三章 5
ティル・ナ・ノーグは常春の国、四季はそれなりにあるけれど、いつだって美しい景色の場所だ。
そこのブラウニーの居住区域は、割と牧歌的な感じで、丸いお家が多い。そしてお庭にはたくさんのお花が植えられていて、屋根にもお花とかが植えられている所が多い。
私の実家はそのお花が、一面の水仙だから、水仙家、と呼ばれる事も多い。
ブラウニーの呼びわけはだいたい、私だったら水仙家のお嬢さん、とかそんな感じの呼びわけだ。ちゃんと個別の名前を呼ぶ事もあるけどね。分かればいいって感じ。
そして私が帰ってきた時、お母さんがお庭の水仙にお水をあげていた。
普段帰って来る時は、お洋服をもらって笑顔の私が、沈んだ顔で大きな旅行鞄を持ってきているから、お母さんがぎょっとした顔をして走り寄ってきてくれた。
「どうしたの! そんな暗い顔で帰って来るなんて。勤め先で、何か嫌な事があったの? あんたが嫌な思いをするなんてよっぽどじゃないの!」
「お、おかあさーん」
私はその心配してくれる声を聞いて、ポロリと涙がこぼれた。そのままえぐえぐと泣き出した私を、お母さんが頭を撫でて抱きしめてくれる。
「よしよし、うんうん。そんなに疲れているんだったら、お家でゆっくり休んでから、新しい勤め先を探そうじゃないの。あんた、もちろんお洋服をもらって辞めてきたんだろう」
「うう、じ、実は」
私は、お母さんに事情を説明した。一生懸命に陰ながら手伝ってきた事。理解を示してくれたネリネさん。私に届いた招待状のの事も話したし、その次の日に、誰かからよこされた悪意まみれのお洋服の入った旅行鞄の事も全部話した。
お母さんはそれを聞いて、私の持っている旅行鞄を見て、真面目な顔になってこう言った。
「ドルイドのおじいちゃんを連れておいで。その旅行鞄の中身が、もしかしたらとんでもないものかもしれないから。ドルイドのおじいちゃんがいたら、もしもの時は結界を張ってくれるからね」
「さすがにそんな事はしないよ」
私がそれほどの悪意を信じたくないからそう言うと、お母さんは首を横に振った。
「人間ってのはね、気持ちの悪い化物相手になら、どんな悪意に満ちた事も出来る種族なんだよ。嫌いな同族に対してだって、人間はとびっきりひどい事をたくさんできるんだ。同族でもないのだったら、奴らが遠慮はしないだろうからね」
それは、昔はとっても敏腕お手伝い妖精だったのに、ある時突然人間の世界に行かなくなった、お母さんの過去が少し見える言葉だった。
ブラウニー集落のはずれで、いつも瞑想しているドルイドのおじいちゃんに、事情を説明すると、直ぐに来てくれた。おじいちゃんは私の名付け親でもあるから、すぐに来てくれたんだろう。
名付け親は、名づけ子をとってもかわいがるものなんだって。
他の名づけ子たちの一大事の時だって、ドルイドのおじいちゃんはすぐに対処してくれるしね。
そんな風にすぐに家の前に来てくれたドルイドのおじいちゃんは、旅行鞄を一目見て、鍵を開けようとした私の手を、持っていた杖でうちすえた。
「ブラウニーの女の子が触るんじゃない!」
厳しい声だった。普段お昼寝ばっかりしているおじいちゃんの強い緊迫した声に、私は旅行鞄の中身が、ただ事じゃないっていやでも理解した。
おじいちゃんが、旅行鞄を地面に置いて、その周りをぐるぐると円で囲って、竜の革で出来ている手袋……とあるおじいちゃんの親友の竜が死んだ時に、遺言でおじいちゃんが革をもらったんだって聞いた……をはめて、厳しい顔で旅行鞄を開けた。
私が帰ってきた事で、何かおまけが貰えるんじゃないかなって集まってきていた小さい子たちも、普段の私の帰宅と違う雰囲気に、皆ちょっとざわついている。
私はお母さんが前に出してくれないから、お母さんの後ろから、おじいちゃんを見ていた。
おじいちゃんが、呼吸を整えて旅行鞄を開けて、そして思い切り顔をゆがめた。
「こりゃあひどい」
おじいちゃんが開けた旅行鞄の中には、妖精にとって毒にもなる、鉄の飾りがたっぷり詰まっていて、さらに妖精が苦手な蹄鉄、鉄の剣、トネリコの実が、お洋服の中に紛れ込んでわんさか入っていた。
おじいちゃんがそれらを厳しい顔で見つめて、低い声で言った。
「ビスケット。これはさすがにお前だけの問題にしておくわけにはいかん。ティターニア様に報告しなければならん。……これをじいちゃんが預かってもいいかの」
「……うん」
私、ビスケット……ビスケットみたいな茶色の髪の毛で、美味しいビスケットをたくさん食べられるようにって言うおじいちゃんの祝福のある名前……はこっくりと頷いた。
こんな目にあうのが私だけとは限らない。他の子が、もしどこかで同じような目に遭ったら、大変だもの。
鉄の飾りで指を刺したら、それがどんなに小さな傷でも、私達は永い眠りについてしまう。蹄鉄に触れたら、立って歩けなくなっちゃう。鉄の剣なんて最悪で、これに何の対策もなく触れたら、私達は体中に毒が回ってのたうち回るほど苦しいのだ。
それがこんなにたくさん、服に紛れ込まされていたら、普通じゃない悪意にしか思えないのだ。
おじいちゃんは旅行鞄をがっちり封印して、おじいちゃんの魔法の蔦でぐるぐる巻きにして、よほど頑張らなくちゃ開けられないくらいにして、それをおじいちゃんといつも一緒の妖精犬にくわえさせて、ブラウニーの集落からすぐに、ティターニア様のいる妖精城へ向かってくれた。
「ビスケット、災難だったわね」
「……うん」
私はうつむいた。あんなにたくさんの酷い物を、鞄に詰めて渡されて、化け物呼ばわりされるような事、私、してないもん……と泣きたくなった。
「元気出してビスケット! 妹が今、クッキーを焼いていたのよ!」
そう言ってくれたのは、近所のブラウニー姉妹のお姉さんの方だった。
「うん」
ずびっと鼻をすすった私は、そのまま、お姉さんについていき、妹ちゃんの、ちょっと塩気が強めな塩キャラメルクッキーという新作を、食べる事になったのだった。




