第一幕 「ハッピーバースデートゥーミーⅡ」
部屋の中には空虚なゲームミュージックが流れている。音源は手元にあるゲーム機だ。敵を倒しながらゴールを目指すこのゲームは、ただただ左から右へと進んでいく。今では珍しくなったそのシステムが好きだった。
昔ながらの絵の世界では、かくかくした主人公が歩みを進めていた。いろんなキャラクターがあるなかで、僕が選ぶのはメインキャラクターばかりだ。みんな、派手な衣装を身にまといこのゲーム世界の舞台に立っている。とてつもなくカッコいい武器や必殺技を持っている。キャラクター選択画面では「俺を選ぶんだろ」とでも言っていそうな自身ありげな表情をしていた。僕は自然とそいつを選んでいた。
『ユウくんまたそれ使うの?』
『うん』
『うわー』
『なんだよ』
『主人公とかもうダサくね?なんか。子供が選ぶやつだろ』
高校で唯一できた友達がそんな事を言っていた。
次の日から口をきかなかった。
彼らは僕の憧れだ。他の人が何を言おうと、物語の中心となる彼ら、主人公たちが大好きだった。だいぶひねくれてしまった今もその気持ちは変わらない。
「ギャーギエー」
チープな声で敵が消えていった。ちょうど敵の流れが途絶えた。とりあえずセーブする。一息ついて、首を回した。立ち上がって窓の外を見る。いつの間にか、この世界はすっかり暗闇に包まれていた。ごめんなさい、ただ夜になっただけですね。自分のできる最低限のことである掃除洗濯は終わっている。なぜだか、料理はやらせてもらえないでいた。
遠くに見える黒い山に沈むオレンジの夕日、水色の空がきれいなグラデーションを作っている、そんな心地いい時間は終わっていた。知らぬ間に時間は過ぎてしまう。
これまでは学校が終わったら真っ先にバイト先に走った。美しいグラデーションに笑いながら走った。「ねー、あの人みてよ」と言われても気にしなかった。真顔になり目を腕で隠しただけである。
もうそんな時間はやってこないだろう。
今ではもうバイトはやめてしまった。ある日の学校からの帰り道、バイト先に向かうはずの僕の足は自宅へと急いでいた。それは1ヶ月ほど前のことだ。どこかの新興宗教団体教祖が言うには45日前のことだろうか。それ以来、こうして堕落を貪っている。
足元に落ちているA4のチラシを手に取る。何度も読み返したそれを僕は捨てられずにいた。
「株式会社『JOINT』
正社員募集中!
アットホームな職場です!
週一日~OK!
学生さん募集中!高校生歓迎!
その場で現金手渡し!
日給 50万~!!
誰でもできる簡単なお仕事です。私達が優しく教えます!」
こいつら、なんでも「!」をつければ許されると思っているな。あれをメッセージの最後に付ける人絶対「!」のテンションじゃないからね。代わりに「無」でもつけたほうが当てはまる気がする無。そして何より…何だこの内容。破格の条件は嬉しいが、ここまで来ると疑ってしまう。東南アジアに飛ばされて男ではなくなるのではないか。「腎臓と膵臓ならどっちがいいかな?あっ心臓は高いんだよ。知ってる?」なんて聞かれないだろうか。あと、経験者ならともかく、高校生歓迎も聞いたことがない。高校生で正社員とはいったい…最後の文「私達が~」には集合写真が付き物じゃないのか。みんなニコニコしているあれが。
妙に怪しいな…だめだ、こんなの信じるわけにはいかない。ツッコミキャラなどなりたくはないが、頭の中はツッコミで溢れキャパオーバーだ。
『世界を救いませんか』
そんな言葉とこのチラシを僕の手に握らせた彼女は、消えた。
どこにもいなかった。チラシを見ていた僕が「ちょっと」と、顔を上げると、そこには誰もいなかった。もとから何もなかったように思えた。冬の冷たい風がビュービューと吹いているだけであった。だが、最後に見た彼女はたしかに僕を見ていた。眉を寄せて、悲しげに僕を見る表情は、まだ何か言い足りなそうに見えた。
「あっ」
