三章 3
アニエスさんが、一瞬だけ目を細めた。全く、お喋りですね、と言いたそうな唇の後、こう言った。
「カナリアですね、その話をイオニアが話したそうですから。使用人同士なら何か知っているのでは、という事で聞いたそうです」
「奥様、結論から申し上げますと、茶色の髪の人間、はこのお屋敷にも、この屋敷に通いの手伝いに来る、奥様の知らない者の中にもおりません」
「……含みがありますね、人間はいない、と言うと悪魔か何かですか」
「そんな物騒な物でもありません。……このお屋敷で、不思議だと思った事はございませんか。誰もしていない家畜の世話がされている、イオニア様が行わない間も手入れの行き届いた菜園と表庭、エラ様一人ではとても行えない量の家事が常にこなされてた、私達が来る前の時期の事を」
「……エラがやりくりしていたわけではないの?」
「……奥様は、一人でこの屋敷を切り盛りできるとお考えですか」
「わたくしも一人で行いました。イオニアもオーレリアも行いましたよ」
「……そうですね。イオニア様もオーレリア様も、食事のあれこれ以外は自分たちで行ったと言っていました。……しかし、エラ様はそういうお育ちではない。教えられてもその通りにできる人間ばかりではありませんでしょう」
洗濯物の量だってなんだって、一人分多かったはずです。そしてその一人分は思った以上に負担になる。
淡々とした声で静かに伝えるネリネさんが、そして一呼吸おいてこう告げた。
「……この屋敷には、妖精が一人暮らしております」
「……妖精? 私がこの屋敷を受け継いだ時、そんな財産になる存在の話は聞きませんでしたよ」
アニエスさんが怪訝な顔になる。
「……そうでしょうとも。彼女たちは一定の条件の元、家を転々とする存在です。服を与えられて故郷へ帰り、新たな仕事先を見つけてそこで暮らし、また服をもらって去っていく……彼女たちは、ブラウニー。妖精の女王ティターニア様から、仕事の際は茶色であれというルールを与えられた者たちです」
「聞いた事があるわ……お伽話の中だけかと思っていたけれど」
「……このお屋敷には一人、大変に働き者で、優秀なブラウニーがおります。ジャーナさんが料理を何一つ与えなかった時も、妖精の約定の元、屋敷を出て行けず、空腹で頑張っていた妖精です。私達が出来ない事を一人こなし、私達に尽くしてくれたとても気のいい妖精です」
「……あなたが冗談を言っているわけではない事は、分かります。そしてそうだと考えると、色々な事に納得がいく事も」
「ありがとうございます。……そして、奥様、王子様たちは、おそらく、彼女をどこかで見たのです。例えば厩舎で。例えば庭先で。ブラウニーたちは、家の住人に見つかる事を避けますが、客人にはうっかり見つかる事もあるといいますので。その際に、彼女が大変な働き者であったがゆえに、招待状が届いたと考えられます」
「では、そのものは妖精だから、出席できないとでも連絡しろと?」
「……いいえ奥様。妖精はどの存在であろうとも、招待を受けたらそこに赴くと言います。奥様は、彼女に招待状を渡し、彼女が招待される側として着飾れるものを用意するべきです」
「洋服ではいけないのかしら。娘のおさがりの余所行きはどうかしら」
「彼女たちは服をもらうとその屋敷から去っていきます。それから戻って来る事は滅多にありませんので、賢明な事ではありません。またブラウニーが誰か来てくれるかもわからないのです。奥様、申し訳ありませんが、私は五人分の働きは出来ませんので、おすすめできません」
「じゃあどうすればいいの?」
「! ……イオニア様……」
いったいいつの間に扉を開けて入ってきてたんだろう。イオニアさんが扉の所で問いかける。
ネリネさんもびっくりした顔を隠さない。
眼鏡の奥の瞳が真ん丸になっている。
「それだけ働いてくれる、素敵な頑張り屋さんの妖精さんを、きちんと舞踏会に出席させるためには何が必要なの、ネリネ」
「イオニア、来るときはノックをなさい。行儀が悪いですよ」
「しましたよ、お返事が全くないので入りました」
イオニアさんがそう言って、ネリネさんを見ている。
「ネリネ、あなたはそれも知っているでしょう」
ネリネさんは自分を取り戻した様子で、口を開く。
「……存じております。まずは大きなウリ。それから三匹のトカゲ。綺麗な糸と銀のボタン。それが、多くの妖精たちが、人間の行事に参加する際に、乗る乗り物です。衣類は……私たちは与えられません。彼女たちはそうすると、去って行ってしまうので」
……ネリネさんって何者だ? これだけ詳しい人って滅多にいないよ。私たち妖精の正式な馬車が、大きなウリと三匹のトカゲって事を知っている人はほとんどいないし、そのウリを飾るための綺麗な糸の事も、そして妖精が最も好む銀を使ったボタンは正式の礼装の一つって事も知っている人は、早々いない。
知っているのはよほど妖精が近しかった人たちで、そういう人たちは、この人間の世界では、魔法使いと呼ばれているわけで……でもネリネさんは魔法の匂いなんて一切しない。
何者なんだろう……
「でも寂しいわ、それだけの働き者の妖精さんに、お洋服を上げたら、どこかに去っていくなんて」
イオニアさんがそういうけど、……うん、素敵なお洋服をくれたら、再就職もありなんだよね、ただ争奪戦が笑えないくらいのものになるから、同じブラウニーが来る事って少なくなるだけで。
それと、同じブラウニーに一緒にいてほしい時の、とびきりの方法もあるけど、ネリネさんは知っているのかな。
……知っているけれど、あえて言わないって奴なのかもしれなかった。




