姫様たちが、大口を開けて食べるという、お化粧が剥げてしまう事を防ぐ意味があるんだろう。
指先だけで摘まみやすい、大人の女性たちが皆着用している絹の手袋があまり汚れないように配慮された、表面が乾き気味のお菓子たちが多い。
そうかと思えば、小さくて華奢なフォークで刺して食べられるように、という気遣いのもと作られた、芸術品にしか思えないお菓子とかサンドイッチとかもある。
これは凄い。ぜひともネリネさんに、今日見て食べた物の事を、報告できるように味見して、覚えなくちゃ。
そんな思いもあり、私はそれを言い訳に、私なんかと比べたら、同じ使用人というくくりにする事がはばかられるほど、優美で優雅な使用人さんから、真っ白くてとってもきれいなお皿を受けとって、ちょっとずつ、お料理やお菓子をとって行った。
そしてとっていったら、庭園のやや端の方にある座れる場所に座って、ご機嫌で口を開けた。
ここで、私の着ているドレスが効果を発揮したみたいで、なんだかみんな、子供を見る微笑ましい眼差しを向けて来ている。
でも私は知っている。十四歳の女の子は、結構マナーとかを覚えている物だから、私みたいな子の方が少ないっていう事実を。
だから私を見て皆、世間知らずのどこかの家の、末っ子なんだろうなって思ったに違いなかった。
まあ、使用人ですし。ぶっちゃけブラウニーだし。身分でどうこう言うのなら、昼のこう言う園遊会にも、正式に招待された人間として出て来る事はありえない身の上だ。
それでも今日は、私、ちゃんと招待されたもの。ちっとも疚しくないのよ。
ああ、それにしてもこれとっても美味しい……ネリネさんの食べ物もおいしいから、ネリネさんお料理すっごく上達したよね。パンを焼けるってやっぱり、すごい能力。竈の扱い方ってのを知っているって事だから、焼いて食べるものに関して、ネリネさんは相当熟練者というわけだ。
このちっちゃな焼いたお菓子美味しい。さっくさくで口の中に入れたらしゅわしゅわ溶けちゃうの。そしてとっても甘い。甘いのに、ふんわりとした香辛料の甘い匂いが、とってもちょうどいい。
一口サイズの、でも見事に飾られたケーキは、卵白を泡立てて膨らませたものと、卵白も卵黄も一緒に泡立てて膨らませた物と、膨張剤って言う物で膨らませた物があって、皆書簡がそれぞれ違うし、何ならバターとお砂糖を、これでもかというくらい泡立てたケーキも、皆個性があっておいしい。
やっぱり美味しいお菓子は砂糖とバターと卵か……お粉はどうなんだろう。私でもできるかな。
やっぱりお菓子が焼けると、ちがうでしょ? 使用人のお茶の時間にだって、たまには美味しいケーキが欲しい。
でも美味しいケーキの端っこの、ちょっと色の濃すぎる所を、蜂蜜を薄めたシロップで柔らかくして、泡立てたクリームを添えたお菓子、あれもおいしいんだよね。
マシューさんがたまに、お夕飯のデザートに添えてくれたあれを、私は忘れていないのだ。
そういう、端っこ再利用のお菓子はここにはないけれど、どれもこれもおいしくって、お腹がはちきれるくらい食べちゃいたい。
でもそんなに食べたら、さすがにお行儀が悪くて、アニエスさんたちの面目を潰しちゃうから、ぐっと我慢だね。
こっちの氷の上に乗せられた、一口サイズの素敵なチョコレートもおいしい……チョコレートは保管が難しいから、なかなかお屋敷では固形のチョコレートは食べられない。
粉の、ココアと言われがちなものは用意できる。でもそれは、とびっきりの特別な時に、アニエスさん達が飲むもので、使用人は味見だってできない素敵な飲み物だ。
ティルナローグでは、他の国の妖精さん、主に南の方の彼等が、お祭りの時に持ってきてくれるのを、買うんだけどね。物々交換よ? 彼等はこっちの国の林檎とかが好きなの。林檎は暑い地域では育たないから、ちょっと涼しめのこっちの方がおいしい物が育つんだよね。
このサンドイッチ、中身がみずみずしいきゅうりだ……すごーい、きゅうりはすぐに水が出てパンをびちゃびちゃにしちゃうから、きゅうりのサンドイッチって、物凄い贅沢遺品だって言われてるんだよね。さすが王宮のティーフードって奴だね。
パンの方は……ネリネさんの方がおいしい。やっぱりネリネさん、パン屋さんで鍛えてたみたいだから、そこら辺は熟練者なんだろうな。
もしかしたらこね方のあれこれとか、手の温かさとかが関係しているのかも。パンの発酵具合って、手の温かさで変わってくるって、お母さん言ってたし。
でも、あー、しあわせ。こんないっぱいいろんな素敵お料理を食べられて、素敵なフリルとレースのドレスを貸してもらえて、正式に招待された女の事して堂々としていられるって、ブラウニーには滅多にない事。人間の世界では夢みたいな体験だ。
二回お皿にお代わりをして、まだまだお腹には入るけど、いったん目立たないようにお茶で休憩する。
上品なティーカップは金彩が施されていて、一国の園遊会の格をあげている。金彩のティーカップは、お花柄よりも女性らしさが薄くて、男性でも好ましいと思う人が多いんだって、前の前のお家で聞いた事がある。
だから、こう言う男の人も女の人もいっぱい出席する園遊会では、金彩の上品な模様のティーカップと、ティーポットと、ソーサーが用意されるのだ。
それを見ると聞くとでは大違い。こんなに違うんだって、雰囲気とかを感じられて、やっぱり今日は素敵な日。
隅っこに座って、にこにこしながらお茶を飲んで、適当な時間になったらアニエスさんたちの誰かが、夜会のために戻るのについていこうと思っていた、その矢先の事だった。
なんだか庭園の外の方が騒がしくなって、誰かがしきりに、誰かを止めている声がした。
「殿下、お待ちください!」
「止まらないんだ!!」
「誰か馬を止めろ!」
「このままだと垣根に頭から突っ込むぞ!」
「まずい!」
「殿下! まずは馬を落ち着かせてください!」
「うるさい、出来たらそうしている!!」
……なんだろう?
