第一幕 「エントランス フォーユー」
家の中からもわかっていたことだが、その日は快晴だった。目線を上げると、頭上に、太陽が輝いていることがよく分かる。
よく晴れた12月2日と言える。
天気予報で晴れマークがついている12月2日とも言える。
太陽が燦々な12月2日とも言える。
サンサン劇場な12月2日とも言える。
「おひさまのひかりがあったかいねーおばあちゃーん」の12月2日とも言える。
この世界が太陽の光で満たされている12月2日とも言える……ないな。地球の裏側ではきっと違う天気だし、なんなら隣の街は曇っているかもしれない。いやあ世界は今日も平和で結構。いやー愉快愉快……
僕だってこんなしょうもないこと考えたくない。12月2日だってどうでもいい。連呼するとタイムリープでもしてしまいそうだが、それはアニメや漫画の世界の話だ。
ここは現実。
こんなにも外を歩くということが辛いとは思わなかった。
何十日も家に籠もっていたのは事実だが……風邪を引き、連休を挟んで登校する月曜日よりもしんどい。前から歩いてくる人が怖い。前を向き平気そうな顔をしてはいるが、内心は吐き気を抑えるので精一杯だった。おひさまのひかりがあったかいねーおばあ……危ない危ない。もう一周しそうになった。
頭を叩き、歩みを進める。
加えて予想外だったことが、人通りの多さである。
あのチラシから漂う怪しさから、人気のない寂しい場所を想像していた。
だが、面接会場となっているビルを地図を確認すると、そこは全国でも有名な商店街の一角だった。部屋にこもる前の僕や妹は、よくここを利用していた。
長い一本の通りを囲むのは、肉屋、魚屋、という昔ながらの店。また、全国チェーンのスーパーや、雑貨屋など様々である。平日のこの時間でもすれ違う人は多かった。
今も後ろには二人のママさんらしき人が話ながら歩いている。頼むからどこか行ってくれ、と願っていた。妹以外の人が近くにいる、ということに、汗ばんだ。
「ねえ、あの人どうしたのかな」
「なんか様子おかしいわね……」
「ね、ちょっと警察呼んだほうがいいのかな」
「そうしよそうしよ」
僕が歩いている後方からそんな声が聞こえた。もしや、また、声に出していたのだろうか……?
途端に、昨日の妹とのやり取りが脳裏に浮かんだ。
独り言を連発する僕を軽蔑する目で見ていた妹の視線は一撃必殺だった。家族に人扱いされないのは辛いよな……いつからか名前も取り上げられ「この人」や「ねえ」になってしまう。
恐る恐る後ろを振り返る。二人の片方が既に携帯を持って耳につけている。
んん?これ交番に連れて行かれて怒られて萎えてしょんぼり家帰って「やっぱりおうちさいこー!」で終わりじゃないか??
