「ネットで知り合った人に会うのはやめた方がいいぜ」
テーマ:恋、滝
ガサ、ガサ。
一歩踏み出すたびにぼうぼうと生えまくっているひざ丈くらいの雑草を折り、枯れ葉や枯れ枝を踏みつぶしながら背の高い木々の下を進む。
「本当に場所ここであってんのか……?」
日本にまだこんな場所があったのかと感心するほどの大樹海、もう踏み込んでから1時間くらいは経った気がする。あたりには人の気配も痕跡も全くなく、虫の騒ぐ声がすごく不気味だ。国道とは名ばかりのあぜ道に置いてきた自転車のことが気がかりだが、とりあえず今は指示通りに進むしかない。
「自殺の名所かよ、ってな」
呟いて、すぐに後悔した。本当に死体を見つけちゃったらどうするんだよ、縁起でもない。
手に持ったスマホに目を落とす。スマホの電波はかろうじて一本立っており、指示された位置情報の赤い旗が道なき道の先に突き立っている。
「うーん、そろそろ着きそうだけどな……確か、大きな滝があるらしいけどどこだよ」
ゴール近くには大きな滝があり、本人曰くすぐにわかる場所だということだ。いやいや、こんな未開の森の中に滝ひとつのヒントで場所が分かるような土地勘あるやつなんか居るわけねえだろ。
だがこれも金のため。日ごろチャリを漕いでいたおかげで多少はあるスタミナを削って歩きつつ、耳をすませてみる。大きな滝があるということだから、おそらくそれなりに水の音がするはずだ。
「……ん?」
最初は勘違いかと思った。滝の音を探すことに夢中になって聞こえもしない音を聞き取ったのかと。
「~~~♪」
いや、勘違いじゃない。誰かが歌っている。こんな森の奥で、かなりの音量だ。
「~~~走り出す~~~れる~~~」
思ったよりもノリノリな歌声のバックにざばぁあああ、という音も聞こえてきた。滝の音だ、たぶん。歌と同じ方向から聞こえるようだけど、もしかしてこれって……。
「ふふふ~ん、ふふふんふんんふ~。すれ違う~」
確信した。木々の隙間からデカい滝が見えてきた。ようやくゴールだ!嬉しさから、思わず早歩きになる。走っちゃダメだと言われているが、これだけ歩いたんだから少しくらいはいいだろう。
草をかき分け、枝を避け、腐葉土を蹴散らして……。
俺はようやくその場所へたどり着いた。
大きな池があった。ちょっとした大型貯水槽くらいの広さ。水は意外にも澄んでいて、岸には小さな水草が絨毯のように浮かんでいる。その池に大質量の水を叩きつけている大きな滝がある。水しぶきは霧となり、あたりを幻想的に覆い隠していた。
そしてその滝つぼ付近、ひときわ大きな岩の上に人影がある。霧に隠れて輪郭しかわからないが、しかし、その影は『人』と呼ぶにはあまりにも異形だった。上半身は人間、だが足が無い。下半身を巨大魚に食われている、いや、下半身が巨大魚そのものだ。
大声で歌う、滝つぼの主。そして今回の仕事の依頼者。
「く~れない~~~!に染ぉ~まったぁぁぁぁぁ!!こ~のお~れ~を~~~!!!」
その正体は、信じられないことに、人魚だったのだ。
「えらくカラオケっぽい選曲だなオイ」
山奥で『紅』(XJA〇AN)を熱唱する滝つぼの人魚が依頼者という情報量の多さから思わず突っ込んでしまった。とたんに歌声がぴたりと止み、影は水しぶきを上げて池に飛び込んだ。
そして次の瞬間、水草をかき分けて、目の前に彼女は出現した。
「……歌、聞こえちゃった?」
「そりゃあんだけ熱唱してたら聞こえますよ。なんなら滝の音より大きいんですもん」
「ちょっと恥ずかしいな……ちなみに何点くらいだった?」
「ん~85点くらいですかね。って、俺に採点させないでくださいよ。やっぱカラオケ気分だったんすね……」
「お、自己ベストだ」
「前回は誰に採点してもらったんですか……というか、もう少し人魚らしい歌とかないんですか。なんでゴリゴリの邦ロックなんですか」
「あなたカラオケでバラードとか暗い歌しか入れない人のことどう思う?」
「そりゃもう少し盛り上がる歌を歌えって思いますけども」
「そういうことよ」
「いやだからなんでカラオケ気分なんですかこんな山奥で、一人で」
初っ端からボケ倒してくる人魚。というか本当に人魚だこの人。うわ、凄いことのはずなのに俗っぽさの極まった言動を見せられて思ったより動揺できない自分がいる。
「ところであなた、こんな山奥に何か用かしら。スーツ着て暗い顔した人間ならよくあっちの方に行くけど」
「やっぱり自殺スポットじゃねえかよ……そうじゃなくて、俺はUperEatsの者です。配達に来ました」
「あ、やっと来た!もー、対象地域だって言うから注文したのに、もう少し早く来れなかったの?」
「誰もこんな山奥から注文なんてしないからだよ!まったく、たどり着いただけ凄いんですよ、我ながら。はい、これご注文のダブルチーズバーガーセットです」
「どれどれ……うーん、ポテトが完全に湿っちゃってるわね。割引きとかかない?」
