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20/23

拝啓ご両親、悪い事が先かフラグが立つのが先かって分からない物ですよね。

 医者、警察、葬儀屋。それらと並んで仕事がなくて暇をしているのが好ましい職業といえば、僕らを除いて他はないでしょう。


 かといって、真面目に仕事をしている警察諸氏をほっぽらかして、寂れた蕎麦屋で蕎麦啜るのは如何かと思うのですが。


 僕は昼のセットでかけ蕎麦とカツ丼を頼み――先輩に正気かよお前、みたいな目で見られました。多分炭水化物とご飯物をあわせて食べられない軟弱な異教徒なのでしょう――先輩はへそ曲がりなことに天ぷら饂飩を頼みました。


 ぷかり、白い煙が立ち上り、昭和の年季が染みついた店舗に不釣り合いな甘ったるい匂いが漂いました。ただそれだけなら良かったのですが、煙と一緒に仕事の言葉が吐き出されているとなれば何とも微妙な気持ちにさせられます。


 「サイコパスってご存じですかね」


 自己紹介ですか? という言葉を飲み込めた僕の理性と自制心は、世界中から喝采を浴びるべきだと思います。そんな自画自賛も嚥下して、いつだか読んだ本の内容を漁りました。


 「いわゆる先天的な精神病質者ですよね。突き詰めた利己的功利主義者で、表面上は魅力的な人物に見えるとかいう」


 「しっかり教養がある後輩を持てて私は幸せです」


 本当にそう思っているのか怪しい無表情で僕に言う先輩は、それから何事もないかのようにPCLチェックはしっかりパスしてるのでご安心をと言い添えました。思わず額に嫌な汗が滲みます。


 「元々はそういったアレな人を指す言葉ですが、最近は似たような言葉を一纏めにする流れがありましてね。家でP案件と呼ばれる俗語があります」


 P案件、とは始めて聞きました。WPSでは想定シチュエーション事にケース分けがなされていて、大抵は英訳した語のイニシャルを取ってケースナンバーの頭に振って分かりやすく整理されます。僕の最初の強制執行ケースがS-DA52204でしたが、これはSituation Dying Alone、つまり孤独死想定案件の略号です。


 これが殺人想定ならSituation HomicideとなってS-H、事故死ならSituation AccidentでS-Aですね。事故死をAccident DieでADとしないのはDA案件との視覚的錯誤をなくすためだとか。


 つまり、話の切り出し方と案件の法則からすると、P案件とは……。


 「Situation Psychopathy……」


 「その通り」


 先輩が首肯するのと頼んだ昼食が届くのが同時でした。何も言わずに煙草がもみ消され、割り箸が割れる景気の良い音が響きます。


 そのまま先輩は話を切って、妙に豪勢な天ぷらの盛り合わせが乗った天ぷら饂飩を食べ始めました。続きは食べてから、ということでしょうか。


 おまち、との店主の酒焼けした声と一緒に差し出される香り高い出汁の蕎麦と、小ぶりながら半熟卵が蠱惑的なカツ丼を前にしても食欲はあまり湧いてきませんでした。食べる前に話を打ち切ったのは、先輩が僕に対する気遣いのベクトルを覚えてくれたからなのでしょうが、後に待っていることを考えると大差ないと気付いてくれるのはいつ頃になるでしょうか。


 むしろ、胃が空っぽの前にエグいことを聞いて食欲が失せるのと、食べた後で聞いて戻しそうになるのでは前者の方が楽なんですよね。吐くのってある意味全身運動ですから、かなり消耗しますし勿体ないことをしたという精神的消耗が大きいのです。


 後、僕はまだ二十代前半の乙女ですから、嘔吐する姿は人前に晒したくないんですよ。こればっかりはずっと強弁させていただきます。


 寂れた外見に反して大変美味だった昼食を終え、お冷やで一服しながら先輩は煙と共に続きの言葉を脈絡なく吐き出しました。


 「正しくは変態性欲なのでSexual Perversionなのですが、ケースとして特殊すぎるので、ヤベー奴が起こした奴はもう全部P案件でって分配になりました」


食後一発にこれですよ。まぁ、この程度で“うっ”と来ない程度には慣れましたが。


 「ということは、尋常ではない……他殺案件全般ということですか?」


 「他殺に限りませんよ。世の中には妙なマニアがいましてね」


 僕も伊達に半年仕事をやっていません。そこまで言われれば想像力が仕事をします。この仕事が想像力を欠いた奴から死ぬというのは、高槻のキルハウスで身を以て嫌と言うほど教えられましたからね。三桁に届こうという仮想の死は、ただ無為に積み上げただけではありません。