「あっ、もしもし。警察ですか?……すいません、変なひとがいてですね」
「あの……!」
決死の覚悟で声を出した。しかし、ママさんたちは僕の方を見ていない。声を出した僕は一瞬横目で見られたが、彼女たちの目は左方向へ向けていた。
「俺はぜーっっったい主人公だああああああああああああ」
そこにいたのは紛れもなく主人公……ではなく、悪役だった。叫ばれた野太い声は商店街のアーケードを駆け巡った。
「あっ、聞こえました?おまわりさん、今の声の人です!」
ママさんは急いだ様子で報告している。その間、自称ヒーローはこの街の偉人かなにかの石像に登りだした。確か、この地を開拓した人?だった、と記憶している。教科書には和製コロンブスと書いてあった。
石像に登った彼はさらに叫んだ。
「悪を討ち滅ぼすヒーローだあああああああああああああ」
どうやら、この場で、自分が悪になっているとは気づいていないらしい。
とてもみすぼらしい格好をしていた。茶色く汚れたコートにジーンズらしきもの、頭にはタオルを巻いている。顔には泥らしきものがこびりついていており、明らかに浮浪者のそれであった。子供が見て、あの人をヒーローだと思わなければいいのだが……
「あっ、おまわりさんこっちこっち!」
近くに交番があったのか、自転車に乗った二名の警察官はすぐにやってきた。ママさんから説明を受けると、走って彼のもとに駆け寄っていく。
「お前らに何が分かるんだあああああああああああああ」
警察が揺さぶるも、石像にしがみつき、そこから離れる様子はない。揺さぶると、しがみつかれている石像の顔がグラグラ揺れた。偉人の石像が壊れてしまってはまずいのだろう、警察も、本気で引っ張っることができそうにない。
「……」
彼は突然静かになった。降参する気になったのか、
「……あっ!」
突然、僕らの後方に視線を向け指を指した。思わず、警察官や野次馬たちは首を曲げ、そちらを見る。果てして、そこには何もなかった。「なんだ、なにもないじゃないか」、そう言った警察は、眉を寄せ石像へと振り向く。
「あっ」
そこにいた誰もが声に出した。ぽかん、と間抜けに口を開けた。
彼はいなかった。
石像は何もなかったかのように難しそうな顔をして佇んでいた。キョロキョロと首を動かすと、先程通った商店街の入口に彼の姿があった。すたこらと出ていく。顔を真赤にした警察官は自転車に乗ってきたことも忘れ、追いかけていった。
卑怯な手を使って逃げる、それは悪役の手段だ。正々堂々と戦うヒーローの類ではない。僕が思っていた主人公像とは重ならない。なぜ、彼は自分のことを主人公などと言えたのだろうか。自信満々に誇れたのだろうか。声に出して叫ぶことができたのだろうか。
僕にそんな勇気はない。
最後、彼がこちらを見た気がした。少しだけ見えた彼の顔には、笑みがあった。ニヤリと歯を見せた顔が頭の中に貼り付いた。それよりも、歯に貼り付いていた青のりをどうにかしてほしかった。
僕の心臓はまたしても、ドクン、ドクンと音を立てていた。
「うわ、ほんとにあったよ……」
手元の端末をみると、現在地と目的地のマーカーがきれいに重なっている。ここで間違いないらしい。
この商店街には何度も来ていたが、こんなビルあったのだろうか。何の変哲もない一般的な雑居ビルだった。古くも新しくもなさそうな鼠色の外観だ。下から数えてみると、三階建の建物であることがわかった。
一階にマッサージ屋、二階が大衆居酒屋になっている。ビルの入口には“バイト募集!学生歓迎!”と書いてあるビラが貼られている。
ビクッと体が震えた。
自分の持ってきたチラシと照らし合わせる。しかし、貼られていたのは二階の居酒屋のものだった。大きく息を吐くと、額から汗が落ちてきた。これから、悪事でも働くような気分だ。
そして、お目当ての場所は最上階にあった。
【株式会社 JOINT】
ビル案内板に書かれている文字は新品同様のように輝いていた。
「かぶしきがいしゃ、じょ、じょいんと?」
一応は株式会社なんだな。なら安心か。いや、まあ、株式か有限しか知らないんだけど……そもそもそれら自体の仕組みもよく理解していない。とにかく、立派な会社であることに違いない。そう信じていないとやってられない。仕事は楽しい仕事は楽しい!
