拝啓ご両親、職分の認識って大事ですよね。
早まった勘違いほど恥ずかしい物はないと思いますが、もう此処まで来たら手遅れっちゃ手遅れですよね。
「支払い、カードでお願いします。領収証も」
「あ、はい。あの、私に何か協力できることは……」
クレジットカードで結構な額になったタクシー代を支払っていると、運転中ずっとこちらを気にして何か聞きたそうにしていた運転手が期待するようにそう言いました。
「いえ、お心遣いは嬉しいですが大丈夫です」
「そうですか……」
気持ちは分かりますよ。身近で重大事っぽい、それこそ刑事ドラマみたいな事件が起こってるなら詳しく知りたくなるのが人間心理です。何よりたまたま乗り合わせたタクシー運転手なんて、映画だったら高確率で事件の根幹に巻き込まれる相方役ですからね。
ですが僕の職場はハリウッドではないので、タクシーの運ちゃんも巻き込んだ大捕物なんてやる訳にはいかないんです。この尾行だって大分アウト臭いくらいですから、下手なコトしたら懲戒物ですよ。
「ああ、じゃあ一つだけお願いします」
「っ、はい! 何でも言って下さいよ!!」
ただ、すげなく断られてしょんぼりする彼を蔑ろにするのもなんですし、少しだけ格好付けてみましょうか。ここまで空回りしているなら、後は何したって誤差の内でしょう。
HQに繋がっていて、コントロールに聞かれるわけでもありませんしね。
「無事を祈っておいて下さい」
気障ったらしくウインクし、僕は領収証を懐にねじ込んでタクシーから降りました。そして、京都とも大阪とも奈良ともつかない曖昧な田舎の地を踏みしめます。
後ろ髪を引かれるような低速で去って行くタクシーを見送り、僕は軽く伸びをして気合いを入れました。さぁ、これから町中を歩き回って、あのハイエースを見つけなくては。
タクシーには色々と注文を付け、気を遣って尾行して貰いました。距離を離して刺激しないよう注意し、時には間に別のタクシーを挟むように走ってもらって、気付かれづらいようカモフラージュもしました。町中に同型車が無数に走っているタクシーだけが使える強みですね。
ただ、流石にこんな寂れた所をタクシーが通るのは不自然なので、途中で見送って幹線道路で降ろしてもらいましたが。地図を見るにこれ以上先に何かある訳でもなければ、ここを通過して別の町に行けるわけでもなさそうなので、後は足を使って追いかけるだけです。
さて、これが僕の思い込みで空回りだったならいいのですが。
先輩に苦笑を贈られながら領収証を処理してもらって、何があっても来ないような田舎町を散策して終わりという恥ずかしいイベントのままなのが一番です。
誰だって思いたくないでしょう。戸建てばかりが立ち並び、その合間に農地が点々と広がる郊外の地で再起性死体が飼われているなんて。
山から吹き下ろされる冬の冷えた空気に混じって、微かな土の匂いがする街路をのんびり歩きました。何処の家も瓦葺きで、流行のデザイナーが建てた戸建てなんてのはなく、正しく日本の過疎地といった風情。時折カートを押したご老人とすれ違いますが、じろじろ見られない程度には閉鎖的ではない普通の地方都市ですね。
ハイエースが苦もなく通れそうな道を選んでぶらつき、家々に停められている車をそれとなく観察しつつ歩き回りました。本当に散歩しているように見えるよう堂々と振る舞い、自販機で紅茶なんぞを買い込んで啜りながら歩けば、休日を持て余した暇人にしか見えないと思います。
しかし、これで普段なら頼もしい拳銃と警棒があり、車に戻れば手斧と感染防止マスクにシールドもあるのですが、今の僕は着の身着のままです。
一応持っている装備らしい装備といえば、ツールナイフとペンタイプのフラッシュライトくらいですね。先輩から執行官の手帳があれば警察にしょっ引かれないと入れ知恵されてから、万一の時に備えてケースをベルトに通して携行していましたが、よもや彼に頼る時が本当に来てしまうとは。
ま、ハリウッドのムービースターじゃあるまいし、刃渡り6cm未満のナイフで大立ち回りをやらかすつもりは最初からありませんが。
何より非番でなくても僕ら執行官には捜査権がありません。WPSそのものが捜査機関ではないからです。
