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六畳一人  作者: 緋色ざき
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 その日は久々に残業もなく、定時で退社することができた。スーパーに寄って夕飯の材料を買い、家へ帰ろうと住宅街を歩いていると、犬が電柱の横に座っていた。ベージュ色の毛並みをした大きな犬である。おそらく、ゴールデンレトリバーだろう。

 よくよく見ると、首輪がついていて、そこにローマ字が書かれていた。

「……レイリー」

 そう呟いた僕の声に、ワンと犬が反応した。そして、僕に寄ってくる。とても人なつこい犬だ。僕はうれしそうにしっぽ振るレイリーを見ながら、これまでのいきさつを推測した。レイリーには首輪がついている。きっと飼い主と散歩中にはぐれてしまったのだろう。しかし、賢いこの犬はいつものお散歩コースであろうこの場所に座り、飼い主が探しに来てくれるのを待っていると言ったところか。

 僕はレイリーの頭を撫でながらそんな結論を出した。レイリーはといえば、依然としてハッ、ハッと舌を出しうれしそうにしっぽ振っている。その姿には知性の欠片も感じられない。

 とはいえ、全く見知らぬ道で座っているとも思えないし、ここで待っていればやがて飼い主がレイリーを見つけるだろう。 

「もうちょっとここで待ってるんだぞ」

 僕はそう言って優しく頭を撫でて立ち上がり、再び歩き出した。

 しばらく歩いたところでふと気配を感じて振り返る。すると、そこにはレイリーがいた。

「なんでここに?」

 しかし、その疑問の答えはすぐに浮かんだ。

「僕についてきたのか……」

 ワン、とレイリーはそれに首肯するように鳴いた。僕はため息をついて、レイリーの前に屈んだ。

「いいか、レイリー。ここで待ってればお前のご主人様が来るからお座りしとくんだぞ」

 ワン、と再びレイリーが鳴いた。

「本当に分かってんのかねえ」

 僕は小さく息を吐いて、それからまた歩き出した。数メートルほど進んだところで振り返ると、案の定レイリーがいた。

「お前……」

 僕は呆れて言葉が続かなかった。知らない人について行ってはいけないなんてことは小学生ですら知っているというのに。

「はあ、しょうがないか……。レイリー、うちに来るか?」

 ワン、とレイリーはこれまでで一番うれしそうな鳴き声を上げた。


 アパートに到着し、鍵を開けて部屋へ入ろうとすると、玄関前でレイリーが立ち止まった。

「うん、どうした?」

 すると、レイリーは前足を上げて仁王立ちした。 

「あー、なるほどな」

 僕は洗面台へ行くと、雑巾を濡らしてしぼり、床の上に置いた。すると、レイリーはその雑巾の上で足を拭いて廊下へ降り立った。その佇まいからは品格が感じられる。きっとしっかりと躾けられているのだろう。

 僕は手を洗うとすぐに夕ご飯の準備にとりかかった。レイリーはといえば、部屋の隅っこに座り、静かに僕の方を眺めている。三十分ほどで夕飯も作り終わり、ちゃぶ台にご飯を並べた。

 それからふとレイリーの方を見て、はたと気づく。レイリーの食べるものがないのだ。慌てて棚や冷蔵庫を漁るが、当然犬の餌になるようなものは見つからない。

 レイリーは、そのつぶらな瞳で僕を黙って見つめていた。

「……買いに行くか」 

 僕は頭を掻いてそう呟いた。ワン、とレイリーはうれしそうに鳴いた。

 家を出て、駅前のペットショップに向かう。肌寒い風が身体をさす。小さく身震いする僕の後ろをレイリーはゆっくりとついてくる。リードはないが安心感があった。きっとレイリーの飼い主も、普段からこんな感じで散歩をしていたのだろう。ただ、そこで何かが起きてはぐれてしまった。

 ペットショップの前についたところで立ち止まって振り向く。「じゃあ、ここで待ってくれ」

 レイリーはお座りをして、ワンと小さく鳴いた。僕はペットショップに入り、ドッグフードを探した。そのお店に入るのはブラウンを買ったとき以来で、見つけるのに手間取ってしまった。