エントランスに入ると、そこにはエレベーター1つだけがぽつん、と鎮座していた。外からは扉でわからなかったが、このエントランス、非常に狭い。階段だけあるならまだしも、エレベーターだけなんて聞いたことないぞ。
目的は三階なので、エレベーターがあることに越したことはないが……
エレベーターの前に立ち⬆ボタンを押す。チーンという合図がなった。使う人も少ないのだろうな。使われず、ずっと一階で誰かを待っているエレベーターが切なく思えた。
扉はすぐに開いた。中へ入る。想像はしていたがここも狭い。
「えーっと、3階、3階……3階、3階……」
ボタンがない。
1階と2階のボタンはあるが、どこを見ても、3階のボタンだけがなかった。しかし、ボタンがないならどうやって三階に行けばいいのだ。
悩んだ挙げ句、ひとまずは二階まで行ってみることにした。
「乗ります!乗りまーす!」
ドアが閉まる直前、甲高い声が聞こえてきた。
閉まるギリギリのところで"開"のボタンを強く押す。
無事開いた箱の中に入ってきたのはベージュ色の髪、青色の眼をした女性だった。ハアハアと息をついている。
「ごめんなさいねー。急いでません?」
「いいいいいえ!まっまっ全く問題ないでありますございます!」
「ふふっ。ならよかったです」
女性は口に手を当てて微笑む。その様子は上品な貴婦人に見えた。耳にかかる髪をかきあげると、形のいい耳が覗いた。左耳には複数のピアスが光っている。
昔から年上の人が苦手だった。さらに、最近では妹としか会話していなかったため、敬語の使い方が分からない。
とにかく、ここは出来るやつを演じなくては……
「あっ、えーと、何階ですか?」
「3……じゃなかった、2階押してもらえますか?」
「かしこまりました」
「お願いしますね」
扉を閉じたエレベーターは2階へ向かっていく。
もう、敬語とは?状態である。なんだ「かしこまりました」って。尊敬語だか丁寧語だか何を使えばいいのだろう。いっそのこと謙譲語で申し上げつかまつろうかな......
チーン。古風な鈴の音が鳴った。ドアが開くと、1つの灯りもついていない居酒屋があった。当然だが、こんな昼間から空いている居酒屋はない。看板には、"PM18:00〜"と書いてある。この女性はお店の人だろうか。しかし、なかなか出ていかない。彼女も、僕をチラチラと不審げに見ている。
そこで、1つの可能性に行き着いた。
僕と女性の行き先が同じ、ということである。
「あのー、もしかして3階いきます?」
女性は、たちまち目を見開いた。 狭いエレベーターのなか、後ろに一歩下がる。
「……そうですけど、誰ですかあなた」
先ほどまでの微笑みが一転、表情が警戒心で溢れている。
「いや、面接に来たんですけど、なんか3階行きのボタンがなくて。壊れてるんですか?」
「……そうですか。あなたが……」
女性は、僕の全身を舐め回すように目を動かした。納得したのか、目に灯っていた警戒心が消えている。
「では、いきましょうか」
「でも、ボタンないじゃないですか」
「そこそこ、ほら足元」
「ん?」
よく見ると、1,2と書かれたボタンの遥か下、つま先の位置に、なにか、茶色い紙のようなものが貼られている。しゃがんで確認すると、それは短く千切られたガムテープであった。やたら雑な人がやったのか、テープは斜めに切られて、台形の形をしている。
テープには③と書かれていた……字も汚い。なんかヨレヨレしている。この2つをやった人物が同一であることがよくわかった。
「この汚いやつですか?子供の落書きでしょ」
「汚い……?落書き……?」
女性は下を向き、ブツブツと何かをつぶやき始めた。
最初の二言以降、訳の分からない呪文のようなものを唱えている。身の危険を感じ、急いで言い換える。
「いやっ、違くて、この独創的な創作物、かなあ?素晴らしい作品ですね」
目線をずらしてみると、女性は以前の微笑みを取り戻していた。
「でしょー?あなた分かる人ね。じゃあそれ押して?」
女性は僕の足元のテープを指差す。
「これを、おす?」
「そうそう。それ、押して?」
押す?これ押せるのか?
恐る恐る、テープを指の先で押してみる。すると、同じタイミングでドアが閉まった。進行方向は僕らの上だ。……どうやら成功したらしい。女性の方へ向き直ると、小さくサムズアップしていた。
チーン。何度目かわからない鐘が鳴った。 エレベーターの小さな箱の扉が開く。
目の前に、一人の男が立っていた。
「ようこそ、我が社『JOINT』へ。お待ちしていましたよ。糸麦 優さん」