つまり、強制執行以外でお家に立ち入りたかったら、警察と裁判所を通し諸々の面倒臭いことをしなければいけません。これが国際組織の辛い所ですね。
それでも怪しいと思ったら警察を通して調べて貰うことはできますし、そこから即突入の強制執行も可能となれば、僕がしていることは決して無駄ではないのです。海外ドラマの捜査機関みたいな“何でもあり”な捜査スタイルが赦されないのは、むしろ当然ですからね。
半時間ほど探索し、そろそろ寒さが骨身に染みてきた頃に目当てのハイエースが見つかりました。町外れというほどではありませんが、農道にアクセスできる立地に建つ普通の一軒家に停められています。
二階建て、あまり掃除されていない玄関ポーチ、錆が浮いたママチャリが二台と原付が一台。恐らく使われていないであろう半壊した牛乳屋のボックス、観葉植物や置物の類いや犬小屋もなし。更に休日の昼間にベランダから洗濯物が覗いていないあたり、男性の一人暮らしでしょうか。
軽く深呼吸するものの、近くの刈り入れが終わった農地から漂う土の匂い以外に何も感じませんでした。死体が発する特有の腐臭は消臭剤を直接ぶっかけても消せないでしょうから、この中という線は薄いですね。
また、何かしらの事業をしているらしき看板もなし。これで僕が単なる特殊清掃業者を追っかけてしまった確率も下がりました。何より近くを通って分かったのですが、車からの例の消臭剤の匂いが漏れてはきませんでした。当人からあれ程濃密な匂いがするのなら、仕事に使えば車にも移るのが普通でしょう。
うーん、覗き込みたい……犯罪だからやりませんけど……。
葛藤を抱きつつ家を通り過ぎ、住所をメモろうとしたところで着信が来ました。先輩からです。
『ビギナー、今どんな感じですか?』
「あー、着きましたよ。こんな町外れに地図なしだったんで、ちょっと迷いましたけど」
『何よりです。で、様子は?』
万一聞かれたとしても不審にならないよう言葉を選ばないといけませんね。警戒して色々始末されたら困りますし。
「お留守みたいでした。普通のお家なんで間違えたかと思いましたけど」
『地方都市の一軒家ですか。大きな納屋とかはありましたか? それと匂いは?』
先輩は色々察しが良くて助かります。ただ、込み入った内容はやはり通話だと難しそうですね。
「これといってありませんでした。やっぱり道間違ったりしてませんかね?」
『匂いなし、納屋なしと……裏手からいけそうな所はありましたか?』
思い出してみると後ろは農地で、その奥には山がありました。大した高さでもなく、植わっていた木々の葉が散って寂しげな冬の小山そのものといったところでしょうか。
『ではビギナー、そっちに回ってみてください。よくない遊びをするなら家ではしないでしょう。恐らくそれ専用の何かがあります』
「いいんですかね?」
山って大抵私有地なんじゃないでしょうか。僕はトレッキングの心得もありませんし、流石に山中での隠密には自信がないのですが。室内と町中なら、訓練のおかげで革靴でも足音を立てずに歩けるようにはなりましたけど。
『痕跡でもいいから見つかれば上等です。無理に踏み入らずとも、それっぽいなというのがあれば警察にぶっこめますから。お巡りさんはビギナーが思っているより勤勉で、どうでもいいことでも動いてくれるものですよ』
無茶苦茶言うなぁ。でも、それならちょっと行ってみましょうか。
『こっちはこっちで根回しを進めています。決定的な物を見つけたら写真でもお願いしますよ』
「はい、承知致しました。それじゃあまたー」
さて、色々と香ばしい感じがしてきましたし、少し冒険してみましょう。直接向かうのではなく、少し離れた通りから農道に入ってみましょうか。
家の裏手に広がる農地は、明らかに耕作が放棄された所も多く寂しい雰囲気が目立ちました。遠くから風に乗ってくるこれは、堆肥の臭いでしょうか。とても良い匂いと言えないソレは、少し執行現場を想起させるアレな感じです。
ええ、人間は動き回る革袋ですからね。お腹の中身には堆肥の原料が詰まってるんですよ。うっかり零したらそれはもう……。
となると、これもカモフラージュになりますね。強い臭いの元が近くにあったら、遠くからやってくる嫌な臭いを塗りつぶしてしまいますし。ほんと、嫌な予感がしてきます。