私はほかの誰もと同じように、声がする方を見た。
蹄の音がする。馬の蹄だ。かなり荒っぽい音がしている。暴れているの?
それと一緒に、男の人というか、男の子って言う年齢の子供の声が聞こえた。
この声は誰もに聞えているわけじゃないみたい。
皆顔を少ししかめて
「何の騒ぎでしょう」
「無礼な来客がいるはずがないのですけれど」
「兵士たちがあわててますね」
なんて事をゆっくり喋っている。
馬が暴れて、こっちに駆けて来ているのまでは、わからないみたいだ。
私はそっと立ち上がった。
そして、アニエスさんたちの方に行こうと思ったその時だ。
とても軽々と、真っ黒な馬が、金の鬣の馬が、生け垣を飛び越えて、園遊会の会場に乱入してきたのだ。
馬のいななきとはとても思えないいななきが、辺りに響き渡る。
そしてその、とても綺麗な馬にまたがっている少年は、振り落とされないようにするので精一杯って様子だった。
馬はあばれて、丁寧に手入れされている、緑のじゅうたんのような芝生を蹄でえぐりまくり、土を飛ばす。
近寄って、なだめようとする兵士たちの数人は、前足の勢いにひるんで、馬を止められない。
ここで馬を射殺すとかはできない。人が乗っている馬を殺したら、馬から落下してその人が洒落にならない怪我をする。もしくは死ぬ。
色んな人が、一気に距離を置き、馬は暴れて、乗っている少年を振り回している。
誰もどうにもできないの?
「落ち着け、落ち着けったら!!」
乗っている少年が怒鳴っている。怒鳴っちゃだめだ。馬って皆、繊細だから。
それに、ああいう速さの出る長い足の馬は、いわゆる駄馬と言われがちな馬よりも、気性が荒くて臆病なものなのだ。
だから。
私は、ドレスだけど、人々の前に飛び出して、一瞬の隙をついて、馬の手綱を掴んだ。
そしてまっすぐ、馬の目を見た。
「落ち着いて、大丈夫だから。ね?」
ブラウニー試験に五回も合格して、家畜の世話も一級品の私は、瞳にブラウニーの魔法をかけて、馬とか家畜とかを落ち着かせる術も許可されている。
それを最大限に使って、馬を落ち着かせていくと、馬は鼻を鳴らして、静かに前足を降ろした。
そしてやっと止まった馬から、少年が降りた。
「……お前、名前は」
「ビスケット」
「どこの家の令嬢だ」
「今日は特別に招待されただけの、普通の女の子。……よしよし、もう大丈夫。怖かったね」
私はゆっくりと馬を撫でた。馬は大人しく撫でられてくれている。
それにしても、見れば見るほど名馬って奴で、とっても綺麗な馬だ。
その馬は、私に鼻をこすりつけた。
「ファイアがこんなにおとなしく懐くなんて」
彼は……王子様は、驚いた声を出す。
「暴れ馬のお世話とかも、結構慣れてるからそれでだと思うよ。そっか、そっかー」
私はしきりに私に訴えて来る馬、ファイアを撫でて、うんうんと頷いた。
「王子様、この子、蹄鉄と蹄の間に、小石が挟まってとっても痛いんだって。なのに走らされて、すごーく痛かったんだって」
「……は?」
「だから、蹄鉄と蹄の間に……」
「まてお前……馬の言葉がわかるのか?」
「分かんないけど、そぶりとかでちょっと気付けるだけ」
彼はしばし沈黙した後、ファイアの手綱をとった。
「行こうファイア。……お前、どこの家から来た」
「えっと、この家」
私が素直に、アニエスさんの家名を言うと、王子様は頷いた。
「後で礼をしなくてはいけないからな。……助かった、ありがとう」
「じゃあ、早くファイアちゃんの蹄鉄とか、治してあげてね」
王子様が手綱をとったけれど、後ろからすごい勢いで走ってきた、おそらく馬番の人が、泣きそうな顔で王子様に頭を下げ、王子様が彼に手綱を渡した。
「ファイア、お前さんが痛がってたの、見たらすぐに分かったのに、気付くのが遅れて悪かったなあ……直ぐ蹄鉄治すからな、痛かっただろう? よしよし……」
その人は、私がなだめた場面を見ていなかったから、私を見る事無く、すぐ去っていった。
それを見送った王子様が、私を見て、こう言った。
「少し、そこでお前の話を聞かせてもらいたいんだ。いいな?」
「面白い話なんて、一つもないと思うけど、それでいいならいいよ」
そう言いつつ、あ、王子様だから、丁寧に喋らなくちゃいけないんだった、と今更ながら気が付いて、私は耳まで恥ずかしくて真っ赤になった。
慌ててたから、忘れてたんだけどね。




