4 解剖
ボクはハゲと加藤と三人だけで解剖室にいる。
昨夕亡くなった患者の解剖をこれから行う。ハゲがいるのはわかる。でも加藤。こいつがどうしているのか? そもそも『この患者は自分の担当だ』と言い張る理由がわからん。
最初からこの患者のことを知ってるような口調が気になる。
「おい、加藤」
「ん? どうしたのサーヤせんせ」
「お前、この患者の担当だって言ってたな」
「ああ、言ったけど?」
「ちゃんと説明しろや。ボクが解剖ノコの準備をしてる間に」
「って、もう準備してるじゃないか。それも楽しそうにさ」
「あたりまえだ」
病理医にとって解剖は一大イベント。祭だ。楽しいのに決まってる。
「……まったく、わかったよ。この患者は最初、警察に連絡してきたんだ」
「ケーサツ? どうして?」
「『何かが彼氏の体を貫いたら、彼氏が倒れた』って、女が交番に飛び込んできたのさ」
「女? ああ、あの気の強そうな姉ちゃんか」
「沙也加くんも気が強いがな……」
ボソッとハゲがなんか言った。
「なにか言いましたか? 大村先生」
キッとハゲを睨みつける。気が強いわけじゃないぞ、ボクは。
「……いや何も。経緯は大事だ。話を続けてくれ」
「いやー。交番から連絡を受けた時、銃にでも打たれたか、とたかをくくってたんだが」
「まあ、普通はそう思うわな」
「ところが俺が見たかぎり、傷口はなく出血すらしてなかった」
「おかしいな。外傷なんだろ?」
「本人と彼女が言うにはな」
「ん? 本人の意識はあったのか? ここに担ぎこまれたときはなかったが」
「していた。少なくとも救急搬送されるまでは」
搬送中に悪化したのか。よくあることだ。
「救急搬送されたんだったら、ちゃんと言えよ、バカ加藤」
「俺の話、聞こうともしなかったくせに!」
「うっ、しょうがないだろ。業務中だったし」
ほんとは加藤がうざかっただけだ。しつこいからな、この男は。
「加藤くん、最初に沙也加くんのところへ行ったんだね」
「そうですよ、大村先生。だのにサーヤせんせが冷たくって」
ハゲを味方につけやがって。
「ほら、準備できたぞ。それではこれから解剖をはじめる」
風向きが悪くなってきたんで、ボクは病理医・法医学医らしく宣言した。
※ ※ ※
ボクは病理医であると同時に、法医学医でもある。もっとも法医学医になったのは、うちの病院に加藤が出入りするようになってからだが。
「おい、加藤。全身概観を記録しとけ。どうせヒマだろ?」
「ひでえ……。サーヤせんせの助手じゃないつーの」
ぶつぶつ文句を言いながらも遺体を計測し、用紙に記入をしていく。その間、ボクは全身の傷み具合をみる。故人や彼女がいうように外傷がない。ボクがつけた手術の痕だけが生々しいぜ。
それにしてもなぜ『何かが体を貫いた』なんて言ったのか。それとも二人とも夢でも見ていたのか。あとで姉ちゃんからじっくり話を聞く必要があるな。
手順どおり外観をチェックし終えると、ボクは肝心の手術痕に手をつけることにした。
「ん?」
「どうした、沙也加くん」
「ちょっと変だなって思いまして」
こっちが考えとるのに声かけるなや、このハゲ。
妙だと思ったのは手術痕のあたりが硬い。それも尋常でないほど。まるで金属の塊に触れた感じだ。どうもおかしい。組織がこんなに硬くなるわけがない。
この硬さは表面的なものじゃない。皮膚には異常がないからだ。これは中のほうからだ。
「硬そうだね、サーヤせんせ」 と、加藤が無神経にも触れようとする。
「おい、触るなよ。バカ加藤」
「へいへい」
ちっ。わかってるくせにちょっかい出しやがって。
「これから切るから待てよ。大村先生、解剖ノコとってくれません?」
「解剖ノコ? 腹部を輪切りにするつもりか?」
ハゲがぎょとした表情でノコを渡す。
そのまさかだ。前回メスごときでは、直接触れなかったしな。
「わわ、やめろ。沙也加くん。ご遺族の許可はもらってないんだぞ」
「同意書はいただいてますよ。無問題」
慌てるハゲを尻目にノコの刃を患者の腹部にあてると、血しぶきがあがる。例のブツがあるならちゃんとは切れない。吸い寄せられそうになるからな。
「わっ! 曲がる曲がる」
ボクらしくもなく、ノコの刃があらぬ方向へといってしまう。
「どうした? 沙也加くん。君らしくもない」
「どうしたもこうしたも勝手に曲がるんですよ」
「勝手にだって? そんなことはないだろう。腕が落ちたんじゃないか」
む。ロールケーキのように均等に輪切りにする自信あるぞ。
「では大村先生どうぞ」
イラッとしたのでノコをハゲに渡す。
「どれ。……ぬ。な、なんだ。このあたりに引っぱられるぞ」
そら、見たことか。
「貸してください。ボクがやりますから」
「切れるのか? そんな細腕で」
ちっ。力じゃないんだぞ。ハゲから奪いとった解剖ノコを再び、手術した周辺に刃をあてる。引きつけられるなら、その分を見越して切ればいい。
「サーヤせんせ、目つきがヤバい……」
ほっとけや。
ノコの刃が骨に当たってがりがりと嫌な音がする。解剖室の床が汚れようが、白衣が血に染まろうがおかまいなし。やってやる!