手元に視線を移すと、主人公のキャラが谷底に落ちていくところだった。画面には「コンティニュー?」の文字が浮かんでいる。その下には「イエス ノー」の選択肢。もちろん「イエス」を選択する。すると、主人公は再びスタート地点へと戻ってきた。あれ?そういえば3機あったはずなのに、気がついたら現在操っている主人公が最後の一機になっていた。先程までのやり取りを思い出している間にいなくなったのだろう。これも彼女の仕業というわけか。なんてやつだ。あんな可愛い顔しといて。
……まあしかし、今回ばかりは自分のせいだ。誰にも見てもらえず消えていった二機を想うと申し訳ない。……そうだ、二機だ。ただの数字でしか表せない二人がゲームの世界に存在したのだ。
《キャラクターがかわいそう》
再び現れたその言葉は僕の頭にどっしりと居座っている。掃除をしても、ゲームをしても、昼飯を食べても、それは消えてくれなかった。むしろ大きくなっている。僕の身体をされているみたいだった。支配されて重くなった僕の手は、パソコンを開こうとしなかった。
「えー、そんなことないって…ダイキもミキのこと気になってるはず…うん…またそれは明日さ…あ、ごめんバイトだった…うん、明後日も…また今度ね…バイバイ」
すぐそこで聴こえる声は聞き慣れた妹の声だ。この部屋は広い代わりに壁は薄い。外で話したら丸聞こえだ。角部屋で隣もいない好条件なため、これくらいはしょうがない。
コツコツとなる音はドアの前で止まった。ゴソゴソと鍵穴に入れる音が聞こえるが、解錠の音はしなかった。慌ててチラシをズボンのポケットに押し込む。
「ちょっと、鍵閉めてないじゃん」
「あっ、おかえり妹」
「最近物騒なんだから、ちゃんと閉めてよね」
「はいはい」
チラシを隠すつもりなどなかった。ネタにしたら、久しぶりに笑い合ってくれる気がしていた。僕は妹をじっと見つめる。冷蔵庫の前でスーパーの袋を置いて、顔を上げた妹はこちらに気づいた。
「なに見てんの」
質問には答えず、顔を見る。「塩顔を10倍に薄めた塩水顔」などとバイトの後輩に笑われた僕とは違い、彼女はモテているらしい。僕とよく似ている薄い顔だったはずなのに。高校に入った今年、彼女が化粧映えすることに気がついた。今はそのパッチリした目の下に隈ができている。
「大変?」
「……別に」
興味なさげに答えると、冷蔵庫に買ってきた食材を入れ始めた。彼女はこちらを見ずに言う。
「夕ご飯どうした?」
「まだ食ってない」
「なら今から作る。チャーハンだけどいいでしょ?ちょい待ってて」
そう言ってエプロンを胸の前に持ってきた。
制服にエプロンという設定は憧れていたが、まさかそれを妹がするとは思わなかった。母ちゃんがいなくなってからもう二年経つ。台所に立つ妹をもう二年間も見ている。はじめは後ろの紐さえ結べず、黒焦げダークマターを創造していたのに、今ではすっかり板についてしまっている。
「よいしょ」
黄金チャーハンがフライパンの中を往復している。母親みたいなやつだな…いや、もう彼女は母親の仕事を請け負っているのか。しっかりしなきゃ、という自覚が彼女を二年間も台所に立たせているのだろう。不思議と、普段考えもしないことが浮かぶ。
「なあ」
「なに」
「お金、欲しくない?」
「……なんで」
「なんとなく思っただけ」
「またバイト戻ればいいじゃん。今でも連絡くれるんでしょ?」
「……まあ、そうだけど」
そう答えると、室内にはフライパンを振るう音が残った。ポケットにてをつっこんでチラシがあることを確認した。
「でもさ、わたしはおにい」
「おにい?」
「ユウ」
お兄ちゃん呼びへの道は近いぞ。ケホン、と咳払いして続ける。
「ユウが」
「んー?」
「……やっぱなんでもない。忘れて」
相変わらず首を下に傾けフライパンを見つめている。後ろ姿をこちらに向けている妹がいったい、どんな顔をしているかは分からない。ただ、僕の、ポケットに突っ込んだ右手は、しっかりとチラシを握っていた。