 「遺体を収拾する変態……」


 「正解です、ビギナー。慣れてきたじゃないですか。たまーに居るんですよ、自殺の名所を巡って拾っていく変態が。何をしてるかは知りませんが……」


 少し大きな音を立て、唐突に湯飲みが二つ置かれました。独特の香ばしい香りを漂わせるそば茶を握った皺のある手を辿っていけば、そこには険しい顔をした店主の顔が。


 「なぁ兄ちゃんら」


 「アッハイ」


 六十を超えているだろう店主の厳めしい顔と、低く籠もった声に思わず男性扱いされていることに何の反応もできませんでした。


 「こかぁ食い物屋なんやわ」


 「……大変失礼致しました」


 珍しく先輩が神妙な顔をし、丁寧に頭を下げます。それに遅れて頭を下げると、店主は一つだけ荒い鼻息を吐いてカウンター席に着き、不機嫌そうに新聞を広げました。


 「表で話しますか」


 「そですね」


 僕と先輩は何も言わずお茶を飲み干し、無言で五千円札だけ机上に残し店を後にしました…………。












 一つ言い訳をすると、僕らのこのナリは黙示録のラッパが半端に鳴ってから結構な時間が経ち、社会に浸透しているといえばしています。


 重々しい喪服を着込んで、フラワーホールにはWPSの記章をつけた姿は市民の中で職責と繋がる程度には認知されています。実際、大阪事務局近辺の飲食店であれば僕らがうろちょろしているのは日常風景ですし、ちょっと殺伐とした会話も当たり前、回りに他の客さえいなければスルーされる案件となっていました。


 ただ、こんな地方都市で地元のローカルルールを出したのは拙かったよねというお話です。


 だから僕らは喫茶店に入るようなこともせず、さっきの準用河川の橋に戻って寒さに耐えています。先輩に至っては何時の時代のドラマだよと言いたくなるような勢いでコートの襟を立てていますけど、できるだけ捕まれるところを減らしたい僕らはマフラーを使えないから仕方ないんですよね。


 別に強制執行時じゃなければしてもいいとは思うんですが、そこは心構えということでアウトらしいです。


 「これはビギナーが入る前の案件なのですが」


 甘ったるいコーヒーを一つ啜って先輩が口を開きました。余談ですが、胸元には余分に買った紅茶の缶が一本カイロ代わりにねじ込んであります。この人、寒いの苦手なんですかね。


 「樹海を回って本来は私達が集めなければならないものを集めるのが趣味というド変態がいるそうでして」


 「なんですか、その趣味」


 「態々ブログ付けてる奇特な面々もいる、ある意味で成立してるコンテンツらしいですよ。勿論、殆どは合法的に見て回っているだけの人々だそうですが」


 さらっと語られる前提が既に狂ってるのはどうなんですかね。どんなニッチな性癖なんですか。


 「無論こうなる前であろうと死体損壊罪に該当する訳ですが」


 「ちょっと度し難過ぎて今の時点で話が理解不能なんですが」


 「安心してください、理解できたら仲間入りですよビギナー」


 確かにプロファイルをするにしても入り込みすぎるなとは言いますが、そもそも理解が及ばない範疇の話をされても困るんですよ。一体どんな心理状態と性癖が、そんな奇行に走らせたのか欠片ほども想像がつきません。


 人の気持ちに立って考えろと言われても、限界があるんですよ。


 「とまれ、樹海を巡って遺留品を集めるのが趣味という変態だった訳ですが、趣味が高じると人間何をし始めるか分からないものです」


 それを趣味と認めるのは脳味噌が拒否したがっているのですが、仕事ですから無理矢理に納得させましょう。


 「それこそ仕事でチャカ扱ってるのに狩猟免許と猟銃所持の許可を取る変態も局内にはいますからね。休みの日にまで生き物撃って何がしたいのやら」


 「具体的に誰か超心当たりがあるんですが」


 気のせいでは? とさらっと流して先輩はコーヒーを飲み干しました。班長は班長で先輩への罵倒が凄いですが、先輩も負けず劣らずディスっていくスタイルなので凄まじいですよね。割れ鍋に綴じ蓋というか、最初から適合する規格品が一つしかないって勢いです。


