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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

変人扱いされたオレの1週間

作者: 青井蒼夜

確かその情報が出始めたのは今月の最初の日曜日だった気がする。


元々仕事と言っても家の中でパソコンに向かって文章や商品にネーミングをつけるような仕事しかやってない半引きこもりなオレだったから、その日の昼の帯のニュースもいつもどおりボーッと見てた。


「南鳥島近海に強い勢力の台風19号が発生しました。台風は急速に発達しながら日本方面へ向かってくる可能性があります。今後の展開に注意しましょう。」とアイドル風の女の子が喋っている。

某クイズ番組では「おバカアイドル」扱いを受けていたのに本当はそこそこ頭良いのか?と思いつつ、

オレは過去の大災害(の映像)を思い出していた。


「東日本大震災」

被害者の大凡9割以上が未曾有の大津波によって命を失ったあの大災害。

オレは震度3程度の揺れが来たかな?とかいう程度の関西に住んでいるので実際の被害はなかった。


当日から大地震に大騒ぎになる東京のスタジオの映像から始まり、震源地の宮城県が映る頃には津波の第一波が港を乗り越えていく映像だった。そのあとも東京の火災や東北の街を飲み込んでいく津波を見て

「東京の人間は震源地の津波より都心の火事とかばっかり映すのねー。」とか思ってたな。


大津波の実際の被災の状況を知ることになったのは翌日の動画サイトだった。


ハザードマップにここは避難場所と書いていた建物が黒い津波になって飲み込まれていく。

3階建てぐらいの工場が立ち並ぶ入江の港町が大量の水に覆いかぶされて元々何もなかったのような山間の湖の様に変わっていく。

そして「またいつもの津波だろう、防波堤を乗り越えてもそこで止まるだろう」と安心しきっていた港の人々を、大量の水が、車の悲鳴の様なクラクションの音と、壊れた家だったものと、全てを飲み込んで行っていた。


まぁあの時の映像は動画サイトにまだまだ残っているから悲惨な話はここまでにして、オレが注目したのはその動画の中のひとつに「自宅の裏山に10年掛けて自作の津波避難施設を作った変人が70人の被災者を救った」という動画だった。今はその話が絵本にもなっているらしいが。


流石に1週間ぐらいで台風が来るのに山に基地なんか作ってられないが、オレの家の周りは山の麓だが山崩れの恐れはほとんどないし、まだ土地開発がそれほど進んでなく近くに山から流れてる山の中腹に小さいダムがいくつかあるだけの川があるが「何もしないよりちょっと工夫したら床上浸水ぐらいは防げるんじゃないか?」という突発的な発想で思いついたと同時にホームセンターに向かっていた。


土嚢用の袋200袋ぐらいと土木作業用のスコップと軍手とか素人に思いつくぐらいのチャチなもんだが道具を買ってきた。近くのホームセンターで屋根が剥がれた時用のかブルーシートを買ってる人とかはいたが、オレみたいに土嚢袋なんて大量に買ってる客がいなかったからか店員には変な目で見られたがそんなん別に気にしてたらやってられんし適当に済ませた。


オレの家は昔からあるお寺の御師さんの住居用だった土地が売りに出された時に親が買ったもので御師さんは今は寺の敷地内に家を建てて暮らしている。家に帰って荷物を車から下ろしていたらその御師さんが「ボン、また今日は何やっとるんじゃ?」とか聞いてきたから

バカ正直に「来週にバカでかい台風来るらしいからせめて川の水溢れた時用にジッちゃんとこの周りだけ土嚢積んでええか?」って言うたらなんか涙流して喜んでくれた。


オレの両親は大分前に亡くなっているし、ジッちゃんの息子たちも寺を継がないで都会で暮らしてる。ジッちゃんの寺はジッちゃんが亡くなったら他人の手に渡るそうだ。

でも御師さん…ああ、もうジッちゃんでいいか。ジッちゃんは子供の頃から病気がちだったオレの面倒をよく見てくれた。両親はオレの病気のために共働きで昼間いなかったし寺のイベントとかでも普通に参加させてもらってた。ある意味両親と同じくらい身内だと思ってる。


「オレもほとんど引きこもりやからジッちゃんちの周りだけやで。他所とかそんなん無理やからな。」ってちょっと恥ずかしくなりながら言うてやった。ジッちゃんも長いこと息子さんらに出て行かれてからは一人(通いのお弟子さんはいてはるが)やからなぁ。


で、まぁボチボチ敷地の周り言うてもオレの家と小さい本堂だけの寺とジッちゃんの家囲うだけやから比較的楽に出来ると思ってた。…土嚢って詰めたらマジ重いのな。10kgの米袋とか比べもんにならん。仕方ないから猫車も買ってきてそれでジッちゃんとこのもう使ってない畑の土運んでは土嚢積んでた。


周りの人からは変な目で見られてたな、「こんなところまで川の水来るわけないやん」ってバカにされたりな。でも別に好きでやってることやし気にせんかった。別に仕事はないからいつやっていつ休んでも良かったし。


んで思ってたよりかかったけど前日の昼頃には川の側と山の側に鍵カッコみたいな1mの土嚢壁を積み上げた。坂の中ほどやから最悪水流れてきても下に流れる様にだけした感じで精一杯やった。


で、台風の日。いつもよりは疲れた身体でボチボチデスクワークしてたら案の定大雨が降ってきてた。土砂災害警戒と河川氾濫注意は出てたけど結論言うと少し溢れただけでホンマに川の近くの数軒が床下浸水しただけやった。

「一応まだ台風シーズンやから土嚢そのままでええ」ってジッちゃんが言うてくれたから積んだままやが、冬になる前にどかさんとなぁ。


でもこんなこと言えるんは大丈夫やったからやねんやろうけどな。今現在でもエラい目におうてる人とかニュースで映ってたりするし。でもなんで被災した人らはハザードマップとか確認したり家の周りに工夫したりせえへんかったんやろな?


ウチは大丈夫と思って何もせえへんかったのに、被害に遭ったら「なんでウチが…」とか言うんやろうな。福島や宮城も水に弱い地域ってわかってたはずやのになんで8年もあったのに逃げへんかったんやろね。被害にあってから文句言うてもどうしようもないねんから。

日本のどこに住んでいても地震の可能性はありますし、島国ですから津波や洪水も普通にあり得ることを頭の片隅にでも覚えて常に思い出せる様にしておけば防げることは色々あります。

特に台風は来ることが分かっていた・超巨大台風だと言われていた・避難準備をしておくようにと言われていたのに、なぜ自分は大丈夫だという思い込みから多くの人が亡くなったのか。


そういうことを考えつつ書いてみました。

せめて1年に2回(夏季、冬季)ハザードマップや避難経路を調べるだけでもやってみたり

1年に1回は避難道具や避難飲食料の確認をお忘れなく。マジで日本は災害大国なんですから。

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― 新着の感想 ―
[一言]  お疲れ様でした。 せっかく備えていたのにムダになったと思われたかも知れませんが ムダでは無かったと思います。 半引きこもりと自覚されてたようですがそれだけのことが 出来る体力があることが証…
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