二章 6
ネリネさんが山に入って、エラさんに家の事の指示をされていた二人のメイドさんたちは、さて昼食の時間が迫ってくるという時に、恐ろしい事実に気が付いちゃったみたいだった。
「ねえジル、どっちがお昼ご飯を用意するわけ」
「えっ……どっちだろう……私大人数の料理なんて用意できないわよ!? 旦那様だって、料理は料理番がするから、考えなくていいって言ったから、ここに採用されたんだもの!」
「私もそうよ! どうしましょう、誰かこのお屋敷に、料理が出来る人がほかにいる? 侍女の皆さん、たしなみだって事で知ってたりしないかな」
「料理が出来ないからってくびは嫌! せっかく家の借金が返せると思ってたのに!」
「私だって同じような気持ちよ! 結婚の支度金をためるために、ここに働きに来たのに! お屋敷のアニエス様を怒らせたら、お給金ももらえないで追い出されても文句は言えないわよ!」
二人は真っ青な顔になって話し合う。
私はそれを物陰から聞いて……こそっと、彼女たちの脇に、音を立てて、マシューさんが残してくれた、初心者でもできる、お料理のレシピ帖というものを置いた。
隣からいきなり物音がすると思わなかった二人が、身をすくめる。
「きゃあ!」
「ひゃあ! ……なにこれ? 誰かの手描きのレシピ帖だわ……」
シャルさんが、私の置いたレシピ帖を広げて、周りを見回す。
「だ、だれかいるの……? ねえ、助けてよ……私もジルも、お料理できないのよ……」
自分で何とかして。それこそ成長ってものだと思う。そういうわけで、私は何も答えない。
でも、二人のメイドさんは泣きそうな顔だ。
「お願い! これからはちゃんとお料理の事も勉強するからぁ……」
「仕事をさぼったりしないからぁ……」
彼女たちのお願いだが、私は何も言わない。自分で何とかしてもらわなくちゃだめなのだ。
もしもこの先も、ネリネさん不在で、料理をする人も不在って状況になった時、困るのは二人のメイドさんなのだから。
私が答えない、となって、シャルさんは半泣きでレシピ帖をめくり、ジルさんと、どれなら自分達でも作れそうか、という相談事を始めた。
「これは?」
「駄目よ……だってこのレシピ帖、どれもある程度お肉を使うのよ!?」
「せめてお魚があれば……」
「でも、私達は、お屋敷を離れて魚釣りなんてできないわよ!」
なるほど……私はちょっと反省した。マシューさんの簡単レシピは、どうやらお肉系をそれなりに使う前提のメニューだったみたい。
それじゃあ、お料理初心者な二人のメイドさんが、作れるわけもないか……
でも、ネリネさんがすぐに、狩りの成果を持ってきて、帰ってくるわけじゃない。
どうしようかな……と私も考えて、メイドさんの予期せぬ危機ってわけだから、ちょっと助けてあげようかなって決めた。
だから私は、一か八かって事で、行動を起こす事にした。
私は急ぎ、エラさんがどこにいるか探した。
エラさんは、家中の確認をしていた。カーテンは清潔かとか、そういうのをチェックしていて、私がいる位置は彼女にとって死角だ、よし、いける!!
私はそこで、いかにも、裏庭から動物たちが、迷い込んできちゃったと言う風に、山羊とか鶏とかを、そこに追い立てたのだ!
エラさんは訳が分からなかっただろう。
いきなり、めえめえ、ぴいぴい、こけこっこーと、動物たちの声なんかが響いちゃったら、明らかにびっくり要素に違いない。
そしてさらに、泥の中でごろごろ転がってた豚が、泥をぽたぽた滴らせて、屋敷でぶうぶう鳴いちゃうんだから、大混乱間違いなし。
「えええええっ!?」
エラさんが悲鳴を上げる。
そしてすぐに、一人ではどうにもできないって事で、呼び鈴で二人の使用人を呼びだしたのだ。
侍女さんを呼んでも、ここでは対処できないってちゃんとわかってるからね!