 二十分後、僕が急いで店の外に出ると、レイリーは僕がペットショップに入ったときと同じように静かに座ってこちらを見ていた。僕はその姿に感心した。

「お前、本当によく躾けられてるんだな」

 頭を撫でて、それから帰路についた。

 家に着くと夕食を温め直し、それからお皿を一枚取ってドッグフードを出してレイリーの前に置いた。

「いただきます」

 僕が手を合わせるのと同時にレイリーはワンと鳴き、ドッグフードを食べ始めた。その様子を横目で見ながらふと思う。ブラウンがいなくなったときはペットなんてもう飼うものかと思ったが、やはり同居人がいると心が暖まるものだ。

 僕は久しぶりに笑みを浮かべて、レイリーの頭を優しく撫でた。


 それからあっという間に一週間が経過した。僕の生活は、大きく様変わりした。平日は朝六時に起床してレイリーと散歩し、仕事から帰ってきてご飯を食べ、夜九時に再びレイリーを連れて外を歩く。そして十一時就寝。休日は日中少し長い時間散歩に出かける。日々がレイリー色に染まっていく。それは僕にとって心地よいものであった。

 しかしその反面、このままではいけないという思いもあった。レイリーには飼い主がいて、きっとその人は大きな不安を抱えながら過ごしている。

 僕はそれで、レイリーの飼い主を見つける方法を考え始めた。

 僕が真っ先に思いついたのは貼り紙だ。レイリーの写真と僕の宛先を書いた紙をこの辺り一帯の電柱にでも貼っていけば見つかると考えた。しかし、それはすぐに難しいと分かった。僕の住む六畳間には、カメラやプリンターはなく、貼り紙を作ること自体がとても困難なのだ。携帯やパソコンはあるため可能ではあるが、いますぐにとはいかない。それで、ひとまず貼り紙を作るのは諦めた。

 その他の案として、この辺りで犬を探している人がいるか聞き込みをするというものを思いつき、散歩がてら地元の商店街の人たちにそれとなく尋ねてみた。しかし、成果は一向に上がらなかった。もしかすると、レイリーの飼い主はこの辺りに住んでいる人ではないのかもしれない。万事休すかとそんなことを思っていたある日のこと。

 その日は休日で、せっかくの機会なのだから、いつもとは違う場所を歩くことにした。散歩コースはもっぱらうちの周りで、レイリーも物足りなさを覚えているだろうと思ったからだ。

 それで、家から少し離れた河川敷に足を運ぶことにした。河川敷に着くと休日ということで、家族連れやカップルなど多くの人で賑わっていた。

 一時間ほど川に沿って歩いて、それから近くにあったベンチに腰を下ろす。

「さすがに少し疲れたな」

 毎日レイリーと歩いているとはいえ、これだけ長時間歩くのは久しぶりだ。若い頃ならこれくらいどうということもなかっただろうけど、いまは足が休憩を欲している。これが年を取るということなのかもしれない。

 ふと、河川敷を穏やかな風が撫でた。何気なく視線を上にやると青空が広がる。

「今日はいい日だな」

 横に座るレイリーもワフーとそれに答えてくれる。こんな穏やかな日々がいつまでも続いてくれればいいのと思ってしまう。でもそんな未来は描かれることはない。きっといつかレイリーの飼い主は見つかって、僕らはまた別々の道を歩き始めるのだ。

「さて、そろそろ行こうか」 

 僕らは立ち上がってまた歩き始めた。いまはまだ同じ道を歩いているのだから、この時間を楽しもう。

 しばらくすると、前方にトイレが見えた。ちょうどいきたいと思っていたタイミングだ。

「レイリー、少しここで待っててくれないか」

 大樹の木陰でレイリーを座らせて、トイレへ向かう。

 用を足して手を洗っていると、ふと少女の甲高い声が響いた。感極まった声だ。一体何事かとトイレから顔を出すと、まだ年端もいかない少女がレイリーと抱き合っていた。

「レイリー、ほんと心配したんだから。もう、レイリーのばかー」

 僕はそれで全てを察した。お別れだ。

 レイリーと少女に背を向け、家に向かって歩き出した。後ろから、レイリーの鳴き声が聞こえた気がした。

 こうしてまた、僕は一人になった。


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