えっちらおっちら農道を歩いて山の方へ行ってみれば、枯れ木の合間に何か見えました。小さな建物のようですが、炭焼き小屋か何かでしょうか。
小屋に向かって小道が伸びています。落ち葉が積もってはいても、他の部分と比べれば密度が薄いので、定期的に誰かが通っているのは間違いなさそうです。
さて、ここからどうしましょうか。ドラマか映画なら怪しい小屋を見つけたなら、ノータイムで忍び込むところですが僕は国際公務員、御法に触れることはできません。組織全体のイメージのためにしてもいけません。
なら、賢い選択は写真だけ撮って指示を待つことでしょう。流石にスマホを向けるのは露骨に目立つ行為なので、ちょっと遠くからこっそりやった方が良いですね。とりあえずどっかの小路に入り込んで、ひっそりいきましょう。
ゆったり目立たない小道に移動してスマホのカメラを起動し、ズームでの画素の荒さに悩んでいると不意に後ろで気配がしました。
漫画染みた気配だとか殺気だとかではありません、アスファルトと靴底が擦れ合う微かな音です。
瞬間、僕の身体は半ば僕の意識から離れた所で動き出していました。何度となく積み上げたキルハウスでの擬似的な死の記憶と、その死によって錬磨された本能が囁いたのです。
腰を落とすことで上体全体を下げながら腰を捻って方向転換、動きにかかるのと殆ど同タイミングで頭の上を何かが掠めていくのが分かりました。
振り返れば、そこには男性の姿が。中肉中背で目出し帽を被った見知らぬ男性、彼は両手に握った何かを首の高さで大きく横に伸ばしていました。強く引かれて独特の音を立てたワイヤーは、数秒前までそこにあった僕の首を絞めるために構えられていたのでしょう。
深く考える必要もなく黒。僕は振り返る勢いで攻撃に転じ、彼の胸に思いっ切り左肘を叩き込みました。
全身の捻りを加えつつ地面を蹴り抜く勢いで踏み込み、握った左拳を右の掌で支えてねじ込む本職仕込みの一撃です。突き出した左の前腕と、踏み込んだ右足が殆ど一直線に並ぶ我ながら理想的な一撃が、掬い上げるような軌道で鳩尾に突き刺さっています。
「こっ!?」
声にならぬ声と目出し帽越しににじみ出す反吐が降りかかりますが、ゲロで再起性症候群には感染しないので問題ありません。この程度で怯んでは執行官としてはやっていけませんから。
とはいえ、乙女の命である髪にかかったので絶対に許しませんが。
次いで背後に更なる足音。そして耳慣れぬ連続した音に嫌な予感を覚え、僕は肘をブチ込んだ男の襟首をひっつかんで、ぶん回すように体を入れ替えました。
すると、先ほどまで背を向けていた小路の出口から別の男が突っ込んで来たではありませんか。そして、盾にするべく投げ出した男に彼が構える何かが触れ……。
「おがごごご!?」
反吐混じりの耳障りな悲鳴が上がりました。身体が断続的に震えを帯びている所をみるにスタンガンでしょう。直に触れると危ないので、折角抱き合うような形なので利用してしまいましょうか。
歯を食いしばって気合いを込め、感電して震える背中に渾身の前蹴りを叩き込みました。足の裏に真芯で入った心地良い反動が届き、狼藉者二人が縺れるように倒れます。汚い悲鳴が二つに増えたのは、倒れた拍子にスタンガンを自分に触れさせてしまったのでしょうか。たしかアレ、通電している人間に触れても巻き添えは喰らわなかったはずですし。
しかし、結構な悲鳴でしたからスタンガンの電圧が合法だったのか怪しいですね。あれを叩き込まれていたら流石にやばかったと思います。
感電の名残で痙攣する二人を眺め、僕は少し乱れたコートの襟を正して呟きました。
「二丁上がりっと」
折角格好付けたんですから、誰も見てなくとも最後まで格好をつけるべきだろうと思って…………。
新年明けましておめでとう御座います。
今年で二年目になる訳ですが、とりあえず一段落するところまでは進めたいと思っております。
感想が大変はげみになり、読む度にeditorを開こうという気にさせてくれて、大変有り難く存じます。
冗長で読みづらい文章ばかりが多い私ですが、引き続き御相手していただければ幸いです。