 普通ならパワハラで上にねじ込むか辞めるか、はたまた脇の得物を抜いての殺し合いに発展しかねません。


 「ま、上からの評定で猟期に有給がとれそうにない人の話は横に置いて」


 「何故ここで心当たりを強化していくんですか」


 「置いておいて」


 わざわざ身振りまで……! 右から左へ物をやるジェスチャーをしてから、先輩はカイロ代わりにしていたココアを懐から引っ張り出し、躊躇いなくプルタブを起こしました。


 「彼も興味が高じてやってしまったそうなんですよ」


 「えーと、それって……」


 「ええ、樹海からテイクアウトを」


 理解できぬ所業のおぞましさに背筋が粟立ちました。迂遠な表現を拾い上げるに、その変態は再起性死体を見つけて持って帰ったというのです。あの魂の失せた亡骸を、ただ惰性で動く這い回る残骸を、形持つ空虚な欲望を。


 「……何考えてんですか」


 意識せず、吐き捨てるような口調になってしまいましたが、本当に理解が及びません。


 どうやってではなく、どうしてです。


 あんなおっかない物、動かなかったとしても葬式以外で関わり合いになりたくないのに、なんで態々拾って帰るという発想がでてくるのか。真剣に意味が分かりません。


 「だから言ったでしょう。世の中には度し難い変態がいるものだと」


 「僕、そんなのの相手もしなきゃならないんですか……?」


 「ええ、それもお賃金のうちです」


 そっか、お賃金に含まれているのか、なら仕方ないですね……。


 そう受け容れられるメンタリティとバイタリティがあれば、僕の人生はもっと気楽だったに違いありません。いえ、斯様な輩がきちんと取り締まられて、獄に縄を打たれている方が僕だって嬉しいですけど、率先して関わりたいとは全く思えませんから。


 「ちなみに、その彼は逮捕時に七体のお人形を飼育していました」


 「なっ、七……!? って、いうかなんで伝聞形じゃなくて……」


 七体というのも驚愕ですが、伝聞形が多かった話の中で急に断定形に言い換えたと言うことはつまり……。


 「はい、しょっ引いたのは私とせん……班長です」


 言って先輩は無邪気にピースサインを見せてきました。いつも通りの鉄面皮を貼り付けて。あまりものアンバランスさに頭がクラッときます。そんな仕草を見せるなら、せめて口の端の一つでもあげてください。


 「中々にショッキングな光景でしたよ。頭の良い変態っているんだなとしみじみ思いました」


 「うわー、聞きたくない……」


 頭を抱えて耳を塞ぎ、しゃがみ込みたくなる衝動を執行官になってから何度覚えたことか。それでも、逃げたとしても幸せなことが待っていないのは分かっているんです。津波がやってくるのにしゃがみ込んでいたところで、待っているのは水だけですから。


 「戻ったらS-P125501の事件記録を参照してください。結構食欲が失せる光景が見られますよ」


 凄惨な強制執行の後でモツ鍋を美味しくいただける人の食欲が失せるってどのレベルですかと項垂れていると、先輩のスマホが小さく震えました。話を漏れ聞いた所、捜査範囲を拡大するにあたって管轄が変わり、捜査本部が立つので一旦引き上げて欲しいとのことでした。


 「さて、戻りますか……」


 煙草を一服つける先輩を一緒に公用車に戻れば、昼食から時間も経っていないので時刻は三時前とまだまだ早い頃合い。これは定時で帰れそうです。


 「しかし、やっかいな匂いがしますね」


 「……フラグ立てるのやめてくださいよ」


 「おや、ビギナーは運命論者ですか?」


 別に運命とか宿命とかお導きとやらを信じてはいませんが、それでも口にしたら妙に確率が高くなる錯覚を覚えるのです。実際、今日は穏便に帰れそうですねと待機室で口にした途端、交通事故で非再起処置のラッシュに飲まれたりしましたし。


 この職業、とくにそういうの多くないですかね。何かの嫌がらせみたいに。


 「ですが、起こるときは起こるものですよ」


 「死ぬ時は死ぬように?」


 分かってきたじゃないですか、そういってエンジンの始動キーを押し込む先輩の口の端が微かにつり上がっていましたが、その遙か下にある頭をはたきたい衝動に駆られるのは不遜ではないと思いました…………。

年末ですね、私です。

きな臭い方向が違いますが、お察しの通りです。

次も然程間を空けずに更新できればと思います。

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