「こんな湿った場所に呼び出しておいてそれは理不尽すぎませんかね?」
「冗談よ。こんな場所だと食べるものにも飽きるのよねー」
「何食べてるんすか普段。魚とかっすか」
「コオロギとかカブトムシ」
「聞かなきゃよかった……」
「森グルメ的にはオオクワガタが一番おいしいわ」
「その情報も要りませんって」
クソ、ムシキングの切り札としてのオオクワガタの思い出がクレイジー人魚の食料として上書きされちまったよ。
「……支払いよろしくお願いします。というかお金持ってるんすか?」
「ペイペイで払えるかしら?」
「すげえ近代的ですね……」
バーコードを読み取りつつ見てみると、人魚のスマホはiPhoneXだ。最新でもないところが逆にリアルだが、どうやって契約したんだ。というかここロクに電波通ってないだろ、どうなってんだ。
「その、失礼ですけど聞いていいですか」
「なにかしら、配達員さん」
「人魚って言ったら普通、海で悲しげに歌っている金髪でスタイルのいい女の人だっていう伝説だと思うんですよ」
「悪かったわね淡水にすんでて陽気に紅を熱唱する黒髪ストレートの貧乳ブスで」
「いやそんなこと言ってないですけど」
ブス以外はあながち間違ってないが。
「その下半身ってコイですよね」
「何よ、地味って言いたいの?」
「せめてニシキゴイなら……」
「紅に染まれと?」
「別にそこにかけちゃいませんって」
うまいこと言ったぞ、とどや顔の人魚を適当に受け流す。
「そうじゃなくて、どうしてこんな山奥に?いつからここにいるんですか」
「ざっと1000年前ね」
「その割にはえらく近代的だな」
「たまに来る人がいろいろ置いてってくれるのよ」
「へえ、気前がいいんすね……」
「まあね~」
「……」
嫌な予感がする。
このまま「じゃ、これで」って言って無事に帰してくれるんだろうか。
流石に考えすぎかな……でもなんだろうこの胸騒ぎは。こんなふざけた人魚、突拍子もない存在だけど、確か人魚は歌で海に誘った船乗りを食べるんじゃなかったっけ。俺も形だけは一応、『紅』に誘われた人間だ。
「人魚さんって、日ごろどうやって暇をつぶしてるんですか?」
「基本的に歌を歌っているわ。ここに来た人間から教えてもらったり、最近だとYouTubeで曲を知ることができて便利よね」
「他のことは?」
「うーん、まああなたを呼んだみたいに日ごろと違うものが食べたくなったら人間を呼んだり、たまに森に入ってきた人間を捕……お喋り相手にしたりしてるわ」
「何か言いかけませんでした?」
「何も?」
「ちなみに人間っておいしいですか」
「結構イケ……食べたことないわ、失礼ね」
コイは雑食性らしい。なるほどな、いよいよヤベエ。どうにかして気を逸らさないと……。
あっ、そうだ。
「人魚さんってゲームやります?」
「それがよくわかんないのよね。きっと面白いとは思うんだけど」
「実はいまUperEatsではゲームのクーポン配ってるんですよ。カードゲームなんですけど。せっかくですしちょっと遊んでみませんか、スマホで無料でできる本格的なやつです」
「えー、面倒じゃない?」
「まあまあ、湿ったポテトのお詫び代わりに僕が教えますから。1時間くらいしたらすぐ慣れますよ。それにクーポンがあるから課金しなくても強くなれますよ」
「そういうなら少しだけ付き合ってあげるわ」
「わかりました。まずはYouTubeとか攻略サイトを見ながら強いデッキをひとつ作るんです……最初は速攻デッキから組んで……」
一時間後。
「ハイまた後攻~~~しかも相手はまたゴミカスネクロじゃないのよ!こんなん即サレよ即サレ。クソゲーすぎよ」
「いやいや待ってください。この手札なら相手の進化に合わせてボード取れば全然いけますって」
「そ、そんなこと最初から気づいてたもんね。というかさっきから指示ばっかりしないでよ!しばらく黙ってて!!」
「す、すみません……」
人魚はさながらコイのような適応能力を発揮し、一気にゲームにのめり込んだ。もうこちらの存在を気にも留めていないようだ。いまのうちだ。俺はなるべく音をたてないようにその場を離れた。
ありがとうシャ〇ウ〇―ス。あなたのおかげで生きて帰れそうです。
と、いうのが半年くらい前の話だ。
なぜ今さらこんな話をするかというと、とある噂を耳にしたからだ。
最近活躍している、歌のうまい和風人魚という設定のユーチューバーがいるだろ。彼女がたまにやるシャ〇バで視聴者と対戦する生放送で、対戦した視聴者に時々リベンジオフ会の招待状が届くそうだ。しかし未だにひとりもその感想をネットに上げている者はいないらしい。
あとこれは関係ないとは思うが、あの山のふもとでは最近若者の失踪事件が多発しているとか……。
なんだその目は。俺のせいじゃないからな、決して。
まあ、あれだ。俺から言えることは、ネットで知り合った人に会うってのはやめた方がいいってことだ。
文字通り、『喰われちまう』かもしれないぜ。