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ハンカチーフ

作者: 村崎羯諦

 私がいつものように、近所にある通りを散歩していると、目の前を歩いていた男性の後ろポケットから、ひらりと一枚のハンカチが落ちるのが見えた。男は落し物に気が付かない様子で、また周囲には私とその男以外に人がいなかった。

 私は親切心からそのハンカチを拾い、肩を叩いて、落し物を知らせてあげた。しかし、落とし主の男はそれを受け取ると、裏表をじっと観察したのち、大げさに首を横に振った。


「これは、私のハンカチじゃありません。あなたのハンカチでしょう」

「いやいや、たった今、あなたの後ろポケットから落っこちるのをこの目で見たんですよ」

「何をおっしゃいます。自分の目ほど信じられないものがありますか。もう一度、よく見てみなさい」


 私は男に言われた通り、手渡されたハンカチを観察してみる。すると、そのハンカチの唐草模様は確かに見覚えのあるものだった。さらに、ひっくり返して裏を見ると、右下に私の名前が金色の糸で刺繍されていた。これはまさに私が去年の誕生日、仲のいい同僚からプレゼントされた私のハンカチだった。


「いやはや、すみません。あなたの言う通り、これは私のハンカチです。家に置いてきたはずなんですがね。不思議なこともあるもんだ」

「そうでしょう、そうでしょう。これからはあんまり自分の見たものを信じすぎないようにするべきですな。下心をもって近づいて来る連中よりも、日頃本当のことばっかり言って、ほんのたまにしか嘘をつかない、私たちの目の方がよっぽどたちが悪いですから。それはそうと、もしかしたら、この帽子もあなたのものではないですか?」


 男はかぶっていたこげ茶色のベレー帽をつかみ、同じように、私にその帽子を手渡した。私はまさかとは思いながらも、その帽子を子細に観察してみる。それは数年前に妻からプレゼントされたものの、ここ最近は玄関の帽子掛けにかけっぱなしにしているはずの私の帽子だった。


「つかぬことをお伺いしますが、もしかして、あなたは私の家を訪れたことがあるのでは?」


 すると、男は憤然とした態度で言い返した。


「あなたは私を下劣極まりないコソ泥だとおっしゃるのですか? 無礼ですぞ! せっかく、親切心から、あなたにお渡ししていると言うのに!」

「いやいや、決してそのようなつもりでは! なにせ不思議なことがこう立て続けに起こったものですから、変に疑ってしまってしまいました。ご無礼をお許しください」


 私は男に気圧され、おもわず謝ってしまう。それだけ男の怒り方は嘘偽りのない、本心から出たもののように感じられた。そうだとすると、どうして男が私のハンカチと帽子を持っているのか、不思議でしょうがない。

 もしかすると自分の知り合いなのかもしれない。男を上から下まで食い入るように観察してみると、ふと男の右手に違和感を覚えた。


「ちょっと待ってください。あなたの右手を見せていただけませんか?」


 男は躊躇なく、右手を私の目の前でパッと開いて見せた。私は顔をぐっと近づけて、差し出された手のひらを隅から隅まで見つめる。そして、親指と人差し指の付け根にある、火傷跡を発見した。それは私が幼いころ、熱い鍋のふたに手を置いた時にできたものとまったく同じものだった。


 私は真偽を確かめようと、視線を右下へと向けた。しかし、右手首の先についているはずの右手は、いつの間にかなくなってしまっていた。私はすっかり驚いて、出鱈目の種明かしを求めて男の方へと顔を向けた。


「気が付きましたか、この右手も確かにあなたのものです」

「返してください!」


 男は困ったように眉をひそめた。よくみてみると、その眉もまた私の見覚えのある形をしていた。


「返したいのはやまやまですが、それだと私の右手首の先がなくなってします。ハンカチや帽子ならいざしらず、右手を返すわけにはいきません。利き手がないと、満足に食事を取ることができなくなるじゃないですか」

「そんなもの……ナイフかフォークでも突き刺しておけばいいでしょう。とにかく、それは私のものなんですから返してもらわないと困ります!」

「そんな無茶な」


 元々は私のものなのに、なんて言い草だ。私の内奥から怒りがふつふつと沸き上がり、こうなったら力づくで取り返すしかないと考えた。

 私は男に飛びかかろうとした。しかし、飛びかかるために必要な足がいつの間にかなくなっていた。私の胴体は支えを失い、そのままどすんと地面に転げ落ちてしまう。下は固いアスファルトだったため、転んだ衝撃で腰に鈍い激痛が走った。私は情けないうめき声をあげてしまう。


「私の足を返せ!」


 しかし、目の前に男の姿はなかった。代わりに私の目に映ったのは、胴体を芋虫のように動かしながら、痛みに悶えている私の姿だった。ついに私の目までも男に盗まれてしまっていた。


「なんでも………なんでもしますから私を返してください」


 目の前にいる私が恐怖の表情を浮かべながら、私、いや男に懇願していた。


「本当に申し訳ありません。ただ私にだって愛する家族がいるのです。ここであなたにこの両目と両手を返してしまえば、愛する妻を抱きしめたり、愛おしい子供の成長を見届けることができなくなります。それだけは何があっても避けたいのです。赦してくれとは言いませんが、どうか私のわがままを理解してください」

「そんなこと知ったこっちゃない!」


 私がそう叫んだ。しかし、すでに腕も胴体も消えてなくなり、ただ地面の上に頭部だけが毬のように転がっているだけだった。そして、もうその顔はペンキで塗られたように真っ白で、本来あるはずの目口鼻は消えてしまっていた。

 男が瞬きをし、再び目を開けると、そこに私の姿はなかった。男はそばに放り出されていた帽子とハンカチを拾った。そして、男はそのまま道を歩き出す。アスファルトを踏みしめるたびに、足の裏がキンキンと痛んだ。

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