※ ※ ※
「はあはあはあ……」
さすがにノコで患者の腹部を四分割にするとしんどい。
ハゲも加藤も顔が青ざめているが、気にしていたら解剖なんぞできない。それにこいつは特殊だ。
「……サーヤせんせ? 大丈夫?」
「ああ、ちょっと疲れたけど」
「……む、無理はしないように、ね。沙也加くん」
もう返事をするのもめんどい。とっとと死因を突き止めたい。黙ってボクは輪切りにした組織を、さらに分割する。もちろん観察するためだ。そこには驚くべきものがあった。
なめらかな漆黒の物体。
それは体組織でも銃弾でもない。完全な球体をしていた。
これまで『ブツ』って勝手にボクの中で名前をつけていたが、まさしく『モノ』だ。
そんな『ブツ』がいくつも体組織にあったのだ。
「大村先生、ボクはこれが原因だと思います。手術中にみたものとそっくりですし」
「これ? これは……銃弾じゃないな。なんだこれは」
「おい、加藤。これ、なんだと思う? 突っ立てないでなんか言えよ」
胃壁にこびりついたブツを組織ごとトレイに載せ、加藤の目の前につきだしてやる。
「わ、な、なにするんだよ。サーヤちん」
「うるさい。ちんちん、言うな。それよりこれ、オペのときにもあったんだ。見てみろ! 周りの組織を巻き込んでやがるから」
そう。こいつは人の内蔵を食らうか、吸収しているかのようだ。
「う〜ん。なんだろうね、これ……。そういえばこの患者の病理の結果は?」
「バカじゃないのか。急にこんな事態になったから、まだ何もみてないぞ」
そっかそっかと一人納得している加藤を置いておいて、ハゲに意見を求めてみる。
「先生はどう思いますか? この黒いの」
「さあ、なんとも言えないなあ〜。胆石もどきかと思ったけど、そうでもないしね。それになんだろう。妙な力が周りに働く……。機械のようにも見えなくもないな」
「じゃあ、大村先生はこれが人工物だと」
「可能性はあるだろう?」
これが人工物だとすると、このブツを患者に埋め込んだ犯人がいるはずだ。と、なるとそこは加藤の番だな。ケーサツ案件だ。
「おい、加藤。さっきからそれ見てるけど、なにかわかったのか?」
「いいや、わからん。人工物だったらいいかもしれない程度」
「ちっ。そんなんで科学捜査できるんかよ! ハッキリしろ、ハッキリ!」
「まあ、サーヤせんせの病理報告書を待つよ」
「……まったく」
ほんといい加減なヤツだ。こんなヤツが科学捜査員なんだから、ケーサツもお先真っ暗だな。
「ところでお二人さん……。このご遺体、このままはマズイだろう? どうにかしないと」
ハゲの指摘にふと現実に戻される。
「ん? あ〜。完全にバラバラにしちゃったな。あははは」
いくら死因追求のための解剖とはいえ、ご遺族がいる。ご遺族にバラバラ遺体のまま返却するわけにもいかない。うまい具合にきれいな体に戻さないと……。
「沙也加くん、『あはは』じゃないだろ。元に戻すんだ」
「ぐぬぬっ……」
切るのはたやすい。しかしそれを元に戻すのは至難の業だ。
ボクは冷や汗と涙を流しながら、それから七時間かけて縫合し、できるかぎりご遺体を元のかたちに戻した。