そして呼び鈴で呼び出されたジルさんもシャルさんも、わけがわからないという顔で、しかし仕事だから、急いで動物たちを裏庭に追い立てようとする。
でもなかなかうまくいかない。
私はその隙に、厨房に飛び込んで、冷暗箱の中にとって置いた、ウサギのガラを取り出して、綺麗にしてから、塩と胡椒とたっぷりの水を大きな深い鍋に入れて、ガラも入れて、強火で一気に煮だし始めた。
そう、私はウサギのブイヨンで作る、豆のスープならどうにか、昼食として出せるのではないかと考えて、はじめたのだ。
でも、ブイヨンの取り方とか、フォンの取り方とかは、料理人さんじゃないと教えてもらえないスキルの事が多いから、メイドさん二人も、狩りに行ったネリネさんも知るわけがない。
だから、初心者レシピも、材料不足で作れない二人のメイドさんの事も考えて、こんな事をやる事にしたのだった。
「最悪!」
「いったいどこから、裏庭の動物たちが入ってきたっていうのよ!」
ジルとシャルは、そう文句を言いつつ、なんとか二人がかりで動物たちを追い立てて、裏庭に戻して、泥まみれになった一階の一部を、エラの指示の元、元通り綺麗にして、昼食前という事で、くったくたになりながら、空腹を抱えて、陰鬱な気持ちになっていた。
「ねえ、お昼ご飯どうしよう」
「アニエス様に、正直に言うほかないでしょ……」
「アニエス様怒るとめっちゃくちゃ怖いのよ!?」
「一緒に怒られるしかないじゃない!」
二人が恐ろしさで身を震わせていた時だ。
「どうしました?」
そう、彼女たちに声をかけたのは、ぶうぶうめえめえ、というなかなかな騒ぎを聞いて、暇を持て余して現れた、何と王子様である。
メイド二人はひっと、顔をひきつらせた後、丁寧な動作になるように心がけて、お互いに視線を交わし合う。
どうしよう、というわけだ。
「何かお困りごとですか? 私でよければ、聞きましょうか」
「……、お、お許しくださいぃぃいいい!!」
王子に優しくそう言われて、ジルはとっさに、深く頭を下げた。もう事実を馬鹿正直に話して、怒られた方がましだと判断したのだ。
「わ、わたしたち、わたしたち……!!」
「りょ、料理が出来ないんです!! 料理ができるメイドも、食材が無くなって、山に罠を仕掛けに行っていて!! 殿下たちの昼食を、用意できなくて……!!」
「お許しください、お許しください!!」
もう全て暴露しろ、と二人は頭を下げ、これから迫りくる恐怖のために泣きそうになりながら、いいや、もう泣きながら謝罪する。
それを見て、エラが驚いた声を上げる。
「あんなに食料の在庫はあったはずなのに、皆使ってしまったの? 在庫の仕入れ帖によれば、たっぷりのベイコンやリエット、ハムがあったはずでしょう」
「な、なくなっちゃったんですぅ!!」
「つまみ食いをそんなにしたの?」
エラの言葉に、メイド二人は首を横に振り、もう、どうすればいいのかわからない状態でいる。
だが、エラが瞬間考えた後、こう言った。
「お義母様に報告します。あなたたちは厨房に戻りなさい」
「は、はい……」
「そうです、私の従者も厨房に向わせて構いませんか? 多少料理の心得があるので」
王子の提案に、メイドたちは嬉しそうな顔になる。
そしてエラが、苦渋の決断だという表情で、頷いた。
「お手を煩わせて申し訳ありません……お願いできますか……」
「ええ。従者も暇を持て余しているので」
「だったら、うちのも行くだろう?」
そこで声をかけたのは、王子の後から様子を見に来た、侯爵家令息と、その従者だった。
「はい、若様。お困りのお嬢さんたちの手伝いになれば」
従者はおどけてそう言い、王子の従者もゆっくりと一礼する。
「もともと、私達が予定外の滞在客なのですから」
助けが入った、とジルとシャルは顔を輝かせて、従者たちどころか、主本人たちも、厨房へ降りていく事になったのだった。
そして彼等は、全員、目を疑ったのである。
なぜか。
厨房には、明らかに先程誰かがいた様子で、竈で煮込まれているかぐわしいウサギのブイヨンからとったスープ、即興で作ったのだろう付け合わせのふわっとした粉を焼いたものがトレイに乗ったまま調理台に置かれており、香草などで香り付けした炒め野菜、といった、軽いけれども、質のいい昼食の用意のような物が置かれていたのだ。
それを見たジルとシャルは泣き出した。
「や、やっぱり誰かが助けてくれた……!!」
「ありがとう、誰かわからない子!!」
「……どういう事です?」
「この屋敷に、あんたらが知らない人がいるのか?」
王子と公爵家令息の言葉に、二人のメイドは頷いた。
その時だ。
「……一体何の騒ぎですか」
厨房に、着替えた様子のネリネが現れたのは。
それを見て、公爵家令息が言う。
「なんだよ、そっちのメイドさんが、あんたらが屋敷の掃除をしている間に作ったんだろ?」
「え、え、ええ……」
ジルがそんなわけが、という顔をする。シャルが、どう説明すればいいのか、という顔をする。
そんな二人に、ネリネが言った。
「……スープが冷める前に配膳